御三家恋綺譚


桜の蕾がほころび始める季節。
授業を終えた生徒たちのざわめきが、校舎に満ちていた。

ここは、近衛(このえ)学園高等部。日本屈指の名門校である。
そして、この学園には、ひとりの女王が君臨している。

制服のスカートを翻し、ひとりの生徒が廊下の先から姿を現した。
その瞬間、ざわめいていた空気が、ふっと静まる。
生徒たちは無意識のうちに道をあけ、彼女の歩く先に余白を作った。
彼女は、涼しい顔で自分を見つめる視線を受け流し、まっすぐ前だけを見据えて歩いていく。
背筋は伸び、足取りに迷いはない。
その瞳の奥を、誰も読み取ることはできなかった。

「あの人、どなた?このワタクシに、こんな隅を歩かせるなんて!」

小声の抗議に、隣の生徒が青ざめて囁き返す。

「やめなさい!あなた、新入生でしょう?あの方に逆らったら、この学園では生きていけないわよ」
「ど、どうして?」
「あの方は、御三家・(あらし)家当主のご息女、嵐(すい)様よ」
「ご、御三家!?」
「以前、嵐様に無礼を働いた生徒たちが、退学させられたって噂もあるわ」
「そ、そんな……」
「無事に卒業したいなら、嵐様の前では慎みなさい。嵐様の歩かれる道を、塞ぐことも許されないのよ」

その声は、恐れと羨望が入り混じっていた。

「ごきげんよう、嵐様……!」
「ごきげんよう、翠様……!」

次々とかけられる挨拶に、彼女——翠は歩みを止めることなく応じる。

「ごきげんよう」

淡々とした、感情の温度を感じさせない声。
決して愛想がいいわけではない。
それでも、生徒たちはその一言に胸を高鳴らせていた。

やがて翠は、視線の集まる廊下を抜けていく。
ひそひそと囁かれる声は、もう翠の耳には届かない。
翠は、歩みを止めることなく前を見据えたまま、心の奥で小さく息を吐いた。