取材ノート:10月26日 晴

 結局あのあと、綾野さんは「姑獲鳥の肉団子」について何も語ってくれなかった。
 去り際、「知っている人だけ知っていればいいことなんです」と言い残したのが、あるいは彼女なりに私に与えてくれた答えではあったのかもしれない。
 何かあるということだけ仄めかされて、解決篇のないミステリを読んだ時のような後味の悪さを噛みしめている。そのとき、たまたま読んでいた新聞記事に、聞いたばかりの女性の名前があった。
 戸宮梨花。
 リコピンさんこと、綾野紹子さんが友人として名前を挙げていた女性だ。
 これを単なる偶然とは思えなかった私は、会社員時代の伝手を辿って、戸宮梨花の遺族の連絡先、住所を手に入れた。
 フリーのライターは時間だけはたっぷりある。私は早速、そのマンションに足を運んだ。インターホンを鳴らしても当然のように返事はなかったが、予想の範囲内だ。私は、書いてきた手紙を郵便受けにいれて帰宅した。
 手紙は先ずお悔やみの言葉から始まり、「綾野紹子さんと戸宮梨花さんの関係が知りたい」という要件、最後に私の電話番号を書いた短いものだった。その日の晩、戸宮梨花さんの遺族、つまり夫から電話があった。

「困ってるんですよ、俺が犯人みたいに言われて」
 追い詰められた人間は、怯えるか、あるいは怒り出すことが多い。どうやら彼は後者のようだった。
 壊れたマシンガンのように、警察やマスコミへの不満がぶつけられる。自分は仕事があるのでこの街を離れるわけにはいかず、報道にほとほと困っているらしい。行方不明になったのは半年以上前で、その時には何もしてくれなかったのに、などという怨嗟と怒号に耐え、ただひたすら「大変ですね」「あなたを疑うなんてとんでもない」「真犯人が見つかればいいんですが」というような、彼からの心証がよくなるような言葉を選んで繰りかえした。
「そう、真犯人ですよ。あの女が犯人だって証拠とか、握ってないんですか」
 問われて、私は「いいえ、そこまでは……」と答えるしかなかった。あの女、というのは、私が彼を信用されるために書き添えた、綾野紹子のことだろう。彼はどうやら、自分自身に疑いがかけられて憤慨しているが、かといって犯人が誰かがわからない、というところに焦っているようだった。自分以外なら誰でもいいのだろう。「あの女が犯人ならいいのに」と大きな舌打ちが受話器越しに私の耳を打つ。
「綾野さんは、梨花さんの友人と伺ってますが」
「そりゃ、友人ではありましたよ。結構頻繁に会いに行ってましたし、お互いの家も行き来してました。俺も何度か会いましたけど、でも、なんかいっつもニヤニヤしてて妙な女だな、って思ってたんです。梨花は優しい奴だったから、可哀そうだと思うと見捨てられないんですよ。ガンかなんかで身内が死んだ時も、ずっとウンウン頷いて話聞いて、慰めてやってたんですよ」
「なにか、金銭トラブルとかは」
「ないですよ、ない。梨花はその辺はしっかりした女でした。情には厚くてね、色んなやつの悩み聞いてやってみたいですけど、どんなに親しくてもお金の貸し借りはなし、って決めてたみたいです。訪問介護士をしてたもんで、話好きな利用者さんとずっとお喋り、なんてことはありましたけどね。サービス残業みたいなもんなのに」
「特に親しかった利用者さんなんているんですか」
「いますよ。もうほとんど友達みたいになって、休みの日にも遊びにいってますし。でもほんと、茶飲み友達みたいな感じで、トラブルなんて聞いたことがないです。要介護の爺さんと婆さんばっかりだから、流石に梨花を殺せっこないですよ」
 その後も、彼の愚痴をただひたすら聞きながら、なんとか、戸宮梨花が特に親しかったという老人の名前と住所を聞くことが出来た。
 彼が話疲れたのか、一方的に電話を切ろうとしたので、慌てて
「姑獲鳥って知ってますか?」
 と聞いてみたが、彼は
「なんですか、それ。聞いたこともないです」
 というだけだった。