僕なりに懸命に走り、バス停の標識を目に捉え、携帯電話を覗き込んだ。
バス到着まであと4分。
どうにかバス到着時刻に間に合い、肩で息をしながらホッとするのも束の間……。
学校近くの最寄りのバスの停留所はバス停の標識と共にトタン屋根で木製の古びた小さな小屋が設置され、その中にはこれまた古びた木製の長椅子が置かれていた。
や大半の学生はや古臭く、小汚いその停留所の中に入ってバスを待つのは、夕立に見舞われた時くらいであった……。
バスの停留所の側に1人しゃがみ込んでいる人物がいた。
制服を着ていることからすぐに同じ高校に通う女子生徒であることはすぐに分かった。
稀に男子生徒がしゃがみ込んでバスの到着を待つ姿を見かけることがあるが、女子生徒がそのような姿でバスを待っているのはとても珍しいことだった。
しかも、車道側ではなく、バスの停留所の小屋が建っている方に向かって、しゃがみ込んでいた。
どうしたんだろう?
具合……でも、悪いのかな……?
心配になった僕はまだ、息も整わぬ中、再び、駆け出し、彼女に声をかけながらその側にしゃがみこんだ。
「……だ、大、丈夫?」
「えっ……」
突然、僕に声をかけられた彼女は驚きの声を上げると同時に僕の方を見た。
彼女と瞳が合い、同じクラスの女子生徒であることを知る。
彼女と喋るのは初めてのこと……。
まして、自分から声をかけることになろうとは思ってもなかった。
ぱっと見、彼女の顔色はよく、すぐさま救急車を呼ばなくてはならないほどの緊急性はない……と、感じた。
「くすっ……」
不意に、彼女の口許が緩み、笑った。
「……?」
笑い?
何故?
意味が分からなかった……。
バスの停留所の側でしゃがみ込む彼女に何かあったのではないか……と、心配し、駆け寄った……。
ただ、それだけのこと……。
笑われるようなことなど、何もしていないのに……どうして?
不快感が生まれた……。
その気持ちが態度に出たのかもしれない……。
「あっ、ごめんなさい! 嫌な思いにさせちゃって……。大丈夫って、心配する貴方の方が大丈夫? って、思って……。バスに乗り遅れないように必死に走ってきたって、ことがすぐに分かる程、息が上がってて、すごくツラそう……」
すーっと、彼女の腕が伸び、細く長い指先が僕の頬に触れた……。
突然の思いもよらぬことに僕はドキッと、した。
「大丈夫?」
彼女は眉を寄せて、僕のことを見つめた。
その瞳は心底、僕のことを心配しているかのようだった……。
目と鼻の先程の至近距離。
異性と見つめ合うことなんて今まで経験したことがない……。
僕の鼓動は早く大きく高鳴り、頬が熱を帯びてゆくのが分かった……。
ヤバい!
このままでは指先から彼女にも頬が熱を帯びてゆく様が伝わってしまう……。
「だ、大丈夫っ!」
僕は咄嗟に言葉を口にし、彼女と距離を取った。
その途端、花の芳香と指先から伝わってきた彼女の体温がふっと、瞬く間に消え、切なさを感じた……。
「それなら良かった」
ふっ……。
彼女は花が綻ぶような笑みを浮かべた後……申し訳なさそうに眉を寄せて、言った。
「心配かけてごめんなさい……。私は大丈夫」
「じゃ……な、んで……」
走ったせいの息切れなのか、彼女と至近距離で見つめたせいなのか……どちらか分からぬまま……若干の息苦しさを感じながら僕は何とか言葉を口にしたが、それは何とも聞き取りづらいものとなってしまった……。
それでも彼女は僕の言葉の意図を汲み取ってくれたようで……。
「見てた」
「えっ……」
端的に告げられた言葉を僕は理解出来なかった……。
「お花を見てたの」
彼女の視線が僕ではなく、すーっと、先方に動いた。
僕もその動きについていくように視線を向けた。
「ーーっ……!」
視線の先にはバスの停留所の小屋の側に細く長い茎の先に細い花びらの先端を反り返らせ、放射状に広がった鮮やかな真っ赤な彼岸花がひっそりと咲き乱れていた……。
「……綺麗……」
「ーーっ!」
己の耳を疑った……。
今、『……綺麗……』と、言った……?
