伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く1

 無事に踊り終えるとホール中の人が拍手してくれる。こんな大勢の人に拍手をしてもらえるのは初めてで嬉しいが、なんだかくすぐったい。それでもやはり悪い気はしなかった。

 周りの人に応えながらホールを見渡してみるが、人が多くてフレッドの姿を見つけることは出来ない。約束通り、ちゃんと見ていてくれただろうか。

 ホール全体が落ち着きを取り戻すと、今度はアンリの知らない曲の演奏が始まった。

「アンリ、お前これからどうするんだ?」
「私、ちょっと用事があるから。じゃあね」
「あ、おい!」

 背後でアンリを呼び止めるクイニーを置いて、アンリは真っ直ぐにコンサバトリーに向かう。

 ちなみにクイニーに対し用事があると言ったのは嘘だ。そんな嘘をついたのも、今踊った曲以外は何一つ踊れないからだ。さすがにこの一ヶ月の練習期間で他の曲に手を回せるほどの余裕はなかった。だからこそ万が一にでも、クイニーにもう一曲踊ろうと誘われても困るし、他の誰かに踊るように誘われてもどう答えれば良いのか分からない。

 オーリン家のご令嬢として、ここで醜態を晒すわけにもいかないのだ。それにルエやシーズがせっかく今日のために準備してくれた軽食をみすみす逃すわけにもいかない。

「オーリン様、ダンスとても感激致しました」
「ありがとうございます」

 時々声を掛けてくる人達に応えながらコンサバトリーに入ると、その場にいるのは両親と同じくらいの年齢の紳士淑女がほとんどだ。

 どれにしようか、どれもこれも美味しそうに輝いて見える軽食達を眺めている時だった。いきなり後ろからトントンと肩を叩かれた。

 フレッドか、クイニーだろうかと振り向いた。だが、そこに立っていたのは全く面識のない男達だった。
 こうして肩を叩かれ声を掛けられるのはミンスに続いて二度目だが、あの時と違って今はいち早くこの場から逃げた方が良いと直感が告げている。

「えっと…何か?」
「アンリ様だよね。こんな所に居ないで俺らと一緒に踊らない?」
「そうそう、俺ら踊るの上手いんだよね」
「申し訳ありません。今日はもう踊るつもりはないんです」

 そう丁寧に、ハッキリと断ったつもりだった。変な期待を持たせてしまうような言葉だって言っていない。
 それなのに目の前に立つ男達はまるで何も聞いていないかのように、とてもしつこい。

「良いじゃん、踊ろうよ」
「あ、それか今から抜け出して俺らだけになれる場所に行くっていうのもアリじゃない?」
「それ良いじゃん、ね?そうしようよ」

 そう言って男は遠慮せずに腕を掴んでくる。そのゴツゴツとした手の生暖かさが気持ち悪くて、思わずギュッと拳を握りしめる。

「困ります…」

 一緒に踊って欲しいという誘いから、あっという間に要求がエスカレートしてきた時だった。一瞬にしてアンリと男達の間に壁ができて詰め寄って来ていた男達が見えなくなると同時に、腕に感じていた生暖かい感触も消えた。

「失礼ですが、アンリ様がお困りです。そろそろおやめになって下さい」

 すっかり聞き慣れた低すぎず高すぎない温かい声を聞いた途端、アンリの目には我慢していたはずの涙が瞳に溜まる。

「フレッド…」

 涙を我慢しているせいで名前を呼んだはずが声が掠れて、とても小さな声になってしまった。それでもしっかりと聞き取ってくれたフレッドはアンリの方を振り向くと「大丈夫ですよ」と一際優しく声を掛けてくる。
 そんな優しい声を出されてしまったら、我慢していたというのに目から一雫、涙がこぼれてしまった。

 途端に視界から消えていた男の低く唸ったような声が頭に響く。

「ふざけんじゃねぇ」

 その声に心臓は嫌な音を立て始め、足はガクガクと震えだし、体温を失ったように指先が冷たくなって小刻みに震える。男の怒鳴るような声が過去の”とある出来事”とリンクして、無意識のうちに縋るようにフレッドの背中にくっついていた。

