取材ノート:10月20日 晴
「連絡をくださったライターさんですよね。私、リコピンです」
「ああ、お待ちしてました。今日はありがとうございます」
「いえいえ。よろしくお願いします」
リコピンさんは、三~四十代の女性だった。柔らかい髪を高い位置でひとまとめにして、清潔感のあるコットン生地のワンピースを着ている。アクセサリーのたぐいはつけておらず、化粧もほとんどしていないのだが、顔色は明るくて健康そうだった。レシピサイトのコメント欄でうかがい知れた、フレンドリーな主婦、という人物像そのものだ。
「お越しいただいちゃってすみません」
「いえいえ。レシピ見てくださったんですよね。お料理好きなので嬉しいです」
「はい。リコピンさんの料理、どれも美味しくて。真似させていただいております」
「なんだか外でその名前で呼ばれると恥ずかしいですね」
「すみません、なんとお呼びすればいいでしょうか?」
「私、綾野紹子って言います」
「じゃあ、綾野さんとお呼びしますね」
私の目的が、姑獲鳥の肉団子にしかないということを悟られたら、警戒して取材に応じてくれないかもしれない。
そう考えた私は、取材の目的を、レシピサイトのヘビーユーザはどんなことを考えているのかというテーマの記事のため、と説明していた。そのため、序盤はあたりさわりのない話題に終始しようと、和やかなムード作りを心掛ける。
「私も、もっと自炊しなきゃいけないって思うんですけど、なかなかできないので尊敬します。健康にいいですよね、自炊のほうが」
「そうなんですよ」
彼女は、声に力強さを込めて言った。
「私の家族、病気で早死にしちゃって」
「それは……」
いきなりヘビーな話題をふられて、私は息をのんだ。初対面の人間に、出会って三分で切り出す話ではないと思うのだが、彼女はそう言ったことに無頓着のようだった。人との距離の詰め方が独特の人間がいるが、彼女はその類の人間であるのかもしれない。
「母も私が若い時に病気で死にました。そういう家系なんです。だから私、健康っていうか、オーガニックにはこだわってて」
「アップされているレシピも、お野菜のものばかりですものね」
私は慎重に言葉を選んだ。ここからなんとか、「でも一つだけ例外がありますよね」という話につなげられないか、と思ったが、まだ早いだろう。彼女の勢いは止まらない。
「そう。野菜中心の食生活にしているんです。最近は自分でもベランダで育ててるんですよ。ミニトマトとか」
「すごい。こだわっていらっしゃるんですね。この間あげていらっしゃったレシピもトマトでしたよね。あれも、もしかしてご自分で育てられたんですか?」
「そうなんです」
私の指摘は、彼女を上機嫌にしたようだった。
「やっぱり、野菜を育てるのに一番大事なのって土なんですよ。どういう肥料で育ってるかで野菜の味とか栄養って決まってくるんです。農家の人とか、野菜じゃなくて土を育てる仕事だ、って言ったりしますよね。私、やってみてそれが本当によくわかって」
「ええ」
「最近はもちろん、化学肥料とかもありますし、その方が効率がいいんでしょうけど、私はやっぱり有機栽培に拘りたいんです。化学肥料って、石から作ったりするんですよ。必要な成分だけ抽出して……。それって、なんだか冷たい感じがしませんか?」
「しますね。口に入るものですし」
私は微笑みながら頷いた。好きなことを話している時、少し早口になる人がいる。どうやら彼女はそのタイプだった。私の本来の目的を考えれば、このまま口を滑らせてしまう雰囲気を維持したい。
「そうですよね。やっぱり、有機肥料のほうが自然にもいいし、自然にいいものって、健康にもいいと思うんです。今はもうどの原料でつくればどの成分が多くなるのか、っていうのがわかってるので、使い勝手もそんなに化学肥料と変わらないんですよ。カリウムが欲しい時は牛糞とか、リン酸が欲しいときは肉骨粉とか、窒素が欲しい時には油粕とか……」
「便利ですね。凝りがいもありそうですし」
「ええ。育てたいお野菜にぴったりな肥料を考えるのが楽しくて。逆に、手に入れた肥料にぴったりなお野菜はどれかな、とか」
