私は本が好きだ。小さい頃から本ばかり読んでいた。その紙の向こうには、どのような世界が広がっているのか、そんな想像で毎日が満たされていた。憧れの小説家もいた。好きな物語もあった。でも、何かが足りなかった。私が求める展開とは違う物語に、落胆を覚えるようになっていた。いつしか、純粋に読書を楽しむことができなくなっていた。この描写が好きではない、このセリフが気に食わない。小説は、文章は自由だ。どのように表現するか、それが人によって、読者によって変わってくる。その表現を否定する気はない。だけど、少しだけ、もう少しだけ何かを求めてしまっていた。私が望んでいる世界を、自分自身で表したいと思った。だから私は、小説を書き始めた。自分の望む世界を紙の向こうに広げるために。
私が初めて小説を書いたのは、私がまだ小学生の時。仲が良かった友達が遠くに行ってしまうと知った時。私は友達との思い出を忘れたくなかった。だから小説を書いた。ずっと覚えていられるように。忘れてしまっても、あの時間を思い出せるように。当時の私に撮っての力作が完成した。もちろん下手くそで、言葉も足りなくて、読んでいて感動することもない。しかし、私は満足だった。
次に小説を書いたのは中学生三年生の時。その頃には、私は小説家になりたいと思っていた。中学の時も読書が好きで、いつも図書館にいた。今度は自分が自分の世界を提供したいと思った。私は私が読みたい小説を、世界に読んで欲しいと思った。コンテストを探して応募しようとした。でも、できなかった。完成しなかったのだ。中学生、そして受験生でもある私には、時間が限られていた。途中まで書いて挫折したその物語がどのような内容だったのかはもう覚えていない。もうどこにあるのかもわからない。
そして、受験が終わり私は志望していた高校に進学することができた。高校生になってからは執筆活動により時間を使うようになっていた。私は小説家になりたかったのだ。誰かに自分の小説を読んで、感動しいて欲しかった。私は私自身が小説に助けられた身だから。少し話が脱線するかもしれない。私は中学生の時、軽いいじめあっていた。もう生きる意味も見出せず、世界をつまらないと思っていた時、あの小説に出会った。それを読んで私は涙が止まらなくなった。詳しいことは忘れてしまったが、物語は切なく、命の大切さを伝えるものだった。私はこの物語に命を救われたのだ。苦しい時、悲しい時、そういう時は決まってこの小説のセリフを思い出していた。そんな日に、ふと思った。私も人の心に残るような人になりたいと。だから私はもう一度小説を書き始めたのだ。小説家になりたいと思ったのだ。それからは一心不乱に小説を描き続けた。テストの前日も、検定の朝も。気がつくと、私の学力は大幅に下がり、大学進学の絶望さを謳っていた。私は昔から志望していた大学があった。でも、今の学力ではどう考えても厳しかった。だから私は勉強することにした。しかし、執筆はやめられなかった。それでも、両立することを頑張っていた。
高校二年生の夏は特に忙しかった。私は生徒会メンバーに選ばれ、また部活でも部長をやっていた。私は勉強も、執筆も、生徒会も、部活も全て両立しなくてはいけなくなった。何かを捨てれば少しだけ楽になれる、そうわかっていても、私には諦めるという選択肢はなかった。その頃から、自分の健康に配慮できなくなった。睡眠時間が短くなり、徹夜をする日数がどんどん増えていった。頭は回りにくくなり、それでも常に何かを考えていた。そんな私の唯一の楽しみが執筆だったのだ。執筆だけが私の心の救いだったのだ。そんな私の体調を心配してくれた人がいた。部活の後輩だった。その子は私を認めてくれた。
「よく頑張ったな。」