 アンリは怒っている人の声を聞くのが苦手だ。その声を聞くと沢木暗璃として暮らしていた頃に理不尽に怒られた記憶や、色々な嫌な記憶が蘇ってくるから。だがどんなに聞きたくないと願っても、男達の声は止まるどころかヒートアップしていく。

「お前なんなんだよ」
「俺たちが楽しんでるのに使用人の分際で邪魔するとか、貴族様のこと舐めてんの?」
「アンリ様を守ることも私の仕事の一つです。このような場、しかもアンリ様にとっては初めての特別な場で恐怖を与え苦しめるのであれば、貴族様だからと言って許しません」
「は?お前みたいな奴に何が出来るんだよ」
「そもそも使用人のくせに出しゃばって正義のヒーロー気取りとかウザいんだよ。お前みたいな奴は皿洗いでもしてろ」

 フレッド一人に対して男達は散々な言いようだ。
 
 お願いだから、そんな事言わないで。
 そう言いたくても、震えきった喉からは声が出てくれない。フレッドは誰よりも優しくて良い人なのに、なんでこういう時に言い返せないんだろう。

 それにこれだけの騒ぎだ。周りの人も気づいているだろうに、なぜ誰も助けてくれないのだろう。
 周囲を見回してみるが、みんな見て見ぬふりでアンリ達からは距離を取るように離れている。

 途端にパチンと乾いた音がコンサバトリーに響く。直後「痛っ」と言いながらフレッドが頬を押さえる。

「え、大丈夫?!」
「えぇ、大丈夫です。そんなことより、この場は私がどうにかしますから、アンリ様はどこか離れた場所に」
「でも…」

 そんなことを言われても、もしここでフレッドのことを置いて行ったら…。
 今まさに手を上げた男は息を上げ、目を光らせながらフレッドのことを睨んでいる。もしこれ以上、フレッドが傷付けられるかもしれないと思うと、置いて行くなんてできない。

 だからといって私に何かができるわけでもない。そもそも元はと言えば私のせいでこんな状況になってしまっているんだ。

 恐怖や自己嫌悪で俯いていると、この場には似合わない足音と共に男の子にしては高い声がコンサバトリー中に響く。

「アンリちゃーん」

 響き渡る声でアンリの名を呼びながら軽々と走ってくるのはミンスだ。アンリ達の元に辿り着いたミンスは勢いよくアンリに抱きつく。

「こんなに震えちゃって怖かったよね。もう大丈夫からね」
「ミンスくん!?どうしてここに…」

 新たに間に入ってきたミンスに一瞬驚く男達だったが、それでも勢いは止まらない。

「だから俺らが何をしたって言うわけ?ただ単にアンリ様が暇そうにしていたから声を掛けただけじゃん」
「そうだよ、別に俺ら何一つ悪いことしてねぇし」

 その声に反論したのはミンスが走ってきた道を後から一歩一歩歩いてくるザックとクイニーだった。

「このような場で嫌がる女性の手を無理やり掴むのは紳士ではありませんね。それにあなた方は相手が使用人だろうと手を上げているわけですし、それが悪いことだと判断できないなんて、随分と可哀想な方々です」
「ザックくん…」
「アンリはお前らみたいな奴が好き勝手して良い女じゃねぇよ。それにお前ら、確か他でも相当女遊びが酷いんだろ。今までは上手いこと躱したり揉み消してきたようだが、もし上がお前らのしてきたことを知ったらどうなると思う?」

 その一言で男達の顔色が変わった。さっきまで堂々としていた表情は何かを恐れるかのような表情に変わり、小声で「こいつ確かソアラ伯爵の…」なんて呟いているのが聞こえる。すると男達は「チッ…、今回だけは勘弁してやる」と言いながら足早に逃げ出す。