そのあとしばらく、彼女の家庭菜園の話を聞いた。
トマト、ハーブ、芋、ホウレンソウにキュウリ。
思ったより手広く育てていた。私は素直に、
「お庭が広いんですね。そんなにたくさん種類を育てられて、もうプロじゃないですか」
と驚いてみせた。
「そんなことないんですけど、プランターも使って、出来る限りおおく植えられるように工夫してるんです。自分なりに調べたりして」
と彼女ははにかむ。
そろそろ本題に入ってしまわないと、時間切れになってしまうかもしれない。私はごく自然を装って切り出した。
「綾野さんのアップされていらっしゃるレシピって、どれも野菜中心ですよね」
「ええ。別に、ビーガンとかそういうわけじゃないんですけど、でも、お肉ってなんだか……気持ち悪いじゃないですか」
「気持ち悪い?」
「動物の死体を、似たり焼いたりするっていうのが」
「ああ……」
「スーパーとかも、グロテスクだなって思うんですよね。何日か前に殺された動物の死体を、モモだ、ムネだ、って切り分けて、お値段つけて。ぐちゃぐちゃにしたミンチ肉とか、よくみんな食べられるな、って思っちゃうんです」
彼女は眉を顰めた。言われてみれば、その感覚はわからないでもない。私は曖昧に頷いてから、
「でも、綾野さんのアップされているレシピ、全部見たんですけど、あの、一つだけお肉料理がありますよね?」
「ああ、姑獲鳥の肉団子のことですか?」
「そうです」
彼女の方からレシピ名を言ってくれて、少し安心した。あれは単なるいたずらなんです、と言われてそれで話が終わる可能性も考えてはいたのだが、
「あのレシピは実家を片付けしている時に思い出したんです。そういえば祖母から聞いたことがあるな、って。私には家族がもういないので、私が死んじゃったりしたらどこにも残らないことになるじゃないですか。それはもったいないから、誰かが見つけてくれたらいいなって思ってアップしたんです。ライターさんが見てくれて嬉しいです」
彼女の言葉に親切面して頷きながら、私はあくまでもさりげなく尋ねた。
「あれって、なんの肉なんですか?」
「…………」
彼女はそれまでの笑顔のまま、黙ってコーヒーを口に運んだ。
ゆっくりとした瞬きの間中、じっと見つめられて、私は戸惑った。その瞳には深海魚のように光がなく、私に続きを促していた。彼女の方からはなにも情報を開示する気がないことがわかったので、私は口を開いた。
「ええと………聞いたことない鳥だな、と思って調べたんですが、姑獲鳥って、伝説の鳥……ですよね。かっぱとか、ツチノコみたいな。それのレシピっていうのが、どういうことなのかなって」
「………」
彼女は微笑んでいるが、それだけだ。口元に浮かんだ微笑は深まる一方だが、それでも彼女は何も語りださなかった。
「たとえば、……獲っちゃいけない鳥の……別名だったりするのかなって」
一応、声を潜めて聞いてみると、彼女からやっと反応があった。ふるふると首を横に振ったのだ。だが、それだけだった。私は途方に暮れそうになったが、あきらめずに話し続けた。
「じゃあ……他の肉、牛肉とか馬肉のことを、この辺りでは昔からそう呼んでいた、とかあるんですか? ほら、大根のことを、昔はスズシロって読んでたとかいいますし。今でも、七草として呼ぶときにはそう言ったりしますけど。そんな感じで、昔と今で呼び方が変わることってあると思うので」
「どうしてそんなことを?」
ようやく彼女から言葉が返ってきたが、それはさらに私に説明を促すものだった。
ありふれた喫茶店の賑やかな空気が、今や裁判所の重みを帯びていた。
私は弁明を求められている被告人のような気分で言葉を重ねる。
「ええと……江戸時代、第五代将軍の徳川綱吉が、生類憐みの令を発令したから、とかどうでしょう。あの時代、四本足の動物を食することを禁じられましたけれど、でも、そうはいっても貴重なたんぱく質ですから、実態は食べられていたはずですよね。兎のことを、一頭じゃなくて一羽、って数えたりしますけど、あれも、うさぎは鳥の仲間だから、四本足の動物とは違うから食べて良いんだ、ってことにしたのもこの時代だったと思います。それだけじゃなくて、イノシシのことを山鯨と呼んで、魚に見立てて食べた、っていうのも聞いたことがありますし。そういう風に、本当は鳥じゃない肉のことを、姑獲鳥っていう鳥なんだって、見立てて食べるっていうのはあり得る話なんじゃないかなって思って」
