深夜2時の青春

 一晩中通話を繋げていた夜から数週間が経った。

季節はすっかり冬に変わったけど、僕たちは変わらず金曜日の夜に弁当を買って、一緒に食べている。

そのおかげもあってか、ここ最近は研究も私生活も穏やかで充実してきているように思う。

朝に翔太くんから届く「おはよう」というLINEのひと言に、ネットニュースで見る翔太くんの活躍。

翔太くんとの繋がりが僕の原動力になっている。

一方的に憧れていた頃とは大違いだ。

 そんな日々が続く中、夜更かしをして研究発表のための資料を作っていると、ブーブーと机の上に置いてあったスマホが鳴った。

「もしもし、翔太くん?」

「あー、急にごめん。今何してる?」

 突然電話をかけてきたのは翔太くんだった。

「今は研究発表用のパワーポイントを作ってるかな」

「そっかあ。じゃ忙しいか」

 翔太くんが残念そうに言った。

「何か用事だった?」

「んーまあ。ちょっと春馬さんに会いたいんだけど、今からそっち行っていい?」

「それは大丈夫だけど」

 こんな遅い時間にわざわざ会いに来るなんてどうしたのだろう。

何か大事な用事なのかもしれない。

 僕は電話を切ってから、部屋中に広げた論文や専門書を急いで片付けた。

 20分ほどすると、部屋にインターホンの音が響いた。

玄関のドアを開けると、白い息を吐き、鼻先をほんのり赤くした翔太くんが立っていた。

「やっほ、春馬さん。寒いけどアイス買ってきた」

 翔太くんは、パッと八重歯を見せて笑い、カップアイスが入ったコンビニのビニール袋を僕の顔の前に差し出してきた。

「えっ……翔太くん、それ」

 僕は目の前に差し出された腕と反対側の腕を見て、言葉を失ってしまった。

「あ、これ?ははっ、折れちゃった」

 僕の視線に気づいた翔太くんはあっけらかんと笑った。

「折れちゃったって……」

 翔太くんの右腕は、肩から不自由そうに三角巾で固定され、固いギプスが肘まで巻かれている。

「いつ骨折したの?」

「今日。でも大丈夫だよ」

 翔太くんは三角巾で吊られた腕をパタパタと動かして笑った。

でもきっと、大丈夫なんかじゃない。

いつもの人懐っこい元気な笑顔に、痛々しく肩から吊られた三角巾。

それに少し覇気の無い声。

そのチグハグさに僕は喉の奥がきゅうっと静かに締まっていく感じがした。

 部屋に入ると、翔太くんはすぐにソファーに座り、買って来たバニラとチョコのアイスを1つずつビニール袋から取り出した。

「春馬さん!一緒に食べよ」

 翔太くんが自分の隣に座るようにと、「ん!」と言ってソファーをポンポンと叩いた。

 言われた通り、隣に座ってカップアイスのフタを開ける。

ペリペリと中蓋を捲りながら、翔太くんの方へ向くと、翔太くんは眉間に皺を寄せながら、何度も左手でカップアイスのフタを取ろうとしては失敗していた。

「あぁっ、僕が開けるよ」

 僕はすぐに翔太くんの左手からアイスを取った。

「……ごめん」

 翔太くんは申し訳なさそうに言った。

 やっぱり元気がない。

普段、元気いっぱいで自信に満ちている顔が今日は曇っている。

「急に利き手と反対の手を使うってなれば、食べにくいよね。良ければ、僕が食べさせようか?」

「それって……あーんしてくれるってこと?」

 さっきまで浮かない顔をしていた翔太くんの顔が、急にポカンとした。

「は?」

「え?あっ、ちがう?ごめん」

「いやっ、ちが……違わない、です」

 慌てて翔太くんを肯定する。

自分で提案したことなのに、翔太くんが言い換えた言葉に思わず驚いてしまった。なんて大胆な提案をしてしまったのだろう。

「じゃあ、お願いしたい」

 翔太くんが嬉しそうに目を細めて笑った。

今日、初めてちゃんとした翔太くんの笑顔を見た気がする。

「わかった。……では、いきます」

 僕は一度、眼鏡をかけ直してから、スプーンに一口分のアイスを乗せる。

「ふふっ、ひと口でかくない?」

 また翔太くんが笑った。

「大きい?じゃあ、もうちょっと小さく……」

「そのままでいいよ」

 翔太くんは楽しそうに返事してから、口を開けた。

 僕は慎重に翔太くんの口の中へバニラアイスを運ぶ。

翔太くんの尖った八重歯や、薄くて綺麗な形をした唇。

アイスが運ばれるのを待つ舌にまで、勝手に目が向いてしまう。

そんなことを考えてる場合じゃないと思うのに、以前の翔太くんとのキスを思い出してしまう。

「はい……あっ」

 慎重に運んだはずなのに、口を閉じた翔太くんの口角からバニラアイスがたらりと垂れている。

「あぁ、ごめん。すぐに拭くからちょっと上にでも向いて……て」

 口元を拭くティッシュを探そうと振り返った頭が捕まえられた瞬間、そのまま口を塞がれてしまった。

翔太くんの唇に。

(え……?)

 頭が真っ白になる。

なのに口の中にはバニラの味が広がってくる。

冷たくて、ぬるりとした翔太くんの舌と、僕の温かい舌が混ざる。

「ん……んんっ。しょう……た……く」

 止めなければと思うのに抗えない。

頭がふわふわする。

何も考えられない。

 少ししてから、ゆっくりと唇が離れた。

だけど僕と翔太くんの顔の距離は数センチほどしかない。

背伸びをするように首を伸ばせば、もう一度キスができそうなくらいの距離だ。

「ご……ごめん、春馬さん」

 謝った翔太くんは、うっすらと目に涙を浮かべていた。

「翔太くん」

 驚いた、というよりは、やっぱりなと思った。

いつも陽気だからって、怪我をして平然といられるスポーツ選手はいないと思う。

だから、やっと翔太くんが素直になった気がした。

「ごめん。俺、今、勝手にキスした」

「ふっ。ふふふ。あははは」

 不謹慎だと思ったけど、つい笑ってしまった。

「翔太くん。忘れたの?僕、今のキスよりも前に、翔太くんにキスさせた男だよ?」

 酔っていたとはいえ、僕たちが初めてキスをしたのは僕が翔太くんに強制させたようなものだ。

「でも……」

「じゃあ」

 僕はそっと翔太くんに近づき、唇が触れるだけの軽いキスをした。

「へっ!?なんっ、ええ!??」

 今度は翔太くんが混乱する声を出した。

「ふふ。これで、おあいこって事で」

 僕はニッと笑った。

「なにそれ……春馬さんずるいって」

 照れ臭いのか、翔太くんは大きな左手で口元を覆った。

「これでも僕は君より年上だからね」

 ふふんっ、と僕は笑った。