【木月瑠胡 十七歳 春】
「受験生としての自覚を持ち、早めのうちから取り組むように。基礎を固められるのは一学期までだからな」
教壇に立つ担任の言葉を聞きながら、引き出しから手帳を取り出す。先生の都合で塾の日が変更になったことを思い出し、書き込む。隣で緋夏がふわあ、とあくびをした。
ホームルームが終わると、緋夏がわたしのほうを向く。
「ねえ、今日ポテト食べて帰らない?」
「え、ダイエット中って言ってなかった?」
「……いいのー! 今日はチートデーにする」
ずいぶん都合のいいチートデーに思わず苦笑する。緋夏はジト目で私を見ていたけれど、ふと思いついたように「琴亜も誘お」と言った。緋夏がすぐにスマホをタップしだす。しばらくして「今日は彼氏との予定があるみたい」と、拗ねたように唇を突き出した。
「あはは、仕方ないよ。付き合いたてだし、いちばんラブラブしたいときなんだよ」
「わーかーるーけーどーー」
「ふたりで行こうよ」
うん、と頷いた緋夏がスクバを肩にかける。スマホをスクバに滑り込ませて、腕を組んだ。
「瑠胡も彼氏持ち、琴亜も彼氏持ち。あたし、フリー。つまんないじゃん」
「緋夏は時期的にいないだけでしょ。緋夏は可愛いから、すぐに次の人が現れるよ」
「そう言う問題じゃないよね、ルコチャン」
緋夏の高いポニーテールが揺れる。腕を組み歩く緋夏は、やはりスタイルが良くとても目を引く。
「もうあたし、うんと歳上じゃないとダメな気がしてきた。甘やかしてくれる人がいい」
「歳上かぁ……」
「年齢差なんて、あたしはあんまり気にしないけどね。それよりも、精神の成熟度のほうがあたしにとっては大事」
「なるほどね」
緋夏はとても大人っぽいから、年上の人からも好まれそうだ。
「最近、彼氏とはどうなの?」
「え」
「付き合ってそろそろ二年とかじゃないっけ。すごいなー。あたしはそんなに続いたことないから」
「あー……食べながら話さない?」
「それもそっか。じゃ、はやく行こ」
──────
目当てのポテトとシェイクを注文して、席に着く。緋夏はスムージーを頼んでいた。
「それで、彼氏とはどーなの。琥尋先輩とは」
「どうもなにも……なにもないよ」
「何もないってことないでしょ」
緋夏が怪訝そうな顔をする。ふ、とため息が落ちた。
「本当に。なにもないの、最近」
「え?」
「なんていうか、落ち着いてきたっていうのかな。わたしも受験生だし、彼は今年二十歳になるし。実習とか多くて、忙しいみたいで。デートとか、全然行けてないし」
「ふたりとも、人生のフェーズが変わる段階ってわけね」
「そう。嫌いになったわけじゃないよ。もちろん好きなんだけど、彼のほうもわたしが受験生ってこともあってなのか、気を遣ってるし。わたしも、どうしたらいいかわかんない」
ポテトが到着する。緋夏がポテトをつまんで、「いいよ、続けて」と促した。
「距離があるとさ、どうしても分かんなくなるの。会ってない時は、相手が何してるのかもわからない。それでもね、平気な自分がいるの。慣れたっていうか、ね。それがいいものなのか悪いものなのか、もうわたしにはよく分からない」
「連絡はないの?」
「あるんだけど、業務的っていうか。忙しい中で一生懸命返してくれてるのが分かるんだけど、逆に申し訳なくなってしまって。琥尋くん、今はまだ2回生だけど、これからどんどん忙しくなるのかなって思うと、無理させたくないって思っちゃうんだよね」
「ゴールデンウィークは会えたんだっけ」
緋夏の問いに、力なく首を振る。
「忙しいみたいで。会えないこと、謝ってた」
「向こうも向こうで、頑張ってるんだろうね」
「そう。それが分かるから、こっちもなんか、悪いなって思っちゃって。大丈夫だよって言ったんだけど、会いたくないみたいに受け取られてたら嫌だなと思って」
「いや、ないでしょ。ひねくれすぎだから。そんな受け取り方しないって」
「それなら、いいんだけど」
視線が落ちる。それ以上、言葉を紡ぐことができなかった。
緋夏がうーんと考え込む。シェイクの冷たさが喉を通る。
「今だけかもしれないしね。なんか、いろいろあるんでしょ、長く付き合ってたら。ずっとラブラブ期なわけじゃないし。会えたら、元に戻るよ。きっと」
「そうかな」
「あんまり深刻になりすぎたら、うまくいくものも、いかなくなっちゃうよ」
まあ彼氏いないあたしが言っても説得力ないんだけどね、と緋夏が笑う。
「じゃあ、次は夏ってこと?」
「うん」
「結構期間があくんだね」
「うん……だけど、そんなに寂しくないっていうか。もちろん、会えたら嬉しいよ。でも、会わなくても別に平気だなって。日常の中にはいるんだろうけど、近くにいないから、ふわふわしてるっていうか。ほんとに付き合ってるのかなって、たまに思うときがある」
難しい。本当に。
連絡が返ってこなくても不安にならない夜が増えた。会えなくても泣かなくなった。
彼は最短でもあと四年は大学生だ。わたしにも、夢がある。行きたい場所、やりたいこと、叶えたい夢があるから彼のそばに行くことはできない。そうしたら、あと四年は同じ日々が続く。
わたしは、耐えられるだろうか。
「……うらやましいって、思っちゃうんだよね。一緒に学校から帰ったり、頻繁にお出かけしたり、そういうの。今もできてないのに、大学生になっても遠距離が続くとしたら、ずっとだよ。大学生は、今よりももっと関係性が深くなるでしょ。そうしたら、一緒にいない相手と、付き合ってる意味、わかんなくなりそうで。助けてほしいとき、すぐにかけつけられない人と付き合うって、わたし、こわい」
「まあ、そうなるよね」
「琥尋くんのことは好き。でも、一緒に大学生できる人といてみたいっていうのも事実。だから、もうどうしていいかわからない」
緋夏が眉間にしわを寄せる。むずかしいねえ……とつぶやいたところで、急にテーブルの上に置かれたわたしのスマホが鳴った。
〈来月、帰る〉
その通知を目にした緋夏が「ないすタイミングじゃんっ」と声をあげた。いきなりのことで驚き、そのまま固まる。すると続けるように、通知が来た。
〈俺は会えなくても大丈夫じゃないから〉
緋夏の顔がわかりやすくにやける。スマホを手に取って、トーク画面を開いた。
「愛されてんねえ~、会いたいんだってよ」
「……」
「なに神妙な顔してんの! 素直に喜べ、会えるんだからさ。どうせあんたのことだから、会えばまた元通りだよ。贅沢ものめ!」
相談のって損した!と緋夏が笑いながらポテトを口に放り込む。
「え、やっぱりバーガー頼んでいい?」
ポテトだけでは物足りなくなったのか、メニューを眺める緋夏を見てクスリと笑いが洩れる。
「遠距離のこと、ぶつけてみればいいじゃん。きっと聞いてくれるよ。それに、なんとなく向こうだって同じこと思っていそうじゃん。遠距離のこと、ふたりの問題だと思ってると思うよ」
緋夏がびしっとわたしを指さす。長いネイルが桃色に光っていた。