「………」
まただんまりだ。
沈黙で強張った空気はもう元には戻せない。私は、とりあえず何でもよいので、何か話す言葉を探した。
「日本人って、もともとそこまで肉食文化がなかった、っていうのはよく言われることだと思うんですけど、でも、ゼロではなかったはずなんです。日本書紀にはウシとかウマとかがどうやって誕生したのか、っていう話がちゃんと載ってますし、七世紀の天武天皇が、コメの収穫の時期にウシやウマを殺してはいけない、鹿やイノシシはこう狩りなさい、っていう法律を作ったりしていました。逆説的に言えば、その時代までは禁じなければならないくらい当たり前に、ウシやウマを食べていた、ってことだと思うんですよね。元々は、コメをつくるために必要な労働力としての家畜は大事にしなさい、って意味だったのが、仏教の影響が強くなって肉食はいけないことだとされる価値観が広まったり、さっきも言いましたけど生類憐みの令があったりして、隠れてやらなければならないタブーにまでなっていってしまって、……食べてはいけない獣の肉を、あえて、架空の鳥の名前で呼ぶこともあったのかもしれないなって」
「……ライターさんって詳しいですね」
彼女は空になったコーヒーカップをおいて、ナプキンで口元を拭いた。
口紅の赤をかくすように内側に折り畳みながら、私を見る。
「それに、梨花ちゃんと同じことを言ってます」
「梨花ちゃん?」
「戸宮梨花ちゃんです。高校時代の友達なんです。ずっと近所に住んでて。私がお葬式で大変なときも色々話を聞いて、支えてくれたんです。産休中で時間があるから、って。梨花ちゃんって、女神様みたいに優しいんですよ。でも」
「でも?」
「今、行方不明なんです」
「連絡をくださったライターさんですよね。私、リコピンです」
「ああ、お待ちしてました。今日はありがとうございます」
「いえいえ。よろしくお願いします」
リコピンさんは、三~四十代の女性だった。柔らかい髪を高い位置でひとまとめにして、清潔感のあるコットン生地のワンピースを着ている。アクセサリーのたぐいはつけておらず、化粧もほとんどしていないのだが、顔色は明るくて健康そうだった。レシピサイトのコメント欄でうかがい知れた、フレンドリーな主婦、という人物像そのものだ。
「お越しいただいちゃってすみません」
「いえいえ。レシピ見てくださったんですよね。お料理好きなので嬉しいです」
「はい。リコピンさんの料理、どれも美味しくて。真似させていただいております」
「なんだか外でその名前で呼ばれると恥ずかしいですね」
「すみません、なんとお呼びすればいいでしょうか?」
「私、綾野紹子って言います」
「じゃあ、綾野さんとお呼びしますね」
私の目的が、姑獲鳥の肉団子にしかないということを悟られたら、警戒して取材に応じてくれないかもしれない。
そう考えた私は、取材の目的を、レシピサイトのヘビーユーザはどんなことを考えているのかというテーマの記事のため、と説明していた。そのため、序盤はあたりさわりのない話題に終始しようと、和やかなムード作りを心掛ける。
「私も、もっと自炊しなきゃいけないって思うんですけど、なかなかできないので尊敬します。健康にいいですよね、自炊のほうが」
「そうなんですよ」
彼女は、声に力強さを込めて言った。
「私の家族、病気で早死にしちゃって」
「それは……」
いきなりヘビーな話題をふられて、私は息をのんだ。初対面の人間に、出会って三分で切り出す話ではないと思うのだが、彼女はそう言ったことに無頓着のようだった。人との距離の詰め方が独特の人間がいるが、彼女はその類の人間であるのかもしれない。
「母も私が若い時に病気で死にました。そういう家系なんです。だから私、健康っていうか、オーガニックにはこだわってて」
