鍵田氏が「幸せなメール」を受信したのは、二〇■■年九月■■日、中学一年生のことだった。二十一年後の二〇■■年九月、鍵田氏は夫と息子を失っている。
四つの幸せが訪れたあと、鍵田氏は「ごく普通の人生を送った」と語っている。中学卒業後は、■■■市内の私立高校に通い、■■県の■■大学に現役合格している。この間、周囲の友人と変わらない日常を送っていた。
そのため「幸せなメール」を信じていたものの、信仰心はやや薄れ、四つの幸せは「偶然いいことが続いただけなのかもしれない」と思うこともあったと述べている。次に訪れる「本当の幸せ」が大学生となってもまだ遠い未来のことに思えたことも、「幸せなメール」がただの「チェーンメール」でしかないのでは、という疑念を深めたようだ。
しかし、鍵田氏は携帯電話に保存した「幸せなメール」を大切にしていた。
鍵田氏に「現在幸せですか」と問い合わせたところ、「幸せです」と返答があった。
鍵田氏は大学卒業後、二〇■■年に■■府内の会社に就職している。その後二〇■■年四月に■■氏と結婚し、翌年二〇■■年七月に勤めていた会社を退社、夫と共に■■県■市に転居している。その後二〇■■年十月に長男■が生まれた。
「幸せなメール」を受信してから二十一年目は、二〇■■年の九月だった。
鍵田氏に訪れた最後の幸せは、「■■■の排除」だった。■■■は、鍵田氏を苦悩させた人物であり、一人の力では排除できない存在であったと振り返る。
ゆえに「二十一年目に託すことにした」という。「幸せなメール」が「本当の幸せが訪れる」と語った二十一年目の二〇■■年九月■■日を、鍵田氏は待った。
もし「幸せなメール」が本物だとすれば、鍵田氏を幸福にしてくれることが予想される。仮に「幸せなメール」が本物の力を持っていなかったと仮定しても、本物ということにしたほうが、■■■を不幸にできるのではないか。
誰かの不幸が、誰かにとっては幸福である場合もあるだろう。■■■が不幸になることは、二十一年目の九月を迎える鍵田氏にとって、「本当の幸せ」であると考えられた。
■■■は鍵田氏が居住しているマンションと、道路を一本隔てて隣接した一軒家に住む■■夫妻の長女だ。のちに■■夫妻に子供がいないことが判明する。だが鍵田氏は、■■■は確かに■■夫妻の子供であり、六歳くらいの少女であったと証言している。
鍵田氏は常に■■■に監視されていると感じるようになっていたそうだ。
八月の上旬ごろ、洗濯物を干す際や、外の様子を見るためベランダに出た際に、必ず■■■と目が合うことが始まりだった。何度かそれが続き、■■■が鍵田一家を常に見張っているのではないか、と疑うようになった。当初は気のせいや考えすぎだと思うようにしていたが、半月が過ぎたころ、夫に相談のうえで■■夫妻のもとを訪ね、「それとなく注意した」という。
このとき、■■夫妻に子供がいないことがわかった。しかし、鍵田氏はその後も■■夫妻の家から、見つめてくる子供の存在を認識していた。その姿は必ずベランダに出たときにのみ確認され、出先や■■夫妻自宅を外から見上げた場合などに、見ることはなかった。
また、鍵田氏の夫や、近所の住人たちは■■■の姿を目撃していないことが確認されている。しかし、自宅のベランダから必ずこちらを見てくる■■■の存在は、鍵田氏を悩ませたことが想像される。
引っ越すという選択肢はなかった。マンションは分譲であり、夫■■氏の仕事の関係もあった。三歳の息子のことを考慮した場合、鍵田氏が一人遠方の実家に帰ることも、夫を残し子供を一人連れていくことも、現実的ではなかったと振り返っている。
何より、■■■の存在を認知している人物が鍵田氏一人であったことから、「精神的なストレスによるもの」と安易に処理されることを避けたかった語る。
鍵田氏が「二十一年目の幸せ」を利用しようと考えたのは、ちょうど二十一年目が目の前に迫っていたからだとされる。また、二十一年目の九月■■日が訪れれば幸せになれると考えることで、鍵田氏の■■■に対する考え方に変化が訪れた。
この苦痛が九月■■日に終わると仮定することで、■■■への寛容さが生まれたと考えられる。鍵田氏はベランダに出た際■■■の視線を感じても、笑い返すほどの余裕を取り戻していたそうだ。いずれ不幸になる相手への哀れみもあった、と述べている。
鍵田氏が「幸せなメール」を受信した二十一年目の二〇■■年九月■■日深夜、■■夫妻自宅で火災が発生した。■■夫妻が就寝中だったこともあり、二人は逃げ遅れ死亡した。
鍵田氏は記念に新聞を切り抜いたものを保存している。新聞には夫妻の名前のみが書かれており、鍵田氏が夫妻の娘と主張する■■■は記されていないことが確認できる。(資料参照)
九月■■日、鍵田氏に「現在幸せですか」と問い合わせたところ、「幸せです」と返答があった。■■■については、「今はもう見えない」と答えている。■■夫妻宅の火災によって、■■■の存在も鍵田氏から消えたのだろうか。
鍵田氏は明確に「幸せなメール」は本物であり、二十一年目の今、「念願の娘が一人増えて、姉らしく弟の世話をよくしてくれる。ずっと娘がほしかった。本当の幸せが訪れていることがわかる」と答えた。
このように、二十一年目の「本当の幸せ」が訪れたことからも、「幸せなメール」の信憑性が高いことが窺える。それも一般的な幸せだと思われる内容ではなく、メールを受け取った人物の望みを叶えるという、相当に有用なものだろう。
「幸せなメール」は、転送せずにいるだけで「信じている人」になり、幸せになる権利を有する。しかし、そのメールを実際に信じる人は少数だろう。七日目、九日目、十三日目、十五日目に幸せが訪れたとしても、「幸せなメール」が関係していると捉える人間も限られると考えられる。さらに二十一年間保存し続け、二十一年目を待った鍵田氏は、例外ともいえるほどの少数派だと推察される。
可能性を信じ二十一年目を待ち、実際に消えてほしい存在が消えたことは、鍵田氏にとって「本当の幸せ」だった。
ところで、鍵田氏は三人家族であり、子供は男児一人である。鍵田氏は「■■■の排除」こそが二十一年目に成就した「本当の幸せ」であると考えている。しかし、「念願の娘」という証言から、実際に叶ったのは「増えた娘」である可能性が浮かびあがる。鍵田氏は「■■■は息子の姉」だと説明した。
鍵田氏は「■■■の排除」が叶った一週間後、夫と息子を交通事故で亡くしている。
なお、娘とされる■■■の存在は確認できていない。
このことから、「幸せなメール」は本物である一方で、受信者の願いが必ずしも望んだ形で叶うものではないことが推測される。
しかしながら、鍵田氏に「現在幸せですか」と問い合わせたところ、「娘と二人幸せです」と返答している。



