春雨に触れたくて

 雨の日、その日は雷も鳴っていて、数分傘をささないだけで前髪が顔にへばりつくほどの大雨。

 
「その手で触るんじゃねぇ!嫌がってるじゃないか!!」
 

 沈み切った夕日は、雨雲の向こう側。
 

 誰かの手を振り払った俺は、必死に両手を広げていた。

 
 それは身に覚えのないほど、幼い頃。
 

  
 多分、誰かを守るために。


 
 ……コブシ

 
 ……コブシ


 
「……コブシ!起きろ!」

 
 また誰かの手が伸びる。


 
 守らなきゃ。



 とっさに、その場を立ち上がる。
 

「……だから、離せよ!」

 
 目を開くとそこは、教室。
 
 ホウセンカが立っていた。

  
「……って、え?あれ?」


 居眠りしていた俺を起こすために、バインダーを何度も叩いていたのか、じんわり頭が痛む。


  
 どうやら、夢を見ていたみたいだ。
 

 
「なーに寝ぼけてるんだ!もうすぐ卒業間近だぞ!?
 気を引き締めろ、コブシ」
 

 周りの生徒が、あちこちでクスクス笑っている。
 
 隣の席のシズクも口を抑えて笑っていた。
 

「あっ、すんません」
 

「コブシ、最近大変なのはわかる
 ただ、今は今月末にある見学会のグループ分けをしてるんだ
 だからちゃんと聞けよ?」
 
 

「……はあい、頭痛てぇ」
 

 気の抜けた返事をしてから、席に座わる。
 
 教室で一番窓に近いこの席は、すきま風が入ってきて寒い。

 もうすぐ春なのに。
 

 
「ほら怒られた、寝不足くん」
 

 シズクが自分の口元に手を当てて、ひそひそと隣から小声で茶化してきた。

 何故かこちらもヒソヒソ声で返答する。
  

「うるせぇ!って、もう見学会のグループは決まったのかよ」

 
 
「そうだよ、コブシが寝てる間にね
 ちゃんとあたしと同じグループにしておいたよ、ほら」
 

 
 指差した先の黒板には、各グループごとに名前が書かれており、俺の名前の『小松拳』も書いてある。

 
  
 ちなみに俺の名前はケンだが、戦闘系アニメのような名前で堅苦しいから、みんなはコブシと呼ばれている。

  

「そりゃ安心だ
 俺が居眠りしてても、シズクに何でも教えてもらえる」
 

「あのねぇー
 あたし、あんたの執事でも世話役でもないからね?」
 

「あれっ、違ったの?」
 

「この人はもう……腹立つわねぇ
 それだったらずっと寝てなさいよ!」
 
 

「おい、何度言ったらわかるんだコブシ!
 シズクもだぞ?」
 

 またホウセンカに怒られた。
 



 前の席のリュウがへらへらしながら振り向く。



 
 野球部を引退して、坊主頭に髪が徐々に伸びている。




 
 こいつも俺と同じように変な奴だが、悪い奴ではない。
 

「おいおい、二人とも
 夫婦喧嘩も大概にしろってー」
 

「……ちょっ、夫婦喧嘩じゃないってば!」

 
 慌てるシズクを見て、また周りの生徒があちこちでクスクス笑った。

 

「はいはい、みんないいかー、グループも決まったところで、見学会の簡単な説明をするからプリント見ろー
 しおりは後日配布する」

 
 紙を開く音が教室のあちこちでする。
 
 とりあえず頬杖をついている方の腕の肘の下にあるプリントを広げた。
 

 ん?これって、『トリプル』じゃないか!

