彩色の恋模様






 時同じくして、呉服屋の隣の加納宅では、久しぶりに親子が酒を酌み交わしていた。
 それなのに、場の空気は最悪だった。
 理由はその話の内容である。

「そういや直斗。最近あの娘と話しているのか?」

「あの娘」で誰のことを言っているのか理解した直斗は、顔を顰めた。
 そして目の前に座る父を睨みつけながら無愛想に答える。

「いや?あの娘と話すことは何もない」

 直斗は幼い時からそうだった。周囲の人に興味を持たないし、必要最低限しか話をしない。この先一生を共にするであろう婚約者ができれば彼の性格も変わるかと思われたが、どうやら間違いだったようだ。

「わし的には今すぐに婚姻を結んで、あの娘に加納の姓を名乗ってもらいたいと思うのだが。後継ぎも必要だしな」

 盃を片手に平然と言う父に直斗は憤慨し、手に持っていた盃を勢いよく机に叩きつけた。

「勝手なこと言わないでくれよ!」

 直斗には、両親が何をしたいのかよく分からなかった。
 婚姻を結ぶ?後継ぎ?意味が分からない。
 百歩譲って加納家の長男である自分が、跡取りを残すために結婚しなくてはいけないことは理解はしている。
 しかし、両親や妹の美夜があんなにけむたがっているあの娘と、これから生涯を共にしていく意味が分からなかった。

 それに、そもそも直斗自身は結婚に興味がない。
 昔から加納屋が大好きで、自分もいつか着物に絵付けをする手描き職人としてこの店で働き、この店を守っていくものだと物心ついた時から思っていた。そのために今も大学で美術を専攻し勉学に励む日々。

 それなのに、突然言い渡された婚約。
 まだ学びたいこともやりたいことも多くある。結婚して相手のこと、子どものことを考えるなんて今の自分にはできない。
 もっともっと着物について、絵について学びたい――

 だが、大好きな店を存続させることを考えると婚約しない他なかった。

『大学を卒業するまでは婚約者という肩書にすること』

 これを条件にやむを得ず了承したのだった。
 だから、和花が気に入らないとかそういう理由で彼女を避けているわけではない。
 優しい言葉をかけて、変に勘違いされるのも困る。
 きっと婚約相手がどんな人であれ、同じように接しただろう。

「何をそんなにいきり立っているのだ?今後の加納家、加納屋のことを考えたら誰でも理解できることだろう?」 

 父は酒を一口、にやにやと笑う。

(自分の息子のことより、この家の繁栄、金のことしか考えていないじゃないか)

 自分や和花を物としか見ていない父親に嫌気がさした。

「まあ良い。どうせあと一年で大学も卒業だろう?それからでも遅くないわい。十年だと待てないがたった一年ぐらいどうってことない」

 下品な笑い声が響く中、直斗が呟く。

「……何故あの娘に辛く当たる?着物に絵付けができないなら婚約を解消し、開放すれば良いだろう?」

 婚約して初めの方は、和花に対して優しく接していたところを見ていたが、ある日を境に急に当たりが強くなった。
 聞けば、絵付けができると思っていたのにできなかったから。
 本当にどうしようもない親だと思う。
 ごもっともな意見を言い放たれた父は、笑いを止め深いため息をひとつ吐く。そして宙を見ながら歯切れが悪そうに呟いた。

「……約束があるからなあ」

 父の目がほんの一瞬、何かに怯えたように揺れる。直斗はそれを見逃さなかった。

「……約束?」

 直斗が聞き返したと同時に、襖の外から声が掛かった。

「なんだ」

 途端に父の声が低く、野太くなる。
 襖がそっと開き、顔を覗かせたのは、たった今話の話題に上がっていた当の本人だった。
 和花は礼儀正しく正座し、頭を床につけるくらい姿勢を低くしていた。父の態度に臆することなく、淡々とその場で要件を述べる。

「遅くに申し訳ございません。閉店時間は過ぎておりますが、お客様がお見えになっておりまして……」

 だんだんと父の顔が変わっていく。

「なに?お前が勝手に受け入れたのか?」

「も、申し訳ございません……日中に立ち寄れなかったと言っておりまして……」

「そんなの明日にしてもらえ!」

「そ、そうなんですけれど……」

「わしに口答えするのか!?」

 父の怒りが湧き上がっていくのが分かる。その迫力は実の息子でも恐怖を感じるのに、この娘は淡々としていた。

「そういうわけではございません!……ただ、いらっしゃった方が、九条さまという方でして……」

 和花が九条の名をあげた瞬間、思わず父と顔を見合わせた。
 雲の上のような存在の方が、今ここに来ている?
 これまで代々帝に仕え、帝都の頭脳として名を残してきた名家中の名家の人間がこの店に来ているだと?
 なぜ?

「そういうことは早く言え」

 父はすぐさま立ち上がり、文句を言いながら部屋を出て行った。
 きっと、上機嫌で接客をするのだろう。名家との繋がりを作れば、今後何かの役に立つのではないかと、下心が見え見えである。
 取り残された和花は、ぼーっと一点を見つめていた。
 心ここに在らずで、少し目が赤い気がする。

「おい」

 一言声をかけると、ぴくりと肩を振るわせた。

「は、はい……」

「なにかあったのか?」 

「い、いえ、何も……」

 気まずそうに目を逸らし、下を向いた和花は答えた。

「失礼します」

 そのまま軽く頭を下げると、来た道を引き返していった。

(父さんが言っていた約束ってなんなんだ?なんで彼女は辛い思いまでしてここにいなくてはいけないんだ?着物の絵付けなら俺がするのに……)

 直斗は盃を持ち上げ、一口酒を口に入れる。
 一人きりになった部屋で、父の言葉と和花の態度がぐるぐると頭の中を駆け巡った。