目の前の和花は、琥珀色の目を瞬かせていた。
しかし、蒼弥とて我慢ならなかったのだ。
こんなに素敵な人なのに、自分自身で自分を否定する和花のことが。
「和花さん、私は嘘は言いません。あなたはとても魅力的な方ですよ。ですから、自分のことを下げて言わないで欲しいです」
和花の唇に当てていた指を離し、そのまま華奢な肩を掴み、顔を覗き込んだ。
真っ直ぐ伝えれば、伝わるだろうか。
氷に閉ざされている和花の心を溶かすことができるだろうか。
いや、できるかできないかじゃない。
氷を溶かしたいのだ。蒼弥の手で。
そのためなら何回だって伝えよう。自分に自信がなく、否定的なことを言ったとしても、蒼弥自身が肯定し、彼女を優しく包み込もう。
(私はこんなにも、彼女のことが……)
間近で見る和花の顔は、とても美しかった。
見た目の貧相さなどどうだって良い。
和花の琥珀色の目は、こんなにも宝石のように綺麗なのだから。
「わ、私は見た目も貧相ですし、取り柄などありません……私は九条さまにそんなに優しくして頂ける人間ではないのです」
和花は唇を震わせ、小声で言った。
そんな姿も愛おしく思う。
笑った顔も、泣いた顔も、戸惑う姿も。
どんな姿の和花も、蒼弥には魅力的に見えているから不思議だ。
「和花さんの笑ったお顔も、今私に下さったハンカチーフもあなたから生まれたものです。こんなに美しいものを生み出せるあなたは素敵な人に決まっています」
「……」
「それに、こんなに素敵な人にもっと欲張りに他に何かを望んだら、バチが当たってしまいそうです」
「バ、バチだなんて……そんなこと……ふふ」
蒼弥物言いに和花は思わず吹き出した。口元を隠し控えめに笑う姿はやはり美しく、蒼弥もつられて頬が緩んだ。
「ほら、やはり笑うと美しい」
「……ありがとうございます、九条さま。私、九条さまとお会いするたびに、いつも元気をもらっている気がします」
ひとしきり笑った和花は、どこか恥ずかしそうに視線をうろうろさせながら言った。
「そんなの私もですよ」
蒼弥は大きく息を吸い込むと、真正面から和花の顔を見た。
「和花さん」
「はい」
「あなたはこれからどうしたいですか?」
「……」
蒼弥の問いに、和花の瞳が揺らいだ。
今日はこれを伝えるために、ここに来たのだ。
彼女と出会い、今まで感じたことのなかった感情を味わった。初めは戸惑ったが、自覚をした途端、とても愛おしく、そして彼女のことを知れば知るほど、守りたい、隣にいたい気持ちが強くなる。
だから彼女を救うことを決意し、動き出した。
しかし、これは蒼弥の一方的な思いであり、和花が本当はどう思っているのかは分からない。だから今日直接会って確かめたかったのだ。
和花の本心を。
「……それは、どういう……?」
説明足らずで和花は明らかに混乱していた。
蒼弥は和花の肩から手を離し、椅子から立ち上がるとその場に跪いた。
綺麗な瞳に見下ろされる。
「勝手に申し訳ありませんが、あなたのことを色々と調べさせて頂きました」
「……」
「日々、頑張っていらっしゃる姿を想像するだけで、私は胸が張り裂けそうになります。あなたには幸せに生きてほしい」
蒼弥は一度息を整え、真っ直ぐに見上げた。
「これは一つの提案ですが――加納直斗さんとの婚約を破棄し、私と婚約をしてくださいませんか?」
時が止まった気がした。
他の物音などなにも聞こえない。ただ、蒼弥の真剣だが柔らかい声だけが、和花の耳に脳内に響いては広がっていった。
あまりにも現実味がなく、夢でも見ているのだろうかと錯覚したが、薄茶色の瞳は確実に自分を向いていた。
心拍数がどんどん上昇していく。
蒼弥の素敵な提案は、和花の心を踊らせた。
こんなに素敵な人と一緒に暮らせるなど、どれだけ幸せで、嬉しいだろうか。想像するだけで思わず顔が緩んでしまう。
頬が緩むのは、ただ単にこの家から出られることが嬉しいわけではない。
だって、和花も蒼弥のことを愛おしいと思っているから――
しかし、戸惑いが隠せないのも事実だ。自分と婚約したとして、蒼弥にはどんな利点があるのだろう。
帝国を支える文官長の蒼弥と、みじめなしがない呉服屋の娘。
見た目も立場も何もかもが違いすぎる。
蒼弥に限ってありえないと思うが、もしかしたら蒼弥も自分をなにかに利用しようとしているのかもしれない。
なんて答えれば良いのか。和花は動かない頭を必死に働かせて考える。
考えれば考えるほど頭の中は混乱し、余計に分からなくなってくる。
背中に嫌な汗が流れた。
「……っと、この言い方では語弊を生んでしまいますね」
蒼弥は、ふっと息を吐くと、真剣な面持ちで和花を見た。
「和花さん、私はあなたのことを同情心から助けようとは少しも思っていませんよ」
「……」
「初めて会った時からあなたのことが気になっていました。美しい所作に言葉遣い、滲み出る優しさに、いつの間にかあなたに惹かれていました。和花さん、私はあなたのことを守りたい、これから一緒に幸せに生きていきたいのです」
「……九条さま……」
「だから、私と結婚してくださいませんか?」
蒼弥の薄茶色の目は、決して嘘をついていない。ただひたすらに和花だけを見て、和花だけに伝えてくれた。
蒼弥を少しでも疑っていた自分が恥ずかしい。
彼はこんなにも真っ直ぐに自分を見ていてくれたのに……
大きな嬉しさと、ほんと少しの申し訳ない気持ちが入り乱れる。
「和花さん、大丈夫です。私はどんな答えでもあなたを責めたり、笑ったりはしません。だから、あなたの気持ちを心のままに教えてくださいませんか?」
ずっと心にきつく蓋を閉めていた。蓋をしたのは自分の意志だったが、一度きつく閉めてしまうとなかなか開けられない。
さらに蓋は錆びつき、自分でも開ける方法が分からなくなっていた。
でも、蒼弥は少しずつ、でも確実に心の蓋を緩めてくれたのだ。
自分の気持ちを伝えることは恐ろしい。しかし、ここからは、自分で頑張らなくては。
自分の思いを、きちんと形にして伝えなくては。
「九条さま……」
和花は大きく息を吸い込むと、蒼弥の目をしっかりと見つめ返した。
胸の奥が熱くて、痛いほど鼓動が響く。
何を言えばいいのかは、もう決まっているのに、声が震えて出てこない。
けれど、もう逃げたくなかった。
この人の想いに、まっすぐ応えたい――
そう思った瞬間、和花の唇がゆっくりと開いた。
