春雨に触れたくて

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「……うるせえな!!!!」

 
 唾を飛ばしそうな勢いできしむ椅子に体を預け、ナイロン製のウインドブレーカーを凄い勢いでシャカシャカと音を立てて言い放った。

 
 でもホウセンカの怒鳴り声は、いつも本気で怒っているわけではない。それを俺はわかっている。
 

 
「だってぇ、なんかこの感触気持ちいいじゃん?」
 
 
「だってじゃねぇよ
 何十回とその音聞いてたら気が狂うわ、アホか!」

  
 ガタイのいい猫背で作業をするホウセンカにとって、ずっと隣の席で筒を開けては閉めてを繰り返す音が、さぞかし鬱陶しいかったのだろう。
 

「えー、いいじゃん
 減るもんじゃないし、ケチ」
 

「ケチでも何でもいいから、静かにしてくれよ」

 
 卒業証書の筒はキャップを開けるとき、めっちゃくちゃ良い音がする。
 

 
 筒が分離することで、閉じ込められた空気が外に勢いよく飛び出す。

 まるで水をつかむような滑らかさがクセになる。
 
 
「気持ちはわかるけどそんなんやるの、小学生くらいだぞ
 お前もう、今日で高校卒業なんだから」
 

「はあい
 でも、ホウセンカって優しいよね」
 

「『でも』ってなんだよ、話題を逸らすなよ
 あと急になんだよ、気持ち悪りぃな」

  
 
「だって、どんな時も話すときにはこちらに体を向けてまっすぐ伝えるでしょ?
 その優しさに俺は気づいてるぜ」

 

「ふーん、最後の最後にいいこと言うじゃねぇか
 最後だから感傷に浸り出したか?」
 

 
「何でだろうね
 そのホウセンカが身につけているブローチが似合ってないからじゃね?」
 

「何だよ、今度はけなすのかよ
 上げて落とすタイプか、お前」
 

 

 いつものホウセンカだ。
 
 こちらに指を差しながら説教を垂れる。
 
 それも今日で終わりなんだ。
 

 コーヒーの香りが染み付いた職員室。
 
 いつもの香り。
 
 
 二◯三◯年三月二十四日の職員室の様子はいつもと違う。

 この地域一帯では、どうやら今日が卒業式の学校が多いらしく、ウチの高校でも卒業の日を迎えた。
 

 あちこちでいろんな先生たちが花のブローチをつけた生徒や親に話しかけれ、感謝の気持ちを伝えられている。
 
 
 我が高校は、男女ともに制服がブレザーである。
 

 男子生徒は紺色のジャケットに赤と紺の斜めでデザインされたネクタイが締められ、女子生徒には同じカラーリングのリボンがついている。

 
 白とピンクであしらわれた造花が、その左胸ポケットから顔を出している。


  
 みんな、どこら誇らしげな表情だ。
 

「まぁ、お前なりの卒業式の過ごし方があってもいいか
 ある意味、いつも通りだな」

 
「しょうがないじゃんか
 俺を祝う親だったり、ましてやじいちゃんもいないんだからさ」
 

 ホウセンカはまた、パソコンの作業を再開した。
 

 普通なら親と校門前に立てかけられた飾り花いっぱいの卒業式と書かれた看板と記念撮影を行ったりしているに違いない。

  
「ねぇ、ホウセンカ
 俺今日来る前、あんなに消臭スプレーをしたのに、まだ自分の制服から線香の香りが漂う気がするんだけど
 どうすりゃいいの?」
 

「おう、いいじゃねえか
 香水は校則違反だけど、線香はアウトじゃねぇぞ?まぁ、元気そうでよかったよ
 だから校則に違反して、バイトしてることは黙っといてやるよ」
 

「ちぇっ、バレてたか」

  
 ホウセンカは珍しくこちらを向かず、作業を続けながらパソコンの画面に向かって言葉をこぼす。
 親やじいちゃんのことには触れない、それがホウセンカなりの優しさなのだと感じた。
 

「恐らくこの卒業生の中でこんなに人気のない先生と話し続けている生徒は俺くらいだろうなー」

 
「ハイハイ、ありがとうさん
 おかげさまで、見学会のしおり作りの手が止まるぜ」

 
 
 もちろん、今日俺の親は来ない。
 
 俺が中学に入る前に二人とも病気で亡くなった。
 
 そして、ここまで育ててくれた、じいちゃんも今日はいない。
 

「なぁ、ホウセンカ聞いてくれよ」

  

「何だよ、今度は」


「俺は、いつしかそんなじいちゃんみたいな、いや、じいちゃんを超えるほどの発明家に俺もなりたい」


「……急だな」


「うん、でも本当なんだ」
 

「そうか
 まあ、でも面談の時も、じいさんは何よりもお前の、コブシの将来のことを考えていたよ
 男手ひとつ、お前を育てるその強さを感じた」
 
 

「そうだったのか」
 

 


 視線を外した先の校庭側の職員室の窓には、ボールから守るための緑色の網が張られていた。
 
 そこには降り続く雨に濡れた、水滴がポタポタと不規則に垂れている。
 
 

