彩色の恋模様







「何よ、その目」

 和花の鋭い視線が気に入らなかったのか、美夜は鬼の形相で睨んだ。
 しかし、和花も負けじと見つめ返す。

「……私は、行きません」

「は?」

「私はもう、そちらには戻りません」

「何を生意気な!早く、加納の家に戻りなさい。お前の仕事がたんまり残っているんだからな!」

「お義姉さまに……あんたなんかに九条さまの隣は似合わないのよ!身の程を知りなさい!」

 美夜にぎりぎりと手首を掴まれ引っ張られる。だが、和花は一歩も進むまいと踏ん張った。

 和花だって気にしている。
 蒼弥の隣に相応しいかどうか正直自信はないし、この着物が似合っているかどうかなんて分からない。
 だけど、蒼弥はそばにいて欲しいと言ってくれた。カナもかすみも、鮮やかな色の着物がとてもよく似合うと褒めてくれた。

 信じたい。
 そしていつか胸を張って、あのあたたかい家に居られる自分になりたい。
 だから、ここでこの人たちの言いなりになるわけにはいかないのだ。

「行くわよ、さあ早く!」

「……い、いやっ……」

 大きな声を上げながら、和花は力を振り絞り、美夜の手を払いのけた。

「……は?」

 初めて見た和花の反抗に、二人は一瞬怯んだ。しかし、すぐに意識を取り戻す。

「うるさい!黙れ!」

「蒼弥さんっ……!」

 義父に無理矢理手首を掴まれ、和花は無意識に蒼弥の名を呼んだ時だった。
 手首を掴まれていた手がふっと軽くなり、冷え切った背中にあたたかい何かを感じたのは――

「大丈夫ですか?和花」

 背中から聞こえてきた声は、温もりあふれた声だった。

「そ、蒼弥さん……」

「すみません、遅くなり、怖い思いをさせてしまいましたね」

 優しい声色に安心感と涙が込み上げてくる。

「……いいえ、来てくださってありがとうございます」

 ふと掴まれていた手首を見ると、くっきりと赤い跡が残っていた。蒼弥もそれに気付き、跡を優しく撫でる。
 和花の顔を覗き込み、優しく笑いかけているが、目の奥は笑っていない。

「こんなに赤くなってしまって、痛かったでしょう?」

「……大丈夫です。このくらい」

 普段穏やかな蒼弥が怒りの感情に支配されている姿を和花は初めて見た。
 蒼弥は顔を上げると信忠と美夜を睨みつけた。

「女性にこのような扱いをされるのは感心致しませんね」

 声には怒りがこもっている。怒りの感情を抑えようと蒼弥も必死だった。

「九条さま……」

 美夜はぽかんと蒼弥を見つめている。我に返った信忠は今度は蒼弥に食いかかった。

「これは加納家と藤崎家の問題。お前には関係のないことだ。勝手に婚約破棄の手紙を送ってくる非常識め。わしはそれを許していないからな」

「しかし、了承と金貨を受け取った旨を使用人から聞きましたが」

「それはそれ、これはこれだ。了承した覚えはない!」

 訳の分からない言い分に場の空気は冷え切っていた。

「この場でその娘を返してもらおう。こいつは加納家の物だ。名家だかなんだか知らないが、お前が口出すことは許さん!」

 信忠はなおも諦めずに罵声を浴びせてくる。和花の身体は自然と力んでいた。
 それを感じ取った蒼弥は、和花を庇うように抱く力を強め、ぴったりと自分に引き寄せた。

(蒼弥さん……)

 怖い。
 だけれども、この優しさを失いたくない。
 自分のことを想ってくれる人たちを巻き込み、傷つけたくない。
 そのためには、自分が自ら動かなくては。
 やれることなどちっぽけかもしれない。でも、やらなくては。自分の気持ちを伝えなくては――

「蒼弥さん」

「はい?」

「少し、よろしいでしょうか?」

「和花?」

 大丈夫、何かあれば蒼弥がいてくれる。それが和花にとって大きな救いだった。
 逞しい蒼弥の腕の中からすり抜け、信忠の元へ一歩ずつ歩みを進める。
 怖いけど、大丈夫。
 何も言い返せないでいた自分はもう、いない。今なら自分の気持ちを伝えられる気がした。だって和花にはこんなに強くて頼もしい味方がいるのだから。
 自分の幸せを掴むために、和花は大きく息を吸い込んだ。