「アップされているレシピも、お野菜のものばかりですものね」
私は慎重に言葉を選んだ。ここからなんとか、「でも一つだけ例外がありますよね」という話につなげられないか、と思ったが、まだ早いだろう。彼女の勢いは止まらない。
「そう。野菜中心の食生活にしているんです。最近は自分でもベランダで育ててるんですよ。ミニトマトとか」
「すごい。こだわっていらっしゃるんですね。この間あげていらっしゃったレシピもトマトでしたよね。あれも、もしかしてご自分で育てられたんですか?」
「そうなんです」
私の指摘は、彼女を上機嫌にしたようだった。
「やっぱり、野菜を育てるのに一番大事なのって土なんですよ。どういう肥料で育ってるかで野菜の味とか栄養って決まってくるんです。農家の人とか、野菜じゃなくて土を育てる仕事だ、って言ったりしますよね。私、やってみてそれが本当によくわかって」
「ええ」
「最近はもちろん、化学肥料とかもありますし、その方が効率がいいんでしょうけど、私はやっぱり有機栽培に拘りたいんです。化学肥料って、石から作ったりするんですよ。必要な成分だけ抽出して……。それって、なんだか冷たい感じがしませんか?」
「しますね。口に入るものですし」
私は微笑みながら頷いた。好きなことを話している時、少し早口になる人がいる。どうやら彼女はそのタイプだった。私の本来の目的を考えれば、このまま口を滑らせてしまう雰囲気を維持したい。
「そうですよね。やっぱり、有機肥料のほうが自然にもいいし、自然にいいものって、健康にもいいと思うんです。今はもうどの原料でつくればどの成分が多くなるのか、っていうのがわかってるので、使い勝手もそんなに化学肥料と変わらないんですよ。カリウムが欲しい時は牛糞とか、リン酸が欲しいときは肉骨粉とか、窒素が欲しい時には油粕とか……」
「便利ですね。凝りがいもありそうですし」
「ええ。育てたいお野菜にぴったりな肥料を考えるのが楽しくて。逆に、手に入れた肥料にぴったりなお野菜はどれかな、とか」
そのあとしばらく、彼女の家庭菜園の話を聞いた。
トマト、ハーブ、芋、ホウレンソウにキュウリ。
思ったより手広く育てていた。私は素直に、
「お庭が広いんですね。そんなにたくさん種類を育てられて、もうプロじゃないですか」
と驚いてみせた。
「そんなことないんですけど、プランターも使って、出来る限りおおく植えられるように工夫してるんです。自分なりに調べたりして」
と彼女ははにかむ。
そろそろ本題に入ってしまわないと、時間切れになってしまうかもしれない。私はごく自然を装って切り出した。
「綾野さんのアップされていらっしゃるレシピって、どれも野菜中心ですよね」
「ええ。別に、ビーガンとかそういうわけじゃないんですけど、でも、お肉ってなんだか……気持ち悪いじゃないですか」
「気持ち悪い?」
「動物の死体を、似たり焼いたりするっていうのが」
「ああ……」
「スーパーとかも、グロテスクだなって思うんですよね。何日か前に殺された動物の死体を、モモだ、ムネだ、って切り分けて、お値段つけて。ぐちゃぐちゃにしたミンチ肉とか、よくみんな食べられるな、って思っちゃうんです」
彼女は眉を顰めた。言われてみれば、その感覚はわからないでもない。私は曖昧に頷いてから、
「でも、綾野さんのアップされているレシピ、全部見たんですけど、あの、一つだけお肉料理がありますよね?」
「ああ、姑獲鳥の肉団子のことですか?」
「そうです」
彼女の方からレシピ名を言ってくれて、少し安心した。あれは単なるいたずらなんです、と言われてそれで話が終わる可能性も考えてはいたのだが、
「あのレシピは実家を片付けしている時に思い出したんです。そういえば祖母から聞いたことがあるな、って。私には家族がもういないので、私が死んじゃったりしたらどこにも残らないことになるじゃないですか。それはもったいないから、誰かが見つけてくれたらいいなって思ってアップしたんです。ライターさんが見てくれて嬉しいです」
彼女の言葉に親切面して頷きながら、私はあくまでもさりげなく尋ねた。
