復讐姫と二人の英雄 —殺戮将軍と天才軍師の執着。その天命の盤で美しく狂い咲く—

◇◇◇

 数日後、赫燕(かくえん)軍は、玄済(げんさい)国との国境に位置する城を落とすべく、進軍を開始した。

 軍議の天幕に渦巻く、異様な熱気。息を詰める将兵たちの視線が一点に集中する中、赫燕軍の軍師・子睿(しえい)が広げられた地図を前に、今回の戦術を淀みなく説明する。

 泥と汗にまみれた陣営にあって、そこだけ雪が降ったかのような、染み一つない衣。完璧に結い上げられた髪。まるで、この天幕の中だけが、季節の違う場所であるかのような錯覚を覚える。彼の周りだけ、空気が冷たく澄んでいるのだ。

 子睿(しえい)の声は、理路整然と並べられるように、また歌うようにそこに落とされていく。

「——以上が、今回の策です。我ら本隊は、深く追撃されたと見せかけ、この谷間まで後退します」

 その、策の内容に玉蓮の目が見開かれる。一歩間違えば、赫燕もろとも包囲殲滅(せんめつ)される危険を孕んでいたからだ。

子睿(しえい)。お頭を……餌に、するのですか」

 喉が締まり、声が裏返った。自身の声の響きに、一瞬、玉蓮は思わず目を伏せる。しかし、彼はにこやかな表情を崩さない。

「そうですよ、玉蓮。あなたは反対ですか?」

 ゆったりとした柔らかい問いかけの声に、指先まで一気に冷たくなる。この場にいる誰もが、自軍の大将を囮に使うという策に異を唱えない。疑問の声すらも上がらない。

 玉蓮の脳裏に、騎馬民族の(いにしえ)の教えがよぎる。彼らは王でさえも自ら前線に立ち、その武勇を示すことを(たっと)ぶ。白楊(はくよう)国も確かに騎馬民族を祖に持つ国。それでも——

「しかし、総大将が囮になど……!」

「玉蓮」

 玉蓮はなんとかして言葉を(つむ)ごうとしたが、朱飛(しゅひ)の静かな声によって打ち消された。

「お頭が前に出て、それを追ってくる敵を討つ。それが俺たちのやり方だ」

「ええ、朱飛。その通りです」

 子睿は、まるで詩歌の宴にいるかのように、柔らかく優雅に頷く。玉蓮は息を呑み、再び地図に視線を落とした。

「子睿。お頭を餌にすると言っても、敵がそこまで深追いしてくるという保証は?」

 栗色の髪を掻きあげながら、(じん)が問う。(じん)の問いに、子睿は少しも動じることなく、扇子で口元を隠して、にやりと笑った。

「保証、ですか。ええ、ありますとも。捕虜が、面白いことを歌っておりました。『我らが兵糧(ひょうろう)は三日も保たぬ』と」

 その一言に、将たちの顔色が変わる。

兵站(へいたん)が滞っているのです。理由は定かではありませんが、あちらのお国の問題のようですね。故に、敵のあの剛将(ごうしょう)であれば、必ず短期決戦に乗ってくる」

「おー、なるほどな」

「退路は、朱飛隊がこの獣道に潜み、我らが通り抜けるまで死守。そして、お頭の本隊を追撃してくる飢えた犬たちの、その側面を突くのです」

 赫燕に視線を向ければ、彼は杯を(もてあそ)びながら、興味もなさそうに一同を眺めていた。その目がふと向けられ、玉蓮の肩が微かに跳ねる。