「ちょっ……五十嵐さん!?」

 蛍里は慌ててその背中に声をかける。
 結子はその声に一度だけ振り返って、ひらひ
ら、と手を振ると、カツカツ、とヒールの音を
させながら、女子更衣室に入ってしまった。

 「ああ……もう」

 結子の気遣いと機転の速さに、蛍里は脱帽
しながら声を漏らした。

 その様子を見ていた滝田が、申し訳なさそう
に肩を竦める。

 「ごめん。なんか俺、タイミング悪かったみた
いだな」

 「あ、ううん。それより滝田くんは時間、大丈
夫なの?」

 もう、仕事は終わったのか?という意味で
そう訊いた蛍里に、滝田は苦笑いしながら、
首を捻った。

 「大丈夫、ではないんだけど。そう言ってる
といつまでたっても時間作れないし。仕事は
大事だけど、折原さんのことも、すごく大事だ
からさ」

 真剣な顔をしてそう言った滝田に、蛍里は
どきりとする。

 けれど、目を逸らすことなく、頷いた。
 自分もずっと、滝田と話をしたかった。

 たとえ、今までのような関係に戻れなかっ
たとしても、ちゃんと向かい合って話して、自分
の気持ちを伝えたかった。

 「じゃあ、すぐに着替えてくるから、待ってて
くれる?」

 きっとどこかの店に入って、話すのだろう。
 そう思って更衣室の方を見た蛍里に、滝田は
首を振った。

 「そのままでいいよ。ここの展望室、行こうと
思ってるんだ。店だと他の客気になるし、俺も
そんなに時間ないし。ここの北側の展望室なら
人少ないからさ」

 人差し指で上を指しながらそう言った滝田に、
蛍里はぎこちなく頷く。滝田の言うようにこのビル
の最上階と二十九階は展望室になっている。

 蛍里は一度も上がったことがないが、そういう
場所はカップルがたくさん来ているものだと思っ
ていた。

 「ここの展望室、わたし、行ったことないかも」

 「ならなおさら、行ってみよう。この時間なら、
夜景も綺麗に見えるだろうし」

 そう言うと、滝田はパンツのポケットに両手を
入れてエレベーターへと歩き出した。蛍里はその
後を慌てて追いかける。

 隣に並んで見上げた滝田の横顔からは、この
間見せた“熱”のようなものは感じない。蛍里は
エレベーターに滝田と乗り込むと、階数ボタンが
点滅するのをじっと見つめていた。




 「うわぁ。綺麗」

 滝田が連れてきたのは、二十九階の北側に
ある、比較的こじんまりとした展望台だった。

 建物自体がそれほど高くないこともあって、
眼下に夜景が広がるという感じではなく、目の前
にたくさんのビルの明かりが灯っている。

 これはこれで綺麗だと思うのだが滝田の言う
通り、周囲に寄り添う人影は、あまりなかった。