また別の週末。結衣の一人暮らしのマンション。駅から徒歩10分。3階建ての2階。
香織がインターホンを押す。
「はい」
「香織です」
「どうぞ!」
ドアが開く。結衣が笑顔で迎える。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
玄関を上がり、廊下を通ってリビングへ。明るい部屋。窓からは午後の光が差し込んでいる。すでに理沙と早苗が座っている。ソファに並んで。
「香織、遅い」
理沙が笑う。
「ごめん、電車が」
早苗が会釈する。
「お疲れ様です」
テーブルの上には、お茶とお菓子。クッキーの袋が開けられている。4人が揃う。
「じゃあ、始めようか」
香織がバッグから資料を取り出す。式の進行表と席次表。
打ち合わせが進む。香織が説明し、3人が聞く。いつもの構図。
「席次はこの配置で。結衣の親族はこちら、新郎側はこちら」
「うん、いいと思う」
結衣が頷く。
「進行も、このタイムテーブルで問題ない?」
「大丈夫」
理沙と早苗も資料を見ている。和やかな雰囲気。表面的には。
「あ、そうだ」
香織がノートPCをバッグから取り出す。
「企画案、画面で見せた方がわかりやすいかも」
結衣のテレビに繋ごうとする。
「ケーブルある?」
「あるよ、ちょっと待って」
結衣が立ち上がる。寝室へ向かう。数秒後、HDMIケーブルを持って戻ってくる。
「これでいい?」
「うん、ありがとう」
香織がケーブルを受け取る。PCとテレビを繋ぐ。画面が映る。
「よし」
「あ、でもスマホの方が手軽かも」
結衣が自分のiPhoneを取り出す。
「画面ミラーリングできるよ」
「そうだね、じゃあそっちで」
香織がケーブルを抜く。
「貸して、私が繋ぐよ」
結衣がスマホを香織に渡す。
「お願い」
香織が受け取る。白いケースのiPhone14。画面を見る。ロック解除されている。ホーム画面。いくつものアプリアイコン。
「設定から……」
香織が設定アプリを開く。画面ミラーリングの項目を探す。指でスクロール。
誤って、別のアプリをタップしてしまう。LINEが開く。
「あ、ごめん」
慌てて戻ろうとする。しかし指がまた別の場所に触れる。画面が切り替わる。バックアップ設定の画面。
「古いメッセージを復元しますか?」
というポップアップ。香織の指が、間違えて「はい」をタップする。
「あ……」
ローディングマークが回る。数秒。香織は焦る。結衣に言うべきか。でも、もう復元が始まっている。
「ちょっとトイレ行ってくる」
結衣が立ち上がる。
「あ、うん」
香織が返事をする。結衣がリビングを出る。廊下の奥へ。トイレのドアが閉まる音。
復元が完了する。LINEのトーク画面に戻る。画面上部に通知。
「バックアップから復元しました」
香織がスマホを見る。トーク一覧。いくつものグループ名が並ぶ。その中に、見覚えのないグループがある。
「結衣's Wedding(香織抜き)」
心臓が跳ねる。何、これ。香織の手が震える。理沙と早苗が気づかないよう、スマホを自分の方へ傾ける。
2人は雑談している。お菓子を食べている。
香織はそのグループをタップする。画面が開く。トーク履歴。スクロールする。手が震える。
【1ヶ月前 23:45】
理沙「香織といると疲れない?」
香織の呼吸が止まる。
早苗「わかります……でも式だけは協力しないと」
血の気が引く。
結衣「ほんとそれ。終わったら少し距離置きたい」
胸が締め付けられる。
理沙「私も。あの仕切り方、正直しんどい」
視界が歪む。
早苗「言いたいこと言えないですよね」
涙が溢れそうになる。
結衣「でも悪い子じゃないから……」
結衣「ただ、ちょっと……ね」
香織はさらにスクロールする。
【3週間前 15:20】
理沙「今日の打ち合わせ、また香織が全部決めちゃったね」
早苗「私の意見、途中で遮られました……」
結衣「ごめんね。香織、悪気ないと思うんだけど」
理沙「わかってる。でも疲れる」
【2週間前 22:10】
早苗「インスタグラムの写真、また私たち脇役みたいな配置😅」
理沙「見た見た。香織だけ中心で映りいいやつね」
結衣「気にしないであげて……」
早苗「気にしてないです。でも、ちょっとモヤモヤ」
【1週間前 19:35】