そう言って頭を撫でてくれたから。初めて頑張ってることを認められて嬉しかった。私のことを見てくれて嬉しかった。けれど、本当は私のことなんて見ていなかった。いや、見ていた。私のことも見ていた。彼は私のことを愛してくれなかった。上部だけの笑顔を浮かべて私に近づいていただけだった。だから私は、人を信じられなくなった。私が信じられるのは、自分の物語の中だけになってしまった。生活は一段と悪化した。誰も止めなかった。誰も止めれなかった。勉強も、部活も、生徒会も…。執筆以外のことは全部やめた。そして迎えた、高校三年生の冬、私には本当に執筆しか残らなかった。私は晴れて小説家になるという夢の一歩を踏み出したのだ。それ以外の選択肢はなかったから。
私が初めて小説を書いたのは、私がまだ小学生の時。仲が良かった友達が遠くに行ってしまうと知った時。私は友達との思い出を忘れたくなかった。だから小説を書いた。ずっと覚えていられるように。忘れてしまっても、あの時間を思い出せるように。当時の私に撮っての力作が完成した。もちろん下手くそで、言葉も足りなくて、読んでいて感動することもない。しかし、私は満足だった。
次に小説を書いたのは中学生三年生の時。その頃には、私は小説家になりたいと思っていた。中学の時も読書が好きで、いつも図書館にいた。今度は自分が自分の世界を提供したいと思った。私は私が読みたい小説を、世界に読んで欲しいと思った。コンテストを探して応募しようとした。でも、できなかった。完成しなかったのだ。中学生、そして受験生でもある私には、時間が限られていた。途中まで書いて挫折したその物語がどのような内容だったのかはもう覚えていない。もうどこにあるのかもわからない。
そして、受験が終わり私は志望していた高校に進学することができた。高校生になってからは執筆活動により時間を使うようになっていた。私は小説家になりたかったのだ。誰かに自分の小説を読んで、感動しいて欲しかった。私は私自身が小説に助けられた身だから。少し話が脱線するかもしれない。私は中学生の時、軽いいじめあっていた。もう生きる意味も見出せず、世界をつまらないと思っていた時、あの小説に出会った。それを読んで私は涙が止まらなくなった。詳しいことは忘れてしまったが、物語は切なく、命の大切さを伝えるものだった。私はこの物語に命を救われたのだ。苦しい時、悲しい時、そういう時は決まってこの小説のセリフを思い出していた。そんな日に、ふと思った。私も人の心に残るような人になりたいと。だから私はもう一度小説を書き始めたのだ。小説家になりたいと思ったのだ。それからは一心不乱に小説を描き続けた。テストの前日も、検定の朝も。気がつくと、私の学力は大幅に下がり、大学進学の絶望さを謳っていた。私は昔から志望していた大学があった。でも、今の学力ではどう考えても厳しかった。だから私は勉強することにした。しかし、執筆はやめられなかった。それでも、両立することを頑張っていた。
高校二年生の夏は特に忙しかった。私は生徒会メンバーに選ばれ、また部活でも部長をやっていた。私は勉強も、執筆も、生徒会も、部活も全て両立しなくてはいけなくなった。何かを捨てれば少しだけ楽になれる、そうわかっていても、私には諦めるという選択肢はなかった。その頃から、自分の健康に配慮できなくなった。睡眠時間が短くなり、徹夜をする日数がどんどん増えていった。頭は回りにくくなり、それでも常に何かを考えていた。そんな私の唯一の楽しみが執筆だったのだ。執筆だけが私の心の救いだったのだ。そんな私の体調を心配してくれた人がいた。部活の後輩だった。その子は私を認めてくれた。
「よく頑張ったな。」
そう言って頭を撫でてくれたから。初めて頑張ってることを認められて嬉しかった。私のことを見てくれて嬉しかった。けれど、本当は私のことなんて見ていなかった。いや、見ていた。私のことも見ていた。彼は私のことを愛してくれなかった。上部だけの笑顔を浮かべて私に近づいていただけだった。だから私は、人を信じられなくなった。私が信じられるのは、自分の物語の中だけになってしまった。生活は一段と悪化した。誰も止めなかった。誰も止めれなかった。勉強も、部活も、生徒会も…。執筆以外のことは全部やめた。そして迎えた、高校三年生の冬、私には本当に執筆しか残らなかった。私は晴れて小説家になるという夢の一歩を踏み出したのだ。それ以外の選択肢はなかったから。



