春雨に触れたくて

 二○三○年三月二十五日、まだ雨は降っていた。
 
 
 ノールックで止めたアラームは床に転がるプラスチックの音が、一人きりの部屋に響く。

  

 その音が脳内にやけに響いて仕方がない。


 この目覚めの悪さは、また変な夢を見ていたせいかもしれない。
 
 

「……まだ雨、止まねぇのかよ」
 

 目を擦って、分厚いカーテンを開ける。
 
 
 外は分厚い灰色の曇天で、思ったより明るくなかった。
 

 雨はパラパラと降った雨粒が窓に音を立てた。
 
 今朝になっても、あの屋上の日から降り始めた雨は止んでいない。
 

 

 この家は今、俺一人で住んでいる。

  
 住宅街の外れ、山間で森の始まりのような場所にポツンと建てられた二階建て。

  
 作りは至ってシンプルで、いくつか部屋や作業場がある。

 
 あたりは車の音もせず、サラサラと木々のこすれる音だけが聞こえるとても住みやすい場所だ。
 
 
 ここはじいちゃんが十年ほど前、一人で建てた家だ。
 
 
 その頃俺は小学校に入りたてて、年末年始に父さんと母さんと一緒に帰省に来ていた家でもあった。
 
 

 じいちゃんと暮らしていた数日前は、それぞれの部屋と最低限の設備だけのこの空間を狭いと感じていた。
 
 
 けれど、一人の今は少し広すぎるくらいだ。
 

 窓を開けても家を包み込んでいる樹木のおかげで、雨は入ってこない。


 水分を含んだ青々しさがふわっと香った。
 

「二◯三◯年四月一日、あの『トリプル』連絡通路で何かが起きる
 だからお前に『トリプル』計画を壊して欲しいんだ」

 

 昨日の高校の屋上。
 
 
 ホウセンカから言われたことを思い出す。
 
 

 じいちゃんが『トリプル』計画に関わっていたこと。
 
 
 
 それをホウセンカが知っていたこと。
 
 

 そして、隠し続けた『サンゾウ』という本名と過去があったこと。
 
 
 
 最後に、あと五日で『トリプル』計画を壊さないと、全て手遅れになること。
 
 
 

 あまりの情報の多さに、未だに飲み込みきれない。
 
 


「あー、もう
 どうすりゃいいんだよ、わかんねぇ」
 
 

 布団の上でジタバタした。
 

  
 外を眺めても、現実はやっぱり変わらない。
 
 


 俺は起き上がると、机の上のテレビのリモコンを手に取り、電源をつけた。

 
 テレビのランプが緑色に変わり、日の入らない一人の部屋に画面が付く。
 
 

 どうやら、この街の市長選の結果が決まったらしい。
 
 

「……今回の市長選は、三期連続竹取市長が当選となりました
 これから記者発表が始まろうとしております現場の中継に繋いでみましょう
 画面のフラッシュにご注意ください」
 

  
 画面が切り変わり、会見の様子が映し出された。
 
 
 司会者の案内と交互に、その市長は言葉を紡いでいく。
 
 

「それではこれから、竹取オキナの第三期市長就任記者発表を開始いたします
 竹取市長、ご挨拶と一言をお願いいたします」
 
 

「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます
 私は前市長であり、子安ソリューション株式会社の代表でもある竹取オキナと申します
 今期も市長にご選出いただき、感謝申し上げます」

 

「続きまして、就任されてから実施する政策などをお聞かせください」
 
 

「ええ、私は三期にわたりインフラ整備に尽力しました
 道路工事はもちろん特に、民間企業や大学と連携し鉄道事業に尽力してきました」
 

 
 竹取市長は演台から一歩下がり、隣に投影されたプロジェクターの画面に身体を向け、指差す。
 

「そして、この子安ソリューションの力を結集した技術の結晶であります、『トリプル』計画です
 三重の中心地から港への延伸、そこから月面とを行き来できる夢のような計画です」

 
  

「ありがとうございます
 とても素晴らしい計画ですね!人類の歴史が一歩進むような気がします
 それでは、その『トリプル』計画につきまして、もう少し詳しくご説明いただけますでしょうか」
 

「この『トリプル』計画は、皆様ご存知の通り『高速の鉄道で、月と地球を往復できる』夢のような計画です
 その仕組みは、地球の『新三重駅』を出発し、月面に浮かぶドーム状の円盤で出来た『月面ドーム駅』まで繋がっています
 通常地球から何十時間もかかる旅路をわずか一時間で繋げてしまうのです」
 