確かにバランスよく放射状に広がった花びらの色はまるで炎のような鮮やかさがあり、群生した姿は『赤い絨毯』のようだと好意的に捉える人もいると思うが……僕自身、彼岸花に対してあまりいい印象を抱いてはいなかった……。
独特の花の形状に真っ赤な赤色。
ひっそりと咲き乱れる姿は妖艶で不気味……。
子どもの頃、誰かと一緒にいても彼岸花が怖くて仕方なかった……。
そのことを知られると馬鹿にされる、恥ずかしい……と、いう思いから、誰かと一緒にいる時は必死に平然を装っていた。
けれど、1人で彼岸花の側を通らなくてはならない時は出来るだけ彼岸花と距離をとって、その前を全速力で走り抜けていた……。
流石に高校生となった今では全速力で走り抜けることはしなくなったけれど、怖くて、近寄りたくない気持ちは変わらない……。
なんとも不気味な花なんだろう……と、残暑が少しずつ落ち着き、夏季の気配を感じ始めた頃……彼岸花を目にする季節になると憂鬱で仕方がなかった……。
そういう思いを抱き続けたまま、成長した僕は彼岸花を見つめながら、目を細めて『……綺麗……』と、いう言葉を紡いだ彼女の思いにすんなりと共感することが出来なかった……。
そんな僕に対して彼女は僕の心情を汲み取り、寄り添うかのように……ポツリ……と、小さな声で呟いた。
「……怖い、よね……」
「ーーっ!!」
思ってもいなかった発言が彼女の口から飛び出し、僕はとても驚いてしまった……。
「花の形状が独特で見るからに妖艶で不気味……だもの。それに開花の時期が丁度、お彼岸の頃でお墓や河川敷、人が気づきにくい場所なんかにひっそりと咲いていることが多いし……。しかも、球根には猛毒があって……『死人花』や『地獄花』と、いう別名もあることから、さらに彼岸花の不気味さ、不吉を連想させてしまって『死』や『別れ』と、いうイメージを強く抱かせてしまったのね……」
ハッと、した……。
彼岸花に対する僕のマイナスなイメージを見抜かれたような気がしてならなかった……。
「でも……ね、土葬時代には彼岸花の球根にある毒を利用して墓地の周りや田んぼのあぜ道に動物除けとして植えられていたの。
海外では人気が高くて、園芸品種が豊富なの。彼岸花に抱く印象も『優雅』や『高貴』などのポジティブなイメージが強くて、おめでたいことが起こる兆しとして天から降ってくる花と、いう意味もあったりするの。
『リコリス』や『曼珠沙華』他にも別名があるの」
「そうなんだ」
驚いた……。
同じ彼岸花なのに……場所が違うだけでこんなにも人々が抱く印象が違ってしまうのか……。
彼女の話をきっかけに僕が長年抱き続けてきた彼岸花のマイナスなイメージが払拭されつつあった。
「それと……唄」
「えっ……」
「彼岸花にまつわる唄よ」
僕は眉を寄せた……。
そんなうた、あったかな……?
「えっ……」
う、た……?
そんなものまであるのか……。
世間一般的に有名な唄ならば……いくら彼岸花に対してあまりいい印象を抱いていない僕でも知っている。
むしろ忌み嫌っているからこそ、嫌でも頭の片隅にずっと記憶に残っているものだろうに……全くもってそういう記憶は一切ない……。
僕はきょとんと、した表情で彼女を見ると……彼女は少し困ったような顔をし、苦笑いを浮かべながら言った。
「世間一般的に有名な唄ではないのかもしれないわね。その唄は私が育った村に古くから伝わる死者が死後の世界に旅立つ際に故人の冥福を祈り、生者と死者が再会することを願いながら唄う……死者を弔う弔い唄なの」
「……死者を、弔う……唄……」
「そう……」
呟くように彼女は言葉を口にすると……すーっと、瞳を閉じた。
一呼吸置き、ゆっくりと口を開く……。
そして……彼女は静かに歌い始めた。
「彼岸花一輪手にして、逝きましょう
黄泉の世界に旅立っても愛する人だとすぐに分かるように……
彼岸花一輪手にして、行きましょう
黄泉の世界で迷わず、愛する人の元へと辿りつくために……」
初めて聞くその唄はとても新鮮で澄んだ彼女の柔らかな歌声に僕は魅了されていた。
その瞬間から僕は彼岸花に取り憑かれてしまったのかもしれないーー……。
バス到着まであと4分。
どうにかバス到着時刻に間に合い、肩で息をしながらホッとするのも束の間……。
学校近くの最寄りのバスの停留所はバス停の標識と共にトタン屋根で木製の古びた小さな小屋が設置され、その中にはこれまた古びた木製の長椅子が置かれていた。
や大半の学生はや古臭く、小汚いその停留所の中に入ってバスを待つのは、夕立に見舞われた時くらいであった……。
バスの停留所の側に1人しゃがみ込んでいる人物がいた。
制服を着ていることからすぐに同じ高校に通う女子生徒であることはすぐに分かった。
稀に男子生徒がしゃがみ込んでバスの到着を待つ姿を見かけることがあるが、女子生徒がそのような姿でバスを待っているのはとても珍しいことだった。
しかも、車道側ではなく、バスの停留所の小屋が建っている方に向かって、しゃがみ込んでいた。
どうしたんだろう?