理沙「ドレス選び、結衣の意見聞いてた?」
結衣「うーん、香織が推すやつになっちゃった」
早苗「あのドレス、結衣さんには派手すぎませんでしたか」
結衣「そうなんだよね。でも香織があんなに言うから……」
理沙「断れないよね、香織には」
香織の手が震える。画面が揺れる。涙が頬を伝う。しかし声は出せない。
トイレから水を流す音。結衣が戻ってくる。足音が近づく。香織は慌ててバックアップ画面を閉じる。指が震える。LINEのトーク一覧に戻す。普通の画面。何事もなかったかのように。深呼吸。涙を堪える。
「ごめん、お待たせ」
結衣がリビングに入ってくる。笑顔。いつもの結衣。
「スマホ、繋がった?」
香織はスマホを結衣に差し出す。手が震える。気づかれないように、素早く。
「あ、やっぱりPCでいいや」
声が上ずる。
「そう? ごめんね、手間かけて」
結衣が自分のスマホを受け取る。画面を一瞥する。特に何も気にした様子はない。ロック画面に戻して、テーブルの上に置く。
「じゃあPCで見せて」
結衣がソファに座る。香織は自分のPCを開く。手が震える。マウスを持つ。カーソルが揺れる。深呼吸。落ち着け。資料ファイルを開く。企画案の画面がテレビに映る。
「これが、ムービーの構成案」
香織が説明を始める。声が震えている。でも、続ける。
「写真をこの順番で繋げて……」
理沙が画面を見ている。
「いいね」
早苗も頷く。
「素敵です」
結衣が笑顔で聞いている。
「ありがとう、香織」
その笑顔。本心? それとも演技? 香織にはもう、わからない。
「次に、当日のタイムスケジュールだけど」
香織が次のページを開く。進行表。
「挙式が11時、披露宴が12時半から」
理沙が資料を見る。
「うん、問題ないと思う」
「写真撮影の時間も、ここで取ってあるから」
早苗が手帳を開く。
「確認しました」
香織がスケジュールを確認する。普通の会話。表面的には。
でも、香織の頭の中では、さっきのメッセージが繰り返される。
「香織といると疲れない?」
「あの仕切り方、正直しんどい」
「終わったら少し距離置きたい」
この笑顔は、嘘。この相槌は、嘘。この「ありがとう」も、嘘。すべてが演技に見える。
打ち合わせが続く。香織は機械的に説明する。時々、言葉に詰まる。
「えっと……」
「どうした?」
理沙が聞く。
「ううん、何でもない」
誤魔化す。でも、心臓は早鐘を打っている。
結衣が香織の顔を覗き込む。
「香織、大丈夫? 顔色悪いよ」
「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ」
「無理しないでね」
結衣の優しい声。その優しさも、嘘なのか。
早苗が時計を見る。
「もうこんな時間ですね」
午後6時。
「じゃあ、そろそろお開きにする?」
結衣が言う。
「うん、ごめん、長引いちゃって」
香織が資料を片付ける。
「ううん、有意義だったよ」
理沙がバッグを持つ。早苗も立ち上がる。
「また連絡します」
玄関で靴を履く。
「じゃあね、香織」
「気をつけて」
結衣が見送る。笑顔。香織は笑顔で返す。作り笑顔。3人も、作り笑顔。すべてが、嘘。
ドアが閉まる。香織は階段を降りる。マンションを出る。夜の空気が冷たい。
歩く。駅に向かう。足が震える。途中で立ち止まる。誰もいない住宅街。街灯の下。
香織は、その場にしゃがみ込む。
膝を抱える。涙が溢れる。声を殺して泣く。誰にも聞かれたくない。でも、止まらない。
私は、嫌われていた。ずっと。気づかなかった。いや、気づきたくなかった。
「香織といると疲れる」
「距離置きたい」
「しんどい」
言葉が頭の中で反響する。何度も。何度も。
どれくらいの時間、そうしていただろう。香織は立ち上がる。涙を拭う。駅へ向かう。電車に乗る。誰も香織を見ていない。皆、スマホを見ている。
自宅のマンションに着く。鍵を開ける。手が震える。何度も鍵穴を外す。ようやく開く。
ドアを開ける。部屋に入る。ドアを閉める。靴も脱がず、そのまま。
背中をドアに預ける。ずるずると、床に座り込む。バッグが手から落ちる。中身が散らばる。財布。スマホ。鍵。
香織は、床に座ったまま動けない。涙が流れ続ける。声を上げて泣く。誰もいない。誰も聞いていない。
「私は、嫌われていた」