「私は……!」

 唐突に話し出した和花に皆の視線が集まる。
 心臓が痛いほどに速く、大きく動く。

「私は、もう、そちらには戻りません」

「なに?生意気言いやがって!」

「それに……確かにその紫陽花は私が描きました。ですが、私はあなたたちの前では一生絵を描くことはできないでしょう」

「は?」

 信忠の顔は歪みに歪み、般若のような顔をしていた。
 そんな恐ろしい顔にも怯むことなく、和花は真っ直ぐに信忠を見据えた。

「私の……私の絵は、幸せではないと描けないのです。蒼弥さんやお義母さまは、私のことを受け入れ、守り、幸せをくれました。だから描けるのです……!あなた達のところにいても私は幸せにはなれない。だから、加納家では絵をかけません……!」

「ふ、るざけるな!!!」

「冴木さん!小山さん!」

 きっぱりと言い切った和花に掴みかかろうとした信忠だったが、それよりも蒼弥の指示が早く、影から部下である冴木と小山が飛び出してきた。
 そして、信忠を取り押さえる。
 未だ騒ぎ立てる信忠に、蒼弥は冷ややかな目を向けた。

「加納信忠。あなたは和花へ散々危害を加えていましたが、他にも余罪がありそうですね」

「な、なんのことだ」

 汗をダラダラ流しながら恍ける信忠に、蒼弥の綺麗な顔が歪む。

「分からない、とでも?自分の胸に手を当てて良く思い出すといいですよ」

「……っ」

「金の横領、不正販売、それから……人を殺めたこともあったでしょう?」

「な、なに?なんのこと……?」

 突然並べられる罪状に、美夜はその場にへたり込んだ。和花も驚きを隠せない。

「証拠も揃っていますから、言い逃れはできません。詳しくは後ほど伺いますので。何か言いたいことはありますか?」

 蒼弥が厳しい目つきで信忠を見ると、彼はあろうことか不適な笑みを浮かべていた。

「何がおかしい」

 信忠のありえない態度に蒼弥の顔が一層きつくなる。

「……ふふふっ……くくくっ……」

 とうとう不気味な声を上げて笑う始末。その場はしらけた。誰もがこの男を狂った男として冷たい視線を向けた。

「突然の捕縛に頭がおかしくなったのか。連れて行って下さい」

 上司の指示に後方にいた小山が縄を引く。
 信忠は抵抗する訳でもなく、騒ぐ訳でもなくただひたすら気味悪く笑っていた。

「……俺を捕縛したからと言って全てが終わった訳ではない」

 低い静かな声が呟かれる。

「は?」

 意味不明な発言に蒼弥は聞き返すも、返答はない。

「――あの人が本気で動き出したら、こんなもんじゃ済まないだろうな」

 信忠は天を仰ぎながら呟いた。
 腕に縄をかけられた信忠が連れて行かれる。

「な、なに……これはどういうこと……」

 美夜は座り込んだまま動けないようだった。
 突然の信忠の捕縛に思考が追いついていないのだろう。

「その娘も連れて行きなさい」

 指示すると、冴木が美夜の手を取り立たせた。震えがおさまらない美夜は、縋るように和花を見た。

「ねぇ、お義姉さま……何が起こっているの……?」

「……」

 もちろん和花も今初めて知ったのだ。驚かないわけがない。

「ねぇ、助けてよ、お義姉さま……!今までのことは謝るわ!だから……!」

「私の大切な人を傷つけた罰です」 

「え……」

 和花がなんて答えようか悩んでいる間に、腰には蒼弥の手が回っていた。

「私は和花だから隣にいて欲しいと思っています。あなたに興味は少しも湧きませんでした」

 きっとこれまで可愛がられてきた美夜は初めて異性に、いや人に冷たい言葉を言われたのだろう。顔を青くして、冴木に支えられながらその場を立ち去ったのだった。