「あなたが、魔王ゼノヴィアス?」

 女性の声は、静かだが有無を言わせぬ迫力があった。

「……そうだが」

 マオはようやく、それだけを絞り出す。

「派手にやってくれたわねぇ……」

「こ、これは余のせいでは……ない……」

 マオの声は、まるで教師に叱られる子供のように小さく、か細かった。五百年の歴史を持つ魔王の威厳など、もはやどこにもない。夕陽が、その震える肩を赤く染める。

「でも、最初に手を出したのは、あなたでしょう?」

 その一言が、マオの心臓を鋭く貫く。優しげな声音の奥に潜む、逃れようのない真実の追求に、膝が震えた。

「い、いや、それは……」

 言葉が喉に詰まる。確かに、最初に紅蓮煉獄覇(ファイナル・デトネーション)を放ったのは自分だ。言い訳など、できるはずもない。

「そうだよ女神様!」

 突如、煤まみれの顔をしたシアンが飛び上がってきて抗議する。青い髪は爆発したようにチリチリに焦げ、シルバーのボディスーツは見るも無残に破れている。

「この魔王が全部悪いんだよ! ボクは被害者だもん!」

「め、女神……様……?」

 マオの顔から、さらに血の気が引いていく。

 熾天使(セラフ)すら従える存在。この世界そのものを創造した神。絶対的な支配者――。

 その事実が、鉛のように重くマオの肩にのしかかった。

「天誅するならコイツじゃないか! なんで僕が……」

 シアンは頬を膨らませ、子供のようにマオを指さした。焦げた指先が、ぷるぷると震えている。

「な、何を言うか!」

 マオの深紅の瞳に、最後の抵抗の炎が宿る。

「一生懸命に生きる者を愚弄する、そなたの挑発が原因だろう?!」

「本当のこと言っただけじゃん!」

 シアンは唇を尖らせ、ぷくっと頬を風船のように膨らませた。

「そもそも!」

 マオの声が、感情の高ぶりと共に大きくなる。

「お主らの都合で殺し合いをさせられ、見世物にされてきたこと自体、許しがたい! 我らは人形ではないぞ!」

「はぁぁぁ!?」

 シアンの青い瞳が、怒りで爛々と輝いた。

「このオタンコナス! 一度殺さないとダメね!」

 ブワァァァッ!

 青白いオーラが、シアンの全身から噴き出し、大気が震えた。

「そういう態度が問題だと言っとるのだ!」

 マオも負けずに言い返す。

「止めなさい!!」

 女神の一喝が、世界を震撼させた。

 ビリビリビリ……!

 雷鳴のような威圧感が、二人の身体を貫通する。マオもシアンも、反射的に身を竦めた。

 くっ……。

 静寂が、重く垂れ込めた。

「魔王や……」

 女神はゆっくりと、マオの顔を覗き込む。

 その琥珀色の瞳の奥には、星の誕生と死を見つめてきたような、深遠な叡智が宿っていた。

「こやつは聖と魔の属性を設定しただけ……」

 女神の指先が、そっとマオの頬に触れた。温かく、そして恐ろしいほど優しい感触。

「殺し合ったのは、お主の内なる破壊衝動によるものだろう?」

「何を……何を言う!」

 マオは必死に反論する。しかし、声は震えていた。

「聖と魔の殺し合いは必然ではないか! 光と闇は相容れぬ!」

「ならば」

 女神は静かに微笑んだ。

「この五十年の平和は、なぜ? 聖女と懇意なのは、なぜじゃ? ん?」

「そ、それは……」

 言葉が、出ない。確かに、聖女とは奇妙な友情すら芽生えていた。

「もちろん」

 女神は夕焼け空を見上げる。

「上を目指せば、軋轢は避けられぬ。ましてや世界の天辺を争うのであれば、多くの血は流れるだろう」

 その声に、深い憂いが宿った。

「だが、それは我らの狙いでも、望みでもない」

「なら……」

 マオは唾を飲み込んだ。

「なぜ、そのような事態を傍観するのか?」

 女神の表情が、夕陽の影に溶けるように翳った。

「消されるから……ね」

 その声は、永遠の疲労を背負った者の諦念に満ちていた。

「……は?」

 マオの思考が、ガラスが砕けるように完全に停止した。

 この世界の創造神が、全知全能の存在が、何かを恐れている? そんなことがあり得るのか?

「誰に……?」

 喉の奥から絞り出すように、震える声で問いかける。

「宇宙よ?」

 女神はうんざりした様子で答えた。

「……は?」

 マオの頭の中で、五百年かけて築き上げた世界観が、轟音を立てて崩壊する。理解の限界を完全に超えたのだ。

「お主も聞いたであろう? この世界を取り巻く状況を」

 女神の琥珀色の瞳が、哀れみを帯びてマオを見つめる。

「『宇宙の意思』……とやらか?」

 マオは苦虫を噛み潰したような顔で、その忌まわしい言葉を吐き出す。

「みんなが元気に活動する世界を創るとかいう……」

「違うわ」

 女神は静かに、しかし断固として首を横に振る。夕陽に照らされたその横顔に、深い疲労が見て取れた。