具合……でも、悪いのかな……?
心配になった僕はまだ、息も整わぬ中、再び、駆け出し、彼女に声をかけながらその側にしゃがみこんだ。
「……だ、大、丈夫?」
「えっ……」
突然、僕に声をかけられた彼女は驚きの声を上げると同時に僕の方を見た。
彼女と瞳が合い、同じクラスの女子生徒であることを知る。
彼女と喋るのは初めてのこと……。
まして、自分から声をかけることになろうとは思ってもなかった。
ぱっと見、彼女の顔色はよく、すぐさま救急車を呼ばなくてはならないほどの緊急性はない……と、感じた。
「くすっ……」
不意に、彼女の口許が緩み、笑った。
「……?」
笑い?
何故?
意味が分からなかった……。
バスの停留所の側でしゃがみ込む彼女に何かあったのではないか……と、心配し、駆け寄った……。
ただ、それだけのこと……。
笑われるようなことなど、何もしていないのに……どうして?
不快感が生まれた……。
その気持ちが態度に出たのかもしれない……。
「あっ、ごめんなさい! 嫌な思いにさせちゃって……。大丈夫って、心配する貴方の方が大丈夫? って、思って……。バスに乗り遅れないように必死に走ってきたって、ことがすぐに分かる程、息が上がってて、すごくツラそう……」
すーっと、彼女の腕が伸び、細く長い指先が僕の頬に触れた……。
突然の思いもよらぬことに僕はドキッと、した。
「大丈夫?」
彼女は眉を寄せて、僕のことを見つめた。
その瞳は心底、僕のことを心配しているかのようだった……。
目と鼻の先程の至近距離。
異性と見つめ合うことなんて今まで経験したことがない……。
僕の鼓動は早く大きく高鳴り、頬が熱を帯びてゆくのが分かった……。
ヤバい!
このままでは指先から彼女にも頬が熱を帯びてゆく様が伝わってしまう……。
「だ、大丈夫っ!」
僕は咄嗟に言葉を口にし、彼女と距離を取った。
その途端、花の芳香と指先から伝わってきた彼女の体温がふっと、瞬く間に消え、切なさを感じた……。
「それなら良かった」
ふっ……。
彼女は花が綻ぶような笑みを浮かべた後……申し訳なさそうに眉を寄せて、言った。
「心配かけてごめんなさい……。私は大丈夫」
「じゃ……な、んで……」
走ったせいの息切れなのか、彼女と至近距離で見つめたせいなのか……どちらか分からぬまま……若干の息苦しさを感じながら僕は何とか言葉を口にしたが、それは何とも聞き取りづらいものとなってしまった……。
それでも彼女は僕の言葉の意図を汲み取ってくれたようで……。
「見てた」
「えっ……」
端的に告げられた言葉を僕は理解出来なかった……。
「お花を見てたの」
彼女の視線が僕ではなく、すーっと、先方に動いた。
僕もその動きについていくように視線を向けた。
「ーーっ……!」
視線の先にはバスの停留所の小屋の側に細く長い茎の先に細い花びらの先端を反り返らせ、放射状に広がった鮮やかな真っ赤な彼岸花がひっそりと咲き乱れていた……。
「……綺麗……」
「ーーっ!」
己の耳を疑った……。
今、『……綺麗……』と、言った……?