「なんと、たった一時間で月に行けてしまうんですね!これは驚きですね!
 その中の仕組みはどうなっているんでしょうか?」
 

「リニアモーターカーは電磁石の仕組みを利用して高速で移動します
 ですが、走行する連絡通路は宇宙空間にあります
 途方もない距離であり、無重力かつ空気がありません
 そのため、抵抗をなくすために特殊な液体で『トリプル』連絡通路を満たし、その中を走行するのです」
 

「なんて画期的な方法でしょう!
 ちなみにその液体とは、一体どのような液体なのでしょうか?」
 

「それは企業秘密ですね
 『トリプル』走行時のみ地球に月から流れ出るものになりますが、環境への影響は全くございません」

 
「そうなのですね
 地球環境を配慮しつつ、人類の進歩に貢献した、そんな計画なんですね
 月の公転による地球のと日々異なる『距離』についても注目されていますが、その点はいかがでしょうか?」
 

「その点もご安心ください
 この透明な薄緑色の『トリプル』連絡通路は、伸縮が可能です
 そのため、常に『三重月面駅』着となります
 まさに『月へと伸びる竹』のようです
 しかし、その長さには限度があります」


 
「『月へと伸びる竹』……素敵ですね!
 まるでいにしえの日本の物語のようです
 また、近日中に空飛ぶグローブの『ジェットグローブ』のテスターも募集するんですよね」


「ええそうです
 いくつかの条件がありますので、詳細が発表された際にはぜひたくさんの方に応募してもらいたいものです」 

「竹取市長、ありがとうございました
 なお、この『トリプル』の開通は、二◯三◯年三月三十一日午後三時に『新三重駅』を予定しております
 当日は地元高校生を乗せ、式典を行うとのことです
 続きまして……」

 
 ああ、この式典が見学会のことか、と思った。
 
 
「まだまだ会見の途中ではございますが、気象情報です
 三重県上空で先週から降り続く雨は、今日も止まないままです」

 

 竹取市長には、俺は会った事がない。
 
 
 しかし、その自信満々な面長と変な金色のネクタイ、そしてあまりにも出来過ぎた怪しい計画。

 

 発明家として憧れる計画の取り組みをしているが、やはりどこか気に食わない。
 
 
 
 俺の中の発明家のプライド、みたいなものが反抗しているのだろうか。
 

  
 なんだか、シャクだ。
 
 

「なんかこの市長、胡散臭くて鼻につくなぁ」
 

 俺はおもむろに立ち上がる。
 
 
 冷蔵庫に残っていた紅白饅頭のうち、赤い方だけを取りドカっと音を立てて、ソファーに腰掛けた。

 

 リモコンを手に取ってボタンを押しても、テレビはどの番組も、竹取市長再選の発表と降り続くこの雨の話題ばかりだ。

 
 

「一体、この雨はいつまで続くのでしょうか
 専門家の富士教授にお聞きしましょう
 よろしくお願いいたします」
 
 

 俺が来月から通う大学の教授だ。
 
 
 学部は違うものの、ぼんやりと眺めていたはずのニュースに心が向いてしまう。
 

 

「はい、どうぞよろしくお願いします」

 

 五十歳と表記されているがその年齢とは裏腹に、灰色のスーツはおそらくオーダーメイドで、あえて染めた白髪は味わいのあるカッコいい大人に見えた。

 

「今回、三重県上空で長期的に発生している雨雲は、北からの冷たい空気と南からの暖かく湿った空気が突然現れぶつかり合ったことによるものです」
 


  
 モニターが切り替わる。

 
 
 拡大した地図。


 
 三重県の上に、紅白の斜め線が引かれた。


 

「この発生した雨雲は、二種類の空気が消えない限りは停滞し続けます
 原理は梅雨と同じです
 時期を鑑みて、この線状降水帯の現象を名付けるなら『春雨(はるさめ)』でしょう」
 

  
 紅白饅頭の最後の一口を飲み込んだ。
 
 

「『春雨』ってなんか、食べ物みてえだな」
 

 俺の寝起きの口の中の水分を吸収する、紅白饅頭。
 
 
 思ったよりも乾いた生地は、鮮やかな見た目に全振りした安っぽさを感じた。
 
 

「あとは、この『春雨』は私の推測によると…… 」

 
 富士教授の途中でテレビの電源を切った。


「……あれっ、そういえば」



 食べ終わって皿を洗ったあと、あることを思い出した。
 
 
 それはじいちゃんが亡くなる直前にしていた、『最高傑作』についての会話だった。