「何が許してやるだ、偉そうに言いやがって」

 男達の背中に向かってクイニーが吐き捨てるように言うと、ようやく平穏が訪れる。

 助けに入ってくれたミンス、クイニー、ザックの顔を見ると一気に体の力が抜ける。

「危ない!」

 崩れ落ちそうになるギリギリでアンリに抱きついたままだったミンスが体を支えてくれる。

「ごめん、ありがとう」

 誰よりも心配そうに瞳を揺らすフレッドの頬は、よく見ると少し赤くなっている。丁度、男に叩かれた場所だ。アンリは静かにその頬に手を伸ばす。

「ねぇ、ここ赤くなってる」
「え、本当ですか?」
「痛くない?」
「はい、大丈夫ですよ」
「でも冷やしてきた方が良いよ。この後、痛みが出てきちゃうかもしれないし、ね?」
「…分かりました。ではしばらく奥の方に居ますので、何かあったらすぐに呼んでください」

 どこか浮かない顔をするフレッドは三人に丁寧にお辞儀してコンサバトリーを出ていった。それと同時にミンスは抱きしめていた力を再び強める。

「アンリちゃん、大丈夫だった?なにか嫌なこと、言われなかった?」
「うん、私はみんなが来てくれたから大丈夫」
「とりあえず本当に無事で良かったよ〜」
「ありがとう。私、ミンスくんとザックくんが来てるなんて知らなかったからビックリしちゃった」
「実は我々もオーリン伯爵に招待されていたんです。ですが変な緊張を与えないようにと、秘密にしていたんです」
「そうだったんだ」
「ダンスすごかったね!僕すっごい感動した」
「ありがとう、二人はもう踊ったの?」
「ううん、僕達ずっとアンリちゃんのこと探してたんだ~」
「そうなの?」
「だって僕達の所にクイニーが来たと思ったら一人なんだもん」
「不思議に思ってクイニーを問い詰めると、アンリ様はどこかに消えたと適当なことを言うので探していたんです」
「おい、俺が悪いように言うな。アンリが勝手に離れたんだからな?」
「あはは、ごめん」
「でもまさかこっちに来ているとは思わなかった。よっぽど食い意地が張っているようで」
「違うもん」

 そう言うと、さっきまでの一件が嘘みたいにアンリ達の笑い声がコンサバトリーに響いた。そんな姿に周りの人達もホッとしたのか、こちらを伺っていた人達も元通り自分達の会話に戻っている。

「どうしてあの人達は私にしつこく絡んできたんだろう」
「それはきっとアンリちゃんが可愛いからだよ~」
「だって私よりノリが良さそうな女の子達だって大勢居るのに」

 会場には同年齢くらいのご令嬢も大勢招待され、子息とダンスを踊ったり友達と集まり談笑なんかをしている。こういう社交の場に慣れたご令嬢は常に気を張っていたアンリと違ってみんな堂々としている。

 もしかして気が弱そうな女を狙う手口だろうか。こっちの世界に来る前もニタニタした表情の男達が、気が弱そうな女の子を囲んで困らせている光景を何度か見たことがあるし、暗璃が餌食になったこともある。

 首を傾げるアンリに「おそらく」と前置きを置いた上で、ザックが口を開く。

「おそらくですが、アンリ様に婚約者がいらっしゃらないからだと思いますよ」
「婚約者?」
「伯爵家のご令嬢が十六歳になっても婚約者が決まっていないのは珍しいですから。それに婚約者の居る異性の方に手を出すのは御法度とされていて、もしそんな事実が発覚すれば社交界から厄介払いされますからね」
「まぁ令嬢によっては生まれた時点で婚約が決まってることもあるからな」
「私の歳で婚約者かぁ」
「アンリちゃんはそういう話、全くないの?」
「うーん、お父様に話がいってるのかもしれないけど、私は聞いたことないかな。それに私、結婚するならお見合いとか、両親の決めた婚約者とじゃなくて、私が心から好きになれた人と結婚したいな」