「あれって、なんの肉なんですか?」
「…………」
彼女はそれまでの笑顔のまま、黙ってコーヒーを口に運んだ。
ゆっくりとした瞬きの間中、じっと見つめられて、私は戸惑った。その瞳には深海魚のように光がなく、私に続きを促していた。彼女の方からはなにも情報を開示する気がないことがわかったので、私は口を開いた。
「ええと………聞いたことない鳥だな、と思って調べたんですが、姑獲鳥って、伝説の鳥……ですよね。かっぱとか、ツチノコみたいな。それのレシピっていうのが、どういうことなのかなって」
「………」
彼女は微笑んでいるが、それだけだ。口元に浮かんだ微笑は深まる一方だが、それでも彼女は何も語りださなかった。
「たとえば、……獲っちゃいけない鳥の……別名だったりするのかなって」
一応、声を潜めて聞いてみると、彼女からやっと反応があった。ふるふると首を横に振ったのだ。だが、それだけだった。私は途方に暮れそうになったが、あきらめずに話し続けた。
「じゃあ……他の肉、牛肉とか馬肉のことを、この辺りでは昔からそう呼んでいた、とかあるんですか? ほら、大根のことを、昔はスズシロって読んでたとかいいますし。今でも、七草として呼ぶときにはそう言ったりしますけど。そんな感じで、昔と今で呼び方が変わることってあると思うので」
「どうしてそんなことを?」
ようやく彼女から言葉が返ってきたが、それはさらに私に説明を促すものだった。
ありふれた喫茶店の賑やかな空気が、今や裁判所の重みを帯びていた。
私は弁明を求められている被告人のような気分で言葉を重ねる。
「ええと……江戸時代、第五代将軍の徳川綱吉が、生類憐みの令を発令したから、とかどうでしょう。あの時代、四本足の動物を食することを禁じられましたけれど、でも、そうはいっても貴重なたんぱく質ですから、実態は食べられていたはずですよね。兎のことを、一頭じゃなくて一羽、って数えたりしますけど、あれも、うさぎは鳥の仲間だから、四本足の動物とは違うから食べて良いんだ、ってことにしたのもこの時代だったと思います。それだけじゃなくて、イノシシのことを山鯨と呼んで、魚に見立てて食べた、っていうのも聞いたことがありますし。そういう風に、本当は鳥じゃない肉のことを、姑獲鳥っていう鳥なんだって、見立てて食べるっていうのはあり得る話なんじゃないかなって思って」
「………」
まただんまりだ。
沈黙で強張った空気はもう元には戻せない。私は、とりあえず何でもよいので、何か話す言葉を探した。
「日本人って、もともとそこまで肉食文化がなかった、っていうのはよく言われることだと思うんですけど、でも、ゼロではなかったはずなんです。日本書紀にはウシとかウマとかがどうやって誕生したのか、っていう話がちゃんと載ってますし、七世紀の天武天皇が、コメの収穫の時期にウシやウマを殺してはいけない、鹿やイノシシはこう狩りなさい、っていう法律を作ったりしていました。逆説的に言えば、その時代までは禁じなければならないくらい当たり前に、ウシやウマを食べていた、ってことだと思うんですよね。元々は、コメをつくるために必要な労働力としての家畜は大事にしなさい、って意味だったのが、仏教の影響が強くなって肉食はいけないことだとされる価値観が広まったり、さっきも言いましたけど生類憐みの令があったりして、隠れてやらなければならないタブーにまでなっていってしまって、……食べてはいけない獣の肉を、あえて、架空の鳥の名前で呼ぶこともあったのかもしれないなって」
「……ライターさんって詳しいですね」
彼女は空になったコーヒーカップをおいて、ナプキンで口元を拭いた。
口紅の赤をかくすように内側に折り畳みながら、私を見る。
「それに、梨花ちゃんと同じことを言ってます」
「梨花ちゃん?」
「戸宮梨花ちゃんです。高校時代の友達なんです。ずっと近所に住んでて。私がお葬式で大変なときも色々話を聞いて、支えてくれたんです。産休中で時間があるから、って。梨花ちゃんって、女神様みたいに優しいんですよ。でも」
「でも?」
「今、行方不明なんです」


