「少し前に、専務とわたしが噂になってるって、
滝田くんから聞いて。だから、意識して距離を取
ってるって言うか」
ガヤガヤ、と、周囲の雑音に掻き消されてしま
いそうな声でそう言った蛍里に、結子は、ふうん、
と鼻を鳴らした。
また、手でつまんだポテトを口に放り込む。
むぐむぐ、とそれを噛んでビールで流し込むと、
小さなため息をついた。
「滝田くんが、ねぇ。……そう言ったんだ?」
「はい」
およそ、祝いの席に似つかわしくない顔をし
て、頷く。蛍里と結子の両側の席は、誰も座って
いない。二人の会話の内容は、誰にも聞こえて
いないはずだ。結子も、何だかつまらなそうな顔
をして、くしゃ、と髪を掻き上げた。
「それで、意識して避けてるのか。じゃあ専務
の方は?専務も何か変だよね」
結子の問いに、蛍里は言葉に詰まる。
そんなこと、こっちが訊きたいくらいだ。
答えに窮して下を向いてしまった蛍里を見て、
結子もまた空っぽのグラスを眺めた。
「意識して避ける、ってゆうことは、意識しちゃ
ってるからなんだろうね。専務も」
何やら頓知のような、難しい言い回しでそう
呟いた結子に、蛍里は首を傾げる。その蛍里に、
結子は小さく首を振って、「何でもない」と答える
と、首を伸ばして主役席を見やった。
「あ、谷口さん空いたよ。挨拶行こ」
すっく、と立ち上がって、蛍里の手を引く。
蛍里は、その手に引きずられるように立ち上
がると、結子の後にくっついて彼女の元へ行っ
たのだった。
「ふぅ」
誰もいない化粧室で思いきりため息をつくと、
蛍里は少し火照った頬を両掌で挟んだ。そして、
いつもと変わらない様子で彼女たちと談笑して
いた、専務の顔を思い出した。
きゅう、と、胸が苦しくなる。
蛍里が最後に見た笑顔はいつだったか?
確か、「僕を貰ってください」と彼が冗談を口
にした時だ。蛍里はあの時の笑みを思い出して唇
を噛んだ。
たとえ、もう一度彼が笑いかけてくれたとして、
それが何になるというのだろう?
自分たちは上司と部下で、その関係を超える
ことなど万に一つもないのだ。
蛍里は剥げてしまった口紅をそっと塗りなおす
と、下を向いたまま化粧室のドアを開けた。
その時だった。
「あ、折原さん」
蛍里の耳に、聴き慣れた声が飛び込んできた。
その声に顔を上げれば、目の前に滝田が立っ
ている。
どうやら、彼も手洗いから出て来たところら
しい。ハンカチがないのか、パタパタと濡れた
手を払っていた。蛍里はその様子に頬を緩める
と「はい」とハンカチを差し出した。
「さんきゅ」と滝田が白い歯を見せる。
滝田くんから聞いて。だから、意識して距離を取
ってるって言うか」
ガヤガヤ、と、周囲の雑音に掻き消されてしま
いそうな声でそう言った蛍里に、結子は、ふうん、
と鼻を鳴らした。
また、手でつまんだポテトを口に放り込む。
むぐむぐ、とそれを噛んでビールで流し込むと、
小さなため息をついた。
「滝田くんが、ねぇ。……そう言ったんだ?」
「はい」
およそ、祝いの席に似つかわしくない顔をし
て、頷く。蛍里と結子の両側の席は、誰も座って
いない。二人の会話の内容は、誰にも聞こえて
いないはずだ。結子も、何だかつまらなそうな顔
をして、くしゃ、と髪を掻き上げた。
「それで、意識して避けてるのか。じゃあ専務
の方は?専務も何か変だよね」
結子の問いに、蛍里は言葉に詰まる。
そんなこと、こっちが訊きたいくらいだ。
答えに窮して下を向いてしまった蛍里を見て、
結子もまた空っぽのグラスを眺めた。
「意識して避ける、ってゆうことは、意識しちゃ
ってるからなんだろうね。専務も」
何やら頓知のような、難しい言い回しでそう
呟いた結子に、蛍里は首を傾げる。その蛍里に、
結子は小さく首を振って、「何でもない」と答える
と、首を伸ばして主役席を見やった。
「あ、谷口さん空いたよ。挨拶行こ」
すっく、と立ち上がって、蛍里の手を引く。
蛍里は、その手に引きずられるように立ち上
がると、結子の後にくっついて彼女の元へ行っ
たのだった。
「ふぅ」
誰もいない化粧室で思いきりため息をつくと、
蛍里は少し火照った頬を両掌で挟んだ。そして、
いつもと変わらない様子で彼女たちと談笑して
いた、専務の顔を思い出した。
きゅう、と、胸が苦しくなる。
蛍里が最後に見た笑顔はいつだったか?
確か、「僕を貰ってください」と彼が冗談を口
にした時だ。蛍里はあの時の笑みを思い出して唇
を噛んだ。
たとえ、もう一度彼が笑いかけてくれたとして、
それが何になるというのだろう?
自分たちは上司と部下で、その関係を超える
ことなど万に一つもないのだ。
蛍里は剥げてしまった口紅をそっと塗りなおす
と、下を向いたまま化粧室のドアを開けた。
その時だった。
「あ、折原さん」
蛍里の耳に、聴き慣れた声が飛び込んできた。
その声に顔を上げれば、目の前に滝田が立っ
ている。
どうやら、彼も手洗いから出て来たところら
しい。ハンカチがないのか、パタパタと濡れた
手を払っていた。蛍里はその様子に頬を緩める
と「はい」とハンカチを差し出した。
「さんきゅ」と滝田が白い歯を見せる。