 

「今回、見学会で行くのは宇宙リニアモーターカー、通称『トリプル』だ
 この『トリプル』は、月と地球を往復できる『史上最速の交通鉄道』だぞ」

 
「……なんだって!?」 


 
「おい、コブシ
 興奮して勢いよく立ち上がるのはいいが、俺の話を遮らないでくれよ?早く座れ」

 
  
 バクバクする心臓を落ち着かせるように、ゆっくりと椅子を引いた。

 

「夢のようなこの鉄道は、地球から月まで最短一時間で着くことができる
 ほら、この教室からも緑色の管が見えているだろ?」

 

 ホウセンカは、教室の窓の外に見える建築物を指差す。 

 
 
「あれは『トリプル』連絡通路と言って、地球から筒状の専用の道を直接月へ繋がっているんだ
 まるで透明な竹だな」
 

 
 そして、追加でプリントを配る。

 

「今回の見学会はお前達が招待されたんだ
 つまり、初めての搭乗者になれるんだぞ」

 なっ、なんだって……!?

 
 あの、『トリプル』に乗れるのか!?


 
 あまりにも嬉しすぎて、声も出なかった。
 
 

「なぁ先生、何でそのリニアモーターカーは『トリプル』っていうんすか」


 気だるそうに前の席のリュウが手を挙げて質問をした。


 

「おう、良い質問だな
 名称の『トリプル』とは、ここ三重県の三重を直訳するとトリプル、ということにちなんでつけられている
 あとは、連絡通路の構造も関係しているらしいぞ」




 

 

「ふーん……なんか、安直だなー」



 質問した割には適当に返答するんだな、コイツは。
 

 
 
 朝よりもだんだん天気が悪くなってきた。


 


 
 教室の窓に差し込む光はなくなり、ここから見える『トリプル』は、まるで曇天に突き刺さるように見えている。





「隣、いい?」
 


 
 立ち入り禁止の屋上に忍び込み、俺がこっそり弁当を食べてるとシズクが隣に座ってきた。


 
 せっかくの俺だけの空間が台無しだ。



 
「わぁ、びっくりした
 こんなとこ来ちゃダメじゃねぇか、立ち入り禁止なんだからよ」
 

「そういうコブシだって、入ってきてるじゃない」
 

 許可をしていないのに座ってきた。

 
「弁当、作ったのね」

 
「あぁ、昨日の残り物だけどな
 作り慣れないからあんまり美味しくねぇな」

 
「偉いね」

 
「まぁな
 俺、今一人だし」

 
「……ねえ、最近元気?
 ほら、おじいさんのこととかもあったでしょ」

 
「うーん、まぁぼちぼちだな
 でも、じいちゃんが死んでから、変な夢ばっかり見る」

 
「朝も言ってたやつね、変な夢ってどんな?」

 
「それがな、思い出せねぇんだよ
 目覚めたら忘れちゃうし、ただどっかで見覚えあるような景色なんだよなぁ
 なんか、夢というよりは『記憶』って感じだな」

 
「『記憶』ねぇ……思い出したら聞かせてね」

 
 ポツ、ポツ……

 
 頬に冷たい雨が当たった。

 
「あっやばい、雨降ってきた」

 
「ほんとだ、教室戻ろ?」

 
「おい、待てよシズク!
 保冷バッグ忘れてるぞ!」

  




 
 
 帰り道。

 
 俺とシズクは傘をさして歩く。

 
「ねぇ、もうすぐ卒業だね」

 
 シズクは二重でぱっちりとした瞳に鼻筋が通り、色白できれいな顔立ちをしている。

 
 身長は同級生の女子の中でも真ん中あたりで、肩までの黒い髪にはツヤがある。

  
 思春期真っ盛りの高校男子たちから、こっそり注目されている学年の隠れマドンナだった。

 
「あぁ、でも卒業式の後は見学会があるだろ?」

 
「そうだけどさ
 なんか、寂しいね」

 
「そうだな」

 
 サラサラと降り続く雨。

 時折風が吹いて、傘を持つ手の甲にかかる。


  
「なぁ、シズクは大学に行っても水泳続けんのか?」

 
「うーん、まだわかんないかな」

 
「そっか」

 
「でも、とりあえず今週末の最後の大会は全力でやるつもり
 その結果次第、っていうのもあるけどね」

 
「そっか、結果を出せる自信はあるのかよ」

 
「うーん……正直、自信はないよ
 でも、これまでの練習に悔いはないし、あとは本番で気持ちをぶつけるだけかなって
 そうすればきっと、お父さんとお母さんも見ていてくれると思うし」