「なぁ、ホウセンカ
 雨止まないね、卒業式なのに
 桜って、いつ咲くんだろうね」
 

「最近は異常気象らしいな
 今日の晴れ舞台くらい、天気になって欲しかった」
 

「うん、なんかさ、葬式を終えて、まだ数日しか経ってないからか、最近の俺は何か失ったような、水分のない乾いた砂漠のような、そんな感じ」
 

「あぁ、俺もサンゾウさんにはお世話になったからな
 お前も一人でよく頑張ったよ」
 

「いや、シズクが手伝ってくれたんだ
 俺一人じゃ、何もできなかった」
 

「そうか、そうだったんだな」
 
 
「今日も俺の晴れ舞台を見に来る親はいない
 じいちゃんもいない
 でも、俺にはずっとシズクがいてくれた」
 

「そうだな」
 
 
「葬式の手伝いはもちろん、バタバタして学校を休んでいた間も放課後に会いに来てくれたから、寂しくなかった」


  
「ああ…」
 
 
「進学や就職は違うものの、どこかで繋がっている
 そう信じているからこそ、最後の日は来てほしかった」
 

「そうだな
 俺もシズクには、水泳部でたくさん助けられたんだよ
 だから会いたかった
 コブシはあれから喋ってないのか?シズクと」
 

「うん
 インターホンを毎日鳴らしてるのに、出てくれないんだ
 ポストも俺が持ってきた書類でいっぱいだったよ」
 

「そうか……まぁ、俺とお前の仲だし、最後だから教えてやるが、シズクも実はバイトには顔出しているらしいぞ」

 
「えっ、そうなの!?ってか、バイトしてたの!?水泳部の練習に出ながら?」
 

「なんだお前知らなかったのかよ
 とは言っても俺から校則違反の話持ちかけるのもアレだろ?生活のこともあるが、将来の夢のためだそうだ」
 

「……もしかして、図書館司書のこと?」

 
「あぁ、それは知ってたのか」
 

「そりゃ、もちろん
 もう十年以上もの付き合いだからな、知ったのは最近だけど……あっ、付き合いって恋愛とかじゃないぞ!?」

 
「ほーぅ、前から怪しいとは思っていたけど、お前らはやっぱそういう感じなのかー?」
 

「う、うるせぇ!
 そういうホウセンカは、俺とずっと話してて平気なのかよ?卒業式ってそんなにやることねぇのかよ?」
 

「式は終わって、あとは後片付けしかねぇから人気のねぇ教師は暇なんだよ
 あとそのホウセンカって呼ぶのも最後まで辞める気はねぇんだな?相変わらずだよ、コブシは」
 

「人気のない先生って大変だね」
 

 ちょっと煽ってみた。
 

「まあ、自覚してるからな
 この歳になると、生徒を送り出すたびに目頭が熱くなる
 でも今年はなぜか、俺は涙が出ないみたいなんだ」
 
 
 さっきからずっと喋っている、いや、俺が作業の邪魔をしているホウセンカは、生徒も親からも人気がない。

  
 いつも厳しく嫌味っぽく注意をしているせいか、こんな日もずっと自分の席で資料作成をしていた。
 
 

「空っぽのような会話でも、もうしばらくできないと思うと、やっぱり寂しいや
 あっ、でも卒業と言っても来週に見学会あるんでしょ?
 学校にもう来ないのに行事あるって、なんか変だよな」

 
「そうだな
 でも、良かったじゃないか
 まだ学生のイベントが残っててよ」

 
「まぁね、でもなんでこんなタイミングなんだ?
 しかも、今話題の宇宙リニアモーターカーに行けるってのが、少し不思議だね」

 
「そりゃ、お前ら市民の代表として選ばれたんだぞ?
 うちの街の市長であり、プロジェクトを進めた子安ソリューションの代表からの直々の招待だ
 あの『トリプル』に最初に乗れるなんてこの先ないぞ」

 

 なんだかんだでやっぱり会話を続けてくれるところ、ホウセンカは優しいなと思う。

  
 とはいえ、いつも本音ばかりぶつけるホウセンカの割には、珍しい。
 
 
 声色がわざとらしく、明るくて気持ちのこもってないセリフだな、と思った。


 その矢先、ため息をついて愚痴をこぼす。

 
「まあ、おかげでこっちは新学期直前に急遽いくことになったからこうしてしおり作成して、大忙しだけどな」

 
 やっぱり、こっちが本音だったか。
 
 
「どうやら、当日は月と地球を結ぶ夢のリニアモーターカーの『トリプル』に乗って、月に行けるんだってよ
 建物の中は特殊な水で満たされているから、電車みたいに揺れることはなく、動いてないほど静からしい」
 

 気だるそうにホウセンカは、作成途中の見学会のしおりに書かれたスケジュールの備考欄を指差す。
 

「でもさ、そんな乗り心地最高で静かな『トリプル』に乗っちゃったら、全然凄さがわからないんじゃねぇの?」
 

「……なんでお前、そういうこと言うんだよ
 それを言っちまったら元も子もねぇだろが
 まぁ、少なくとも水の中からでも宇宙空間くらいは見えるんじゃねぇか?知らねぇけどよ」
 

 俺はキシキシと音を立てる金属でできた職員用の背もたれに寄りかかる。
 

「コブシ、お前はみんなのとこいかなくていいのかよ
 お前は俺と違って友達多いし、青春の最後の時間だぞ」

 
「別に、来週の見学会でも会えるし…
 シズク、いねぇし
 それと、ホウセンカともう少し話していたいだけ」
 

「…そうか」
 

 ドーン!

  
 ゴロゴロゴロゴロ……
 

 ホウセンカがそういった直後、突然雷の音がガラスを震わせるほどの轟音で響く。

 

 外で写真を撮り合っていた女子生徒たちも大騒ぎで校舎に入ってきたようだ。
 
 
 その雷音を聞くなり、ホウセンカは突然椅子を引いて立ち上がった。
 

 
「コブシ、ちょっと来い」
 

 俺を呼んで、ホウセンカは歩き出す。

 
 こちらを一度も目を合わせず職員室の出入り口に立てかけられた黒い傘を二本手に取って行った。

 

「えっ、あっ、ちょっと急に何だよ!」
 

 俺は、さっきまで遊んでいた卒業証書を筒のまま持って慌てて追いかける。