つかつかと鞄が置いてあるデスクに歩み寄り
ながらそう言った専務に、滝田が頷いた。

　「じゃあ、俺、荷物取ってきます」

　「そうしてください。他の人たちはもう、
階段で駐車場に向かっているはずです」

　専務がそう言うと、滝田はすぐにフロアから
出て行った。二人のやり取りを聞いていた蛍里
は、おずおずと専務に近づいて、訊く。

　「あの……わたし、まだ締め日の作業が終わ
ってないんですけど、帰ってしまって大丈夫で
すか？」

　蛍里のその言葉に専務は一瞬、目を丸くした。
　そうして、吹き出すように笑った。

　「当たり前ですよ。有事の際は、通常業務より
も社員の安全確保が第一です。この地域は停電を
免れていますが、他の地域では停電や断水も出
ているようですし、携帯が繋がらない状態では、
家族の安否も気になるでしょう？」

　そこまで言われて、蛍里ははっとした。
　どうして、拓也のことを忘れていたのか。

　携帯が繋がらないなら、無事を確認するため
に帰宅した方がいい。

　両親は蛍里が大学の頃から、ロンドンに住ん
でいる。父の転勤に母が同行したのだ。だから、
あの家には蛍里と拓也しか住んでいない。

　まさか、怪我をしているなんてことはないだろ
うけど……。でも、早く顔を見て安心したかった。

　蛍里は専務の顔を見て、小さく頷いた。滝田が
戻ってきたのは、それから間もなくだった。


　
　もう、二度とこの車の助手席に座ることはな
いと思っていたのに、二度目は意外に早かった。

　しかも後部座席には滝田が座っていて、専務
と会話をしている。何だか、不思議な気分だった。

　この二人が話しているところを、蛍里は今まで
見たことがなかったかも知れない。

　「でも震源が内陸で良かったです。震源が浅く
て海だった場合は、津波が起こるだろうし。まあ、
ここまで津波がくることはないですけど、被害は
ないに越したことはないですから」

　車のラジオを聞きながらそう言った滝田に、
専務が答えた。

　「地震の規模が小さかったのも幸いでしたね。
この震源の深さで、地震の規模が大きかったら、
地上は大参事だったかも知れません」

　横断歩道を渡る人たちを眺めながら、専務が
眉を顰める。電車は完全にストップしているため、
駅のタクシー乗り場には長蛇の列が出来ている
し、徒歩での帰宅を余儀なくされる人たちも大勢
いた。

　ラジオの情報では、地震の規模を示すマグニ
チュードは五．一だったものの、震源の深さが
十㎞と浅かったため、地上は大きく揺れたのだ。

　帰宅ラッシュの時間を過ぎていたとはいえ、
帰宅困難者はそれなりにいる。