その言葉だけが、部屋に響いた。
香織がインターホンを押す。
「はい」
「香織です」
「どうぞ!」
ドアが開く。結衣が笑顔で迎える。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
玄関を上がり、廊下を通ってリビングへ。明るい部屋。窓からは午後の光が差し込んでいる。すでに理沙と早苗が座っている。ソファに並んで。
「香織、遅い」
理沙が笑う。
「ごめん、電車が」
早苗が会釈する。
「お疲れ様です」
テーブルの上には、お茶とお菓子。クッキーの袋が開けられている。4人が揃う。
「じゃあ、始めようか」
香織がバッグから資料を取り出す。式の進行表と席次表。
打ち合わせが進む。香織が説明し、3人が聞く。いつもの構図。
「席次はこの配置で。結衣の親族はこちら、新郎側はこちら」
「うん、いいと思う」
結衣が頷く。
「進行も、このタイムテーブルで問題ない?」
「大丈夫」
理沙と早苗も資料を見ている。和やかな雰囲気。表面的には。
「あ、そうだ」
香織がノートPCをバッグから取り出す。
「企画案、画面で見せた方がわかりやすいかも」
結衣のテレビに繋ごうとする。
「ケーブルある?」
「あるよ、ちょっと待って」
結衣が立ち上がる。寝室へ向かう。数秒後、HDMIケーブルを持って戻ってくる。
「これでいい?」
「うん、ありがとう」
香織がケーブルを受け取る。PCとテレビを繋ぐ。画面が映る。
「よし」
「あ、でもスマホの方が手軽かも」
結衣が自分のiPhoneを取り出す。
「画面ミラーリングできるよ」
「そうだね、じゃあそっちで」
香織がケーブルを抜く。
「貸して、私が繋ぐよ」
結衣がスマホを香織に渡す。
「お願い」
香織が受け取る。白いケースのiPhone14。画面を見る。ロック解除されている。ホーム画面。いくつものアプリアイコン。
「設定から……」
香織が設定アプリを開く。画面ミラーリングの項目を探す。指でスクロール。
誤って、別のアプリをタップしてしまう。LINEが開く。
「あ、ごめん」
慌てて戻ろうとする。しかし指がまた別の場所に触れる。画面が切り替わる。バックアップ設定の画面。
「古いメッセージを復元しますか?」
というポップアップ。香織の指が、間違えて「はい」をタップする。
「あ……」
ローディングマークが回る。数秒。香織は焦る。結衣に言うべきか。でも、もう復元が始まっている。
「ちょっとトイレ行ってくる」
結衣が立ち上がる。
「あ、うん」
香織が返事をする。結衣がリビングを出る。廊下の奥へ。トイレのドアが閉まる音。
復元が完了する。LINEのトーク画面に戻る。画面上部に通知。
「バックアップから復元しました」
香織がスマホを見る。トーク一覧。いくつものグループ名が並ぶ。その中に、見覚えのないグループがある。
「結衣's Wedding(香織抜き)」
心臓が跳ねる。何、これ。香織の手が震える。理沙と早苗が気づかないよう、スマホを自分の方へ傾ける。
2人は雑談している。お菓子を食べている。
香織はそのグループをタップする。画面が開く。トーク履歴。スクロールする。手が震える。
【1ヶ月前 23:45】
理沙「香織といると疲れない?」
香織の呼吸が止まる。
早苗「わかります……でも式だけは協力しないと」
血の気が引く。
結衣「ほんとそれ。終わったら少し距離置きたい」
胸が締め付けられる。
理沙「私も。あの仕切り方、正直しんどい」
視界が歪む。
早苗「言いたいこと言えないですよね」
涙が溢れそうになる。
結衣「でも悪い子じゃないから……」
結衣「ただ、ちょっと……ね」
香織はさらにスクロールする。
【3週間前 15:20】
理沙「今日の打ち合わせ、また香織が全部決めちゃったね」
早苗「私の意見、途中で遮られました……」
結衣「ごめんね。香織、悪気ないと思うんだけど」
理沙「わかってる。でも疲れる」
【2週間前 22:10】
早苗「インスタグラムの写真、また私たち脇役みたいな配置😅」
理沙「見た見た。香織だけ中心で映りいいやつね」
結衣「気にしないであげて……」
早苗「気にしてないです。でも、ちょっとモヤモヤ」
【1週間前 19:35】
理沙「ドレス選び、結衣の意見聞いてた?」
