取材ノート:10月30日 雨

 綾野紹子と最初に会った時、日本神話においてウマやウシがどうやって生まれたかについて少しだけ触れたが、あの話には前段がある。
 ある時、月夜見尊という神が、保食神という女神を訪ねた。女神は米や魚や獣を吐き出して月夜見尊をもてなそうとしたのだが、彼は吐瀉物を食べさせられかけたことに怒り、彼女を殺してしまう。そして殺された女神の死体から、牛馬、粟、蚕、稗、稲、麦、大豆、小豆など、あらゆる種が生まれた、というのだ。
 死体から穀物などを生み出した保食神は、食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」ということから牛や馬の神とされ、神仏習合の際には馬頭観音と同一視されるようになった。
 日本神話の冒頭にあるこの説話は、東南アジアを中心に存在するハイヌウェレ神話型のひとつとみなされている。似た範囲が広範囲に分布しているのだ。これらの神話の奥底には、女性がもつ妊娠出産という神秘的な能力に対する畏敬の念がある。
 重要なのは、「女性の死体から、食べ物が芽生えた」という点だ。新たな生命を生み出す力は、万病を癒す力と同一視できるほど人知を超えた力だと考えることもできるのではないだろうか。今の医学をもってしても治せない病気でさえ。
 人は、神話を再現することで、自らにも神性を宿らせようとするときがある。
 たとえばキリスト教では、ミサの最後にパンと葡萄酒を口に含む。それは、新約聖書に記された、イエスが十字架にかかる前夜、弟子たちと共にパンと葡萄酒を分かち合った場面の再現だ。しかもパンと葡萄酒はキリストの「体と血」であるともされる。この儀式には、信者が自らのうちにキリストを取り込み、一体化させる効果がある。

―――――肥料がね、大事なんです。
―――――梨花ちゃんって、女神様みたい。

 綾野紹子と最初に会った時に言っていた彼女の言葉を脳内で繰り返しながら、私は包丁を手に取った。