確かにバランスよく放射状に広がった花びらの色はまるで炎のような鮮やかさがあり、群生した姿は『赤い絨毯』のようだと好意的に捉える人もいると思うが……僕自身、彼岸花に対してあまりいい印象を抱いてはいなかった……。
独特の花の形状に真っ赤な赤色。
ひっそりと咲き乱れる姿は妖艶で不気味……。
子どもの頃、誰かと一緒にいても彼岸花が怖くて仕方なかった……。
そのことを知られると馬鹿にされる、恥ずかしい……と、いう思いから、誰かと一緒にいる時は必死に平然を装っていた。
けれど、1人で彼岸花の側を通らなくてはならない時は出来るだけ彼岸花と距離をとって、その前を全速力で走り抜けていた……。
流石に高校生となった今では全速力で走り抜けることはしなくなったけれど、怖くて、近寄りたくない気持ちは変わらない……。
なんとも不気味な花なんだろう……と、残暑が少しずつ落ち着き、夏季の気配を感じ始めた頃……彼岸花を目にする季節になると憂鬱で仕方がなかった……。
そういう思いを抱き続けたまま、成長した僕は彼岸花を見つめながら、目を細めて『……綺麗……』と、いう言葉を紡いだ彼女の思いにすんなりと共感することが出来なかった……。
そんな僕に対して彼女は僕の心情を汲み取り、寄り添うかのように……ポツリ……と、小さな声で呟いた。
「……怖い、よね……」
「ーーっ!!」
思ってもいなかった発言が彼女の口から飛び出し、僕はとても驚いてしまった……。
「花の形状が独特で見るからに妖艶で不気味……だもの。それに開花の時期が丁度、お彼岸の頃でお墓や河川敷、人が気づきにくい場所なんかにひっそりと咲いていることが多いし……。しかも、球根には猛毒があって……『死人花』や『地獄花』と、いう別名もあることから、さらに彼岸花の不気味さ、不吉を連想させてしまって『死』や『別れ』と、いうイメージを強く抱かせてしまったのね……」
ハッと、した……。
彼岸花に対する僕のマイナスなイメージを見抜かれたような気がしてならなかった……。
「でも……ね、土葬時代には彼岸花の球根にある毒を利用して墓地の周りや田んぼのあぜ道に動物除けとして植えられていたの。
海外では人気が高くて、園芸品種が豊富なの。彼岸花に抱く印象も『優雅』や『高貴』などのポジティブなイメージが強くて、おめでたいことが起こる兆しとして天から降ってくる花と、いう意味もあったりするの。
『リコリス』や『曼珠沙華』他にも別名があるの」
「そうなんだ」
驚いた……。
同じ彼岸花なのに……場所が違うだけでこんなにも人々が抱く印象が違ってしまうのか……。
彼女の話をきっかけに僕が長年抱き続けてきた彼岸花のマイナスなイメージが払拭されつつあった。
「それと……唄」
「えっ……」
「彼岸花にまつわる唄よ」
僕は眉を寄せた……。
そんなうた、あったかな……?
「えっ……」
う、た……?
そんなものまであるのか……。
世間一般的に有名な唄ならば……いくら彼岸花に対してあまりいい印象を抱いていない僕でも知っている。
むしろ忌み嫌っているからこそ、嫌でも頭の片隅にずっと記憶に残っているものだろうに……全くもってそういう記憶は一切ない……。
僕はきょとんと、した表情で彼女を見ると……彼女は少し困ったような顔をし、苦笑いを浮かべながら言った。
「世間一般的に有名な唄ではないのかもしれないわね。その唄は私が育った村に古くから伝わる死者が死後の世界に旅立つ際に故人の冥福を祈り、生者と死者が再会することを願いながら唄う……死者を弔う弔い唄なの」
「……死者を、弔う……唄……」
「そう……」
呟くように彼女は言葉を口にすると……すーっと、瞳を閉じた。
一呼吸置き、ゆっくりと口を開く……。
そして……彼女は静かに歌い始めた。
「彼岸花一輪手にして、逝きましょう
黄泉の世界に旅立っても愛する人だとすぐに分かるように……
彼岸花一輪手にして、行きましょう
黄泉の世界で迷わず、愛する人の元へと辿りつくために……」
初めて聞くその唄はとても新鮮で澄んだ彼女の柔らかな歌声に僕は魅了されていた。
その瞬間から僕は彼岸花に取り憑かれてしまったのかもしれないーー……。