 
「そうだな
 確かお父さんとお母さんとの約束、だっけ?」

「そう、昔の約束
 あたしが小さい頃、水泳がどうしても習いたくて通わせてくれたの」

 
「ああ」

 
「そしていつか、大会でメダルをかけてあげるって
 喜んでもらうのが、あたしの夢
 きっと、遠くから見ていてくれるはずだから」


  
「きっと大丈夫、シズクならやれる」

 
「ありがとう
 だからね、今コブシの気持ちがわかるの
 だって、おじいさまが亡くなってまだ一週間しか経ってないし……あたしも、大切な人を失った気持ちわかるから」

 
「うん」

 
「だってずっと、コブシは小さい頃からそばにいてくれたから
 だから、今度はあたしに頼ってね、頼らせてね」

 
「ああ、ありがとうな
 俺もさ、じいちゃんと約束したんだ
 じいちゃんを超える、発明家になるって
 だから、ちゃんと大学で学んで、見せてあげたいんだ」
 

「うん、きっと大丈夫
 あたしにも将来なりたいものがあるの」
 

「そうなのか
 何になりたいんだ?」


「あんまり、人に話したことないし、意外だと思うんだけど……」


「なんだよ、言ってみろよ」
 

「……図書館司書」


「図書館司書?」

 
「うん、図書館の本を整理するの」
 

「ふーん、なんか意外だな
 てっきりプール教室を開きたいだとか、体育教師になりたいとかだと思ったぜ
 何でなりたいんだ?」
 

「あたしね、本の世界が好きなの
 新しい本に出会うたび、新しい世界を知れたみたいで
 明日は何を読もうって、明日が楽しみになるの
 だから、そんな図書館にしたいんだ」
 

「そりゃ、いい夢だ
 その図書館、遊びに行くよ」
 

「遊びに行く程度なら、いっそのこと図書館建ててくんない?建築家さん?」
 

「建築家じゃねぇ!発明家だ!!!」
 

「ふふふ、面白い
 ずっと変わんないね」
 
 
「こっちは本気で注意してるのに
 全く失礼しちゃうぜ」

 
 わざと間違えたシズクは、今日一番の笑顔を見せた。

  
 シズクの家の前についた。

 学校から俺の家までの途中に、シズクは住んでいる。

 
「週末、大会見に行くから」

 
「え!ほんと!?ありがとう!
 コブシが応援してくれるなら、大丈夫な気がしてきた!」

 
「はは、それでこそシズクだな
 じゃあ、また明日」

 
「うん、また明日」


 
 手を振って門をくぐる。

  
 いつもと変わらぬ帰り道。

  
 遠くには雨の中、不気味に浮かび上がる建造物『トリプル』が見えていた。

 
 今日のシズクは、少し元気がない気がした。



 ほんの少しだけど、そんな気がした。



 シズクは昔から、不安な時も怖かった時も無理やり明るく振る舞う癖がある。


 両親が急に姿を消した時もそうだった。
 


 
 でも少しだから、きっと大丈夫。




 きっと、大丈夫。
 

 いつもと変わらない、はずだった。


  




 
 次の日の朝も雨は降り続いていた。


 ピンポーン、ピンポーン
 
 
 シズクの家のインターホンを何度押しても、返事がない。

 
「……先行ったのか?」
 
  
 教室の扉を開けると、なんだか騒がしい。

  
 机の上に座ってみんなと喋るリュウが話しかけてきた。


  
「おい、コブシ聞いたかよ?」

 
「何をだよ」

 
「シズク、退部届出したんだってよ」