伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く1

「フレッドさん、こっちのお皿もお願いします」
「わかりました」

 舞踏会が終わり、さっきまであんなに賑わっていたのが嘘のようにコンサバトリー内にはメイドとの事務的な会話だけが流れる。

 旦那様とジーヤは来客されていたお客様のお見送りに向かわれ、奥様は早くからお部屋で休まれている。アンリには入浴を済ませるように勧めたから、今頃はドレスを脱ぎ大浴場に向かった頃だろう。

 手は無意識に食器を重ねたり、ゴミをまとめたりと動いているがフレッドの頭の中は先程の一件で埋め尽くされていた。
 結局アンリのことを守れたのはソアラやシェパード、レジスのおかげだった。私はあんなにも早く異変に気がついていたというのに、ご子息達をヒートアップさせてしまうだけで、アンリには余計に怖い思いをさせてしまった。やはり使用人という立場では無力すぎて、アンリを十分に支えて差し上げることは出来ないんだろうか。

「フレッド!」

 脳内に浮かんでいた人の声に驚いて反射的に振り向くと、大浴場に向かったはずのアンリがなぜかドレス姿のままで立っていた。もしかして衣装部屋に向かったはずのメイドと行き違いになったのだろうかと思っている間にアンリは満面の笑みを向ける。

「お願いがあるの。聞いてくれる?」
「えぇ、もちろんです」
「あのね、私と一緒に踊って欲しいの」
「踊る?私とですか?」
「本当は舞踏会の時に一緒に踊りたかったんだけど色々とあったし、貴方は身分を気にして人前ではきっと踊ってくれないでしょう?だけど舞踏会も終わった今なら良いかなって」

 もちろんアンリのお願いは出来るだけ叶えてあげたい。でもいくらお願いと言われても良いのだろうか。フレッドはアンリに仕えている身であって、ダンスの練習に付き合うのとでは意味が変わってくるだろう。

「お願い、ね?」

 そんな風に首をかしげられてしまえば断るという選択肢は消えてしまう。

「一回だけですよ?」

 念を押すと、メイドに片付けの続きを任せて嬉しそうに笑っているアンリを連れてホールに向かった。

 ホールでは舞踏会でずっと演奏をしてくださった方々が片付けをする様子もなく楽器を持ち座っている。不思議そうに彼らを見つめていると、気になっていたことをアンリが説明してくれる。

 どうやらアンリは帰る支度をしていた彼らに無理を承知の上であと一度だけ演奏して欲しいと頼んだらしい。そんなアンリに彼らはファーストダンスで感動したから是非に、と快く受け入れてくれたようだ。

 アンリとホールの中央に立つと片手はアンリの手を取り、もう片方の手は腰に添えた。それを見計らったように演奏が始まるとアンリは丁寧に、そして一つ一つの動きを大切そうに踊る。
 
 演奏が中盤にさしかかった頃、それまで楽しそうに踊っていたアンリが口を開いた。

「さっきはありがとう。助けに来てくれて」

 アンリは満面の笑みを向けるが、私は感謝されるようなことを何もしていない。

「私は何もできなかったです。ですからそんな風に言ってもらう資格もありません。…それに私の方が謝らなければなりません。申し訳ありませんでした」
「謝らないでよ。私は嬉しかったんだよ?不安でいっぱいだった時、フレッドが来てくれてすごく安心したの。だからそんなに自分のことを責めないで欲しい」

 アンリのそんな言葉が温かくて、さっきまで悶々と渦巻いていた胸の中のモヤモヤが、まるで空を覆っていた分厚い雲が晴れていくように薄れていく。
 本来ならフレッドのことを罵倒してもいい立場だというのに、やはり優しい方だ。今まで出会った誰よりも。

 だからこそ、守って差し上げたいと心の底から思った。これ以上、この方には傷ついて欲しくない。

「あ、そういえば私のダンス見てくれてた?」
「はい、見ていましたよ」
「ダンスが終わった後にフレッドのことを探したんだけど見つけられなくて。どこに居たの?」
「階段上から見ていましたよ」
「え!そうだったの?全く気がつかなかった。私のダンス、どうだった?」
「とても素敵でしたよ。よく一ヶ月でここまで頑張りましたね」

 そう言うとアンリは嬉しそうに、そして照れたように頬をピンク色に染める。

 この一ヶ月、教えられることは全て伝えて練習に付き合った。
 それだけじゃない。本人はバレていないと思っているようだが、アンリが暇さえあれば部屋で一人、隠れて練習をしていたこともフレッドは知っていた。それをわざわざ話題に出すようなことはしないが、だからこそ今日のダンスには色々な想いがあったのだ。

「私ね、今まで嫌なこととか私には出来ないだろうなって思ったことからはトコトン逃げてきたんだ。それでもずっと逃げ続ける自分を情けない、悔しいって思ってる自分もいたの。だからこの世界に来て、どうしても今回は最後まで逃げずに頑張りたかったんだ」

 そう言うアンリは一瞬、何かを思い出すような目をした後、また笑顔を向ける。一瞬見せた顔は悲しそうな、辛そうな表情で…、きっとこちらの世界に来る前、一言では表すことのできない体験をされて来たのだろうと、何も知らないフレッドにすら伝わってきた。
 
 だからフレッドはそんなアンリに出来る限りの笑顔を向けて「本当に頑張りましたね」と言った。