春雨に触れたくて

 雨上がりの朝はなんだか、できたての地球のようなにおいがする。


 
 雲間から覗かせる太陽の光で、そこらじゅうが温まっていく気がしている。


 時折閉じたまぶたが優しい肌色で、開いた瞬間に透き通る朝のいつもの道が綺麗に見えた。

 

 俺はローファーのすり減ったかかとから、水が入らないように水たまりを避けて学校へ向かった。


 

 
 朝日が水たまりを反射して、あちこちを明るく照らしている。


 高校三年生。


 早く大人になれ、と急かしてくる時期。


 そんなこと言わなくても時間は過ぎていく。


 あぁ、いつまでも夢を追いかけて行けたらいいのに。
 

 その当たり前が、いつまでも続けばいいのに。

 
 時折、地面に気をつけながら空を見上げていると、後ろから急に誰かが姿を現した。



「おはよ!」
 

「ああ、シズク……おはよう」
 

 
「なんか朝、テンション低いじゃん
 どうしたの?」


「いや、なんでもないんだ……」

 
「なんでもなくないでしょ、クマ出来てるよ?
 寝不足なの?」

  

「ああ、眠れなくて……
 いつも同じ嫌な夢見るんだよ、起きた時には忘れるんだけど」
 

「ふーん、そうなんだ
 あんまり無理しちゃだめだよ」
 

「ああ、ありがとう
 それよりニュース見た?」

 
「それよりって、体大事にしてよね……本当にわかってるんだか……」

 
「わかってるって、大丈夫だよ」
 

「ふーん……それで、ニュースって?」

 
「子安ソリューションの新発明さ!
 まだ見た目は公開されてないけれど、空飛ぶグローブだって!
 かっこいいよな〜」

 
「空を飛ぶ!?そんなのできるものなの!?」

 
「ああ!だって、あの子安ソリューションだぜ?
 月に繋がるリニアモーターカー『トリプル』だってもうすぐ完成って話だろ?実現できるに決まってる!」
 

「まあ、そうよね……でも、手袋なんか飛ばしてどうすんのよ」
 

「ちげぇよ!手袋をつけたら、ジェット気流が出て、空を飛べるんだってさ!
 誰だって飛びたいだろ、空なんて」

「まあね……でもあたしはいいわなんか危なそうだし……
 発明家を目指しているコブシならぴったりよね」
 

「なんでも、『グローブテスター』って言って、試験的に着用してくれる人を探してるらしいぜ!
 ただ、子安ソリューションの一番偉い人は、なんか偉そうで気に食わないけどな
 俺も受けてみようかな〜」

  
「そういえばね、来週水泳部の大会なの!
 コブシ、見に来てくれない?」
  

 朝、ゆっくりで進む通学路。
 
 
 ぼんやり体が重い。
 

 最近、天気が良くないせいか、低気圧気味らしい。

 
 それにも相変わらず、朝からシズクは元気だ。

 
 寝癖のついたままの俺とは違って、整えられたハーフアップの髪型やリップ。
 

 どこにそんな時間が朝にあるんだよ。
 
 すげぇなぁって、思う。


 

 二◯三◯年三月十七日、卒業式まであと一週間。
 
 
 小学校から一緒に通った日々ももうすぐ終わりだ。
 

 この制服を着ることもない。
 
 俺たちはそれぞれの大学に進む。
 
 
 視線を横切る校則ギリギリのスカート丈も、
 
 なぜだか直視できない瞳も。
 

「ねぇ、聞いてる?」
 

 水泳部のエナメルバックを揺らして、こちらみてくる。

 
 後ろに組んだ腕は、斜めになった体のバランスを保った。

 
「ん?……ああ、聞いてる聞いてる
 大会だっけ、水泳の?」

 
「もう、まだ寝ぼけてんの?だから言ったでしょ?
 今週末の土曜日、市民プールで水泳の大会があるの
 あたしの水泳部生活最後の試合、来てくれるでしょ?」

 
「ああ……その日はバイトが……」

 
「そっか……残念
 そういえば、最近生活は大丈夫そう?
 おじいさんが亡くなってからずっと一人じゃないの」
 

「まぁ、じいちゃんが遺してくれた分でなんとか、な
 発明を続けるためだと思えば、なんてことないぜ!」
 

「そっか、あまり無理しちゃダメだよ? 
 あと……やっぱり途中からでも大会良いから来てね、無理はしないでほしいけど」
 

「ああ、今日放課後のシフトで店長に聞いてみるよ
 練習頑張ってたもんな、ずっと」


「……ほんと!?よろしくね!」 
 

 水泳部キャプテンのシズクは部活の話をする時、とても楽しそうにする。
 
 
 シズクは校内でも水泳において、地区大会をいくつも総なめにしていることから有名人だ。
 
 
 
 ある夏の放課後、部活に入っていない俺は学校内駐輪場の近くにあるプールを覗いたことがあった。
 

 キラキラと水面が反射する二十五メートルで、新記録を更新して飛び跳ねていた。
 
 
 そんな一生懸命な姿を見ていると、元気をもらえる。
 


 
「おい!早く入れ!もうすぐチャイム鳴るぞ!」
 

 学校の校門に立っていたのは、蓬莱先生だ。
 
 絵に描いたような教師で、いつも黒いジャージに竹刀。

 俺が『ホウセンカ』と呼んでる。

  
 腕時計を見ると、登校時間終了のチャイムまであと三分。

 しまった、ゆっくり喋りすぎた。
 

「うるせえ!だから人気ないんだよ、ホウセンカ!」

 
「コブシ!つべこべ言わず、早く行け!
 あと、ホウセンカじゃねぇ!蓬莱先生と呼べ!」

 
 はたから見ると怒鳴り合ってるが、これがホウセンカと俺らなりのコミュニケーションだ。
 
 
「ほら、コブシ!早く行こう!」
 

「おい、待てよ!」


 朝のチャイムが鳴った。