大学に進学しないと伝えたあの日。私の中で決意は固まった。いや、とうに決まっていたのかもしれない。父は無言になり、母は泣いた。
「せめて大学だけは出なさい。」
何度も言われた。私は同じ回数だけ首を横に振った。私には時間が必要なのだ。小説を書くための時間が。
「好きにしなさい。」
最後にそう言った母の声は、諦めに似ていた。私は気まずさに耐えきれなくなり、とうとう家を出た。小さなワンルームを借り、アルバイトを始めた。私は夢を選んだ。
彼と出会ったのはバイト先の近くの喫茶店。昼間、原稿を書くために通っていた店。静かで、長居をしても何も言われない、私の居場所。彼はそこの店員だった。いつものように私が作業をしていると、頼んだコーヒーを持ってきた彼がふと話しかけてきた。
「いつも書いてますよね。小説ですか?」
正直とても驚いた。誰かに見られていたなんて思っていなかったから。
「…まあ、そんな感じです。」
私が身構えて答えると、彼は微笑んだ。
「凄いですね。夢があるっていいな、って思って。」
その言葉はただ真っ直ぐに私の胸に光を照らした。
それから、店で顔を合わせるたび少しずつ話すようになった。彼は私の作品を無理やり読もうとしなかった。「読ませて」とも言わなかった。ただいつも、「今日も頑張ってますね。」そう言ってくれるだけ。でも、私はその距離に救われた。彼と話す空間はとても居心地が良いものだった。いつの間にか一緒に帰るようになり、気づけば彼は私の部屋で一緒に夕飯を食べる存在になっていた。彼は優しかった。徹夜をしようとする私に「少しだけでも寝た方がいいよ。」と毛布をかけてくれる人だった。コンテストの結果発表の日は、いつも隣にいてくれた。落選の結果を受け取ると「大丈夫、次があるよ。僕は君の文章が好きだよ。」と励ましてくれる人だった。
でも、徐々にその優しさが怖くなった。彼が「無理しないでね」というたびに、才能がないと思われているのでは、と不安になる。彼は私から何も奪おうとしていない。何も否定していない。それなのに、落選の通知を一緒に受け取るほど、彼と過ごす時間が増えるほど、怖くなった。彼は優しい。だから私への文句を言葉にできず、抱え続けているのではないか。本当は私のことを軽蔑しているのではないか。彼が私の大切な時間を奪おうとしているのではないか。彼の言葉が、態度が、視線が、怖くなった。彼の「大丈夫?」という声から逃げたくなった。
「せめて大学だけは出なさい。」
何度も言われた。私は同じ回数だけ首を横に振った。私には時間が必要なのだ。小説を書くための時間が。
「好きにしなさい。」
最後にそう言った母の声は、諦めに似ていた。私は気まずさに耐えきれなくなり、とうとう家を出た。小さなワンルームを借り、アルバイトを始めた。私は夢を選んだ。
彼と出会ったのはバイト先の近くの喫茶店。昼間、原稿を書くために通っていた店。静かで、長居をしても何も言われない、私の居場所。彼はそこの店員だった。いつものように私が作業をしていると、頼んだコーヒーを持ってきた彼がふと話しかけてきた。
「いつも書いてますよね。小説ですか?」
正直とても驚いた。誰かに見られていたなんて思っていなかったから。
「…まあ、そんな感じです。」
私が身構えて答えると、彼は微笑んだ。
「凄いですね。夢があるっていいな、って思って。」
その言葉はただ真っ直ぐに私の胸に光を照らした。
それから、店で顔を合わせるたび少しずつ話すようになった。彼は私の作品を無理やり読もうとしなかった。「読ませて」とも言わなかった。ただいつも、「今日も頑張ってますね。」そう言ってくれるだけ。でも、私はその距離に救われた。彼と話す空間はとても居心地が良いものだった。いつの間にか一緒に帰るようになり、気づけば彼は私の部屋で一緒に夕飯を食べる存在になっていた。彼は優しかった。徹夜をしようとする私に「少しだけでも寝た方がいいよ。」と毛布をかけてくれる人だった。コンテストの結果発表の日は、いつも隣にいてくれた。落選の結果を受け取ると「大丈夫、次があるよ。僕は君の文章が好きだよ。」と励ましてくれる人だった。
でも、徐々にその優しさが怖くなった。彼が「無理しないでね」というたびに、才能がないと思われているのでは、と不安になる。彼は私から何も奪おうとしていない。何も否定していない。それなのに、落選の通知を一緒に受け取るほど、彼と過ごす時間が増えるほど、怖くなった。彼は優しい。だから私への文句を言葉にできず、抱え続けているのではないか。本当は私のことを軽蔑しているのではないか。彼が私の大切な時間を奪おうとしているのではないか。彼の言葉が、態度が、視線が、怖くなった。彼の「大丈夫?」という声から逃げたくなった。