結衣「うーん、香織が推すやつになっちゃった」
早苗「あのドレス、結衣さんには派手すぎませんでしたか」
結衣「そうなんだよね。でも香織があんなに言うから……」
理沙「断れないよね、香織には」
香織の手が震える。画面が揺れる。涙が頬を伝う。しかし声は出せない。
トイレから水を流す音。結衣が戻ってくる。足音が近づく。香織は慌ててバックアップ画面を閉じる。指が震える。LINEのトーク一覧に戻す。普通の画面。何事もなかったかのように。深呼吸。涙を堪える。
「ごめん、お待たせ」
結衣がリビングに入ってくる。笑顔。いつもの結衣。
「スマホ、繋がった?」
香織はスマホを結衣に差し出す。手が震える。気づかれないように、素早く。
「あ、やっぱりPCでいいや」
声が上ずる。
「そう? ごめんね、手間かけて」
結衣が自分のスマホを受け取る。画面を一瞥する。特に何も気にした様子はない。ロック画面に戻して、テーブルの上に置く。
「じゃあPCで見せて」
結衣がソファに座る。香織は自分のPCを開く。手が震える。マウスを持つ。カーソルが揺れる。深呼吸。落ち着け。資料ファイルを開く。企画案の画面がテレビに映る。
「これが、ムービーの構成案」
香織が説明を始める。声が震えている。でも、続ける。
「写真をこの順番で繋げて……」
理沙が画面を見ている。
「いいね」
早苗も頷く。
「素敵です」
結衣が笑顔で聞いている。
「ありがとう、香織」
その笑顔。本心? それとも演技? 香織にはもう、わからない。
「次に、当日のタイムスケジュールだけど」
香織が次のページを開く。進行表。
「挙式が11時、披露宴が12時半から」
理沙が資料を見る。
「うん、問題ないと思う」
「写真撮影の時間も、ここで取ってあるから」
早苗が手帳を開く。
「確認しました」
香織がスケジュールを確認する。普通の会話。表面的には。
でも、香織の頭の中では、さっきのメッセージが繰り返される。
「香織といると疲れない?」
「あの仕切り方、正直しんどい」
「終わったら少し距離置きたい」
この笑顔は、嘘。この相槌は、嘘。この「ありがとう」も、嘘。すべてが演技に見える。
打ち合わせが続く。香織は機械的に説明する。時々、言葉に詰まる。
「えっと……」
「どうした?」
理沙が聞く。
「ううん、何でもない」
誤魔化す。でも、心臓は早鐘を打っている。
結衣が香織の顔を覗き込む。
「香織、大丈夫? 顔色悪いよ」
「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ」
「無理しないでね」
結衣の優しい声。その優しさも、嘘なのか。
早苗が時計を見る。
「もうこんな時間ですね」
午後6時。
「じゃあ、そろそろお開きにする?」
結衣が言う。
「うん、ごめん、長引いちゃって」
香織が資料を片付ける。
「ううん、有意義だったよ」
理沙がバッグを持つ。早苗も立ち上がる。
「また連絡します」
玄関で靴を履く。
「じゃあね、香織」
「気をつけて」
結衣が見送る。笑顔。香織は笑顔で返す。作り笑顔。3人も、作り笑顔。すべてが、嘘。
ドアが閉まる。香織は階段を降りる。マンションを出る。夜の空気が冷たい。
歩く。駅に向かう。足が震える。途中で立ち止まる。誰もいない住宅街。街灯の下。
香織は、その場にしゃがみ込む。
膝を抱える。涙が溢れる。声を殺して泣く。誰にも聞かれたくない。でも、止まらない。
私は、嫌われていた。ずっと。気づかなかった。いや、気づきたくなかった。
「香織といると疲れる」
「距離置きたい」
「しんどい」
言葉が頭の中で反響する。何度も。何度も。
どれくらいの時間、そうしていただろう。香織は立ち上がる。涙を拭う。駅へ向かう。電車に乗る。誰も香織を見ていない。皆、スマホを見ている。
自宅のマンションに着く。鍵を開ける。手が震える。何度も鍵穴を外す。ようやく開く。
ドアを開ける。部屋に入る。ドアを閉める。靴も脱がず、そのまま。
背中をドアに預ける。ずるずると、床に座り込む。バッグが手から落ちる。中身が散らばる。財布。スマホ。鍵。
香織は、床に座ったまま動けない。涙が流れ続ける。声を上げて泣く。誰もいない。誰も聞いていない。
「私は、嫌われていた」
その言葉だけが、部屋に響いた。

