「ただいまー。はー、つっかれたー」

 弾丸スイーツ探訪、兼ユニバ旅行から帰宅すると同時、甘乃は荷ほどきもそこそこにベッドにダイブした。

 東京に来て、この1Kの部屋に住み始めてまだ一年と少しだがすっかり甘乃にとってのホームだった。実家は実家で安心感があるのだが、この部屋には実家にはない解放感のようなものがあった。

「っと、あかんあかん。忘れへんうちに投稿の準備せえへんと」

 そんな感覚ゆえに脱力して寝落ちしそうになっていた意識を奮い立たせる。夜行バスでしっかり寝たはずなのだが、眠いものは眠い。

 シャワーを浴びて眠気を吹き飛ばした後、クッションに背中を預ける形でテーブルに向かい合う。
 そしてノートパソコンを起動。大学生ならレポートなどに必要だろうということで入学を機に買ってもらったそれは、今の甘乃にとってはすっかりレビュー投稿をするためのものとなっていた。テーブルには蓮華にもらった近世文学論の過去問プリントもあったが、そっちの勉強は後回しだ。

「どんなかんじで書こっかなあ」

 下書き用で開いたメモファイルを目の前に、甘乃は腕組みをして考える。この時間が一番の苦行だった。もともと文章を書くのが得意ではない。なおかつ甘乃が投稿しているSNSは入力できる文字数に制限がある。限られた文字数でいかに閲覧数を稼げる文章を書けるか、そこがすべてといっても過言ではない。

「とりあえず、先人のを参考にさせてもらお」

 スマホを取り出すと、ブックマークした記事にアクセスする。まずはあの店を見つけたきっかけでもある『スイーツ大好きおじさん』の口コミだ。

「短くまとまってるとは思うんやけど、もうちょいスイーツの感想にスポット当てたいねんなあ」

 同じような内容ではおもしろくない。それに甘乃が投稿しているSNSはこの口コミサイトよりも書ける文字数がずっと少ない。

 続いて開くのは動画アプリ。グルメハンターを自称する動画配信者『ニモニモ』の【行ってみた】動画だ。モザイクがかかっているが、臨場感はさっきの口コミよりある。とはいえ、

「動画と文章じゃぜんぜん違うから参考にできひんなあ……。ていうかこの人のスイーツ大好きおじさんも、ぜんぜん投稿してへんやん」

 プロフィール画面に移行してみれば、投稿があの店の【行ってみた】動画から一本も新しい動画が投稿されていなかった。先ほどの口コミ投稿者も同じだった。まあ、こういうレビュワーの世界も入れ替わりが激しいし、何か事情があって続けていくことを断念したのかもしれない。

「あ、二人とも同じハッシュタグつけてる。試しにこれで検索してみよ」

 と、「#スイーツに飢えてます」というハッシュタグが目についたのでSNSで検索してみることにする。甘乃自身も使ったことがなければ、見かけたこともほとんどないものだった。案の定ほとんど投稿はヒットしなかった。
 唯一、店に行った人と思しき『ゆーごろう@社畜リーマン』という名前のアカウントは見つかったが、これもまた投稿がぱったりと途絶えているし、何より文字化けしていていたずらの可能性が高い。

「……しゃあない。こうなったら最終兵器やな」

 参考にできそうなものはない。
 アプリを終了させ、代わりに開いたのはカメラロール。ずらりと並んでいるのはユニバで蓮華と撮った写真たち。それを上へ上へとスクロールさせていく。
 やがて出てきたのは、何枚かの写真。あの店のきんつばと、店の中の写真だ。店員の女性が持ってきてから蓮華がトイレから戻ってくるまでの間に、こっそり撮っていたのだ。

「まあ別に写真自体はネットに上げへんし、ええやろ」

 あの店員の女性も、誰かに言ったりするなとは言っていただけだ。自分がレビューを書くのに参考にするくらいならいいだろう。

 やっぱり臨場感のある投稿にするには、写真を見て思い出しながら書くのが一番だ。
 そう思って写真を開いた時、

「……あれ?」

 甘乃の指が止まった。
 そこに写っているのは、紛れもなく昨日食べたきんつばの写真。それは違いない。

 だが、確かな違和感があった。

「ソースって……こんな色やったっけ?」

 きんつばの上にかかっていた鮮やかな赤色のソース。甘乃の記憶ではそうなっている。しかし、写真は違った。
 妙に、赤黒いのだ。

 光の加減? でもお皿とかちゃぶ台の色はおかしくないし……。

 編集画面でコントラストなどをいじってみるが、ソースだけはなぜか一切色合いが変わらない。

 何より、その色には既視感があった。甘乃が生きてきた中で見たことのあるものと、どこか似ている。そう似ているのだ。
 どこか、血の色に。

「……なんか気味悪いわ。まあいいわ、今回写真は投稿に載せへんもんな」

 言い聞かせるようにつぶやいてから、気を取り直すように画面に指を這わせる。
 スワイプして次の写真、店の内観を写した写真を表示して、

「ひっ……!」

 瞬間、甘乃は絶句した。
 次に画面に表示されたのは、こっそりと内観を撮った写真のはずだった。自分たち以外に誰もいない古い日本家屋を撮影した、何の変哲もない写真。

 たしかにそこには染みの入った古めかしい木造の壁、天井、畳が写っていた。
 だが、それだけではなかったのだ。

 写っていた。
 何人もの、人が。

「うそ……うちら以外に客なんて、おらんかったやん」

 あの時店にいた客は、甘乃と蓮華だけ。だというのに、写真には幾人もの人間が写り込んでいたのだ。
 彼らには、共通点があった。まるで江戸時代の光景でも写したかのように、全員、着物姿。男は(まげ)で女は日本髪。

 それだけじゃない。目を凝らせば皆が皆、顔が赤く染まっている。血で、べったりと。

 そうまるで、きんつばにかかっていたあのソースを頭からかぶったみたいに。

「あ、あはは。なんかの撮影かドッキリ? 冗談きついわあ……」

 甘乃は乾いた笑みを漏らし、スマホから目を離す。

 再び画面を見ると、写真がさっき見たものとは違っていた。
 いなかったはずの人が写っているのは同じ。着物姿も髪型も、血まみれなのも同じ。
 違うのは、目線。

 全員がじっと、こっちを見ていた。

「え…………」

 そして、変化はそれだけではなかった。
 (ひたい)に、何かがついていている。それを反射的に指で触れる。
 どろりとした感触。それから鉄のような鼻につく匂い。
 指先が――赤黒く染まっていた。

 思わず近くにあった鏡を手にとると、映っていたのは、紛れもなく自身の顔。
 だがその顔は、写真に写る人たちと同じように、血で真っ赤に染まっていて。

「うそ……」

 血はどんどん出ているようで、とめどなく流れてくる。そばにあったティッシュで拭っても間に合わないほどに。まるで飢えた者たちに奪われていくように。

 やがて、甘乃の視界は赤で完全に埋めつくされた。