八重樫くんが落としたのは書きかけの激重ラブレター~しかもどうやら俺宛てっぽい!?~

「使いやすいだろ?」
 グリップ部分を握りながら眺めていると、夕也がずいっと俺に顔を近づけてきた。近い、と思わず顔を押し返せば「ひでぇ」と悲しそうな声が帰ってくる。
 合宿が終わり、いつも通りの部活が戻ってきた。とはいえ、まだ夏休み期間中。部活がない日は家で勉強をしているか、友だちと遊びに行くかの二択。昴は塾漬けになっているようで、部活に顔を出す頻度も減ってきた。
 合宿で折れてしまったラケットについてはまだ報告できていない。代わりに、以前夕也が使っていたラケットを使用させてもらっている。本人は俺のラケットを追ってしまったことを心の底から申し訳ないと思っているようで、何度も謝り、ご機嫌取りをするようになってきた。俺は、消耗品だから仕方がないよと何度も伝えたが、俺の家庭事情について知っているため気を遣わせてしまっているようだ。
 そんな夕也の変化とは別に、もう一つあの合宿から変わったことがある。
「まひる先輩、昼休憩行きましょう」
「れ……八重樫くん。もうそんな時間か! 中庭空いてるかなぁ」
 俺の荷物を持ってきた八重樫くんは、二ミリほど口角を上げて微笑んだ。体育館のスポットライトは彼を照らすためにあるんじゃないかってくらい輝いて見える。
 夕也は「俺も俺も~」といっていたが、彼に睨まれて撃沈していた。
「二人きりがいい? 今日、昴いなくて」
「……二人きりがいいです。期限短いので、少しでも先輩と一緒にいて俺の気持ち伝えられたらと思ってるので」
「必死だね」
「先輩は余裕そうですね。それとも、まだただの後輩ですか?」
 座っていた俺に手を差し出した彼は、顔を覗き込むように前傾姿勢になる。
 八重樫くんとは合宿以降、お試しで付き合うことになった。初めは彼の提案や、内容になんて不誠実だ! と思ったが、彼は自他ともに認める諦めの悪い男で「それでもいいから、恋人になりたい」と強引に事を進めた。でも、俺自身彼のことが嫌いなわけじゃなかったし、この気持ちが恋なのか、それとも違う感情なのか踏ん切りをつけたかった。それに、ただ普通の高校二年生の男だって気づいても好きでいてくれるか、ちょっと試し行動をとってしまったのだ。俺の方が不誠実だ。
 それでも、八重樫くんはいいと言ってくれたし、むしろいろんな俺が知れて嬉しいとも喜んでいた。
 それからというもの、俺は彼の恋人(仮)になったのだ。
 人生初の恋人。右も左もわからず、これまで通りのことが多い。けど、着実に以前とは違う関係なんだとも頭で理解している。
 恋人になるにあたって、何を変えればいいのか話し合った結果、まず名前の呼び方から変えようという話になった。彼はそのままなのだが、俺は八重樫くんと二人きりの時「黎くん」と呼ぶことにした。まだ慣れなくて、すぐに八重樫くんといってしまいそうになるが、そのたびジッとあの圧の感じる黒い双眸を向けられるので最近は八重樫くんということの方が少ない。慣れとは怖いものだ。
「今日はコンビニ弁当なんですね」
「毎日作ってもらえるわけじゃないし、母さんも忙しい人だから。それに、好物を聞いてくれるのはありがたいんだけど、一から十までおかず言わなきゃいけないのがめんどくさくって」
「弁当箱の端から端まで全部ですか?」
「そう、全部。それでね、頭でこうおかずを思い浮かべるじゃん。俺、肉系入っていると嬉しいからついついメンチカツと唐揚げとウインナーって言っちゃうんだけど、彩と栄養が偏ってる! って怒られて、結局、次の日の弁当を決めるまで三十分くらいかかっちゃったんだよね」
「それに付き合いえる体力があるのはすごいと思いますけど」
 体育館から少し離れた中庭の苔の生えたベンチに腰を下ろす。
 まだ夏で日差しはきついが、それを覆う葉桜のベールが俺たちを包んでいた。
 八重樫くんには家のことをちゃんと伝えた。俺が母とうまく付き合えていないこととか、ラケットのことか。
 以前より、個人的な話が増えていった。相手を知るためにはどうやって生きてきたかを物語のようにして話すのがいい。何か大きな大会でいい成績を収めたとか、実は生き別れの強大がいてとか、そんな面白いことは何一つ起きていない平凡な人生だ。でも、その平凡が当たり前であるのは素晴らしいことだとも思う。
「じゃあ、俺の卵焼き上げます。三つ葉入ってるんですけど大丈夫です?」
「自分で作ったの? すごいなあ、自炊できるタイプなんだ」
 彼の黒い弁当箱には、玉子焼き機半分ほどの大きさの三つ葉入り卵焼きが入っていた。ふっくらと高さのある黄色い側面に、ところどころ緑が挟まっている。
「いつか、先輩に振舞いたくて。あと、上二人ができて俺だけできないのが嫌で」
「昔から、負けず嫌いなんだね。お言葉に甘えて一つ貰おっかな。俺からも何かあげたいな。黎くん何がいい?」
 三つ葉入り卵焼きがプラスチックの弁当箱に入ってくると、弁当の彩りがワッと華やかになる。
 これは結構恋人っぽいかもしれない。そう思いながら弁当を差し出すと、八重樫くんがおもむろに口を開く。サァと吹き付ける風は、また伸びてきた彼の前髪を優しく揺らしていた。
「まひる先輩が欲しいです」
「お、れっ」
 かつてない声の裏返り方をした。
 はくはくと口が開閉を繰り返すばかりで、手に持っているプラスチック製の弁当箱がガタガタと震える。
「俺、お、俺……」
「冗談じゃないですよ」
「こ、恋人ってこんな……こんな……んっ」
 言葉にならない悲鳴がきゅっと漏れた。
 なんて表現すればいいのだろうか。八重樫くんがすっかり恋人の顔になっているものだから、どのように接したらいいか分からなくなる。
 ずっと彼の行動に振り回されっぱなしで、いつも心臓は負担がかかっている気がする。
「黎くんってこれまで恋人いた? あまりにも慣れ過ぎてない?」
「いませんよ。誰かを好きになったのも先輩が初めてですから」
「俺が初めて……それにしては、人を喜ばせる方法をよく知ってるというか。入部当時の君はそんなんじゃなかったよね」
「じゃあ、才能ですかね」
「才能……」
「先輩をドキドキさせる才能。でも、喜んでくれているなら嬉しいです。やっぱり、素直に伝えた方が良いですよね」
 はにかむ彼の顔を直視できない。
 彼が素直にといっているのは、以前俺が伝え方は下手でも言葉にすることが大事といったことを覚えていて、それを実戦し続けているからだ。それにしたって、八重樫くんには羞恥心というものはないのだろか?
(俺にはできないよ……)
 浮かんだギャグをその場で披露することはない。だって、滑ることが怖いから。本音を口にすることが怖いのも同じ理由だ。
 でも、八重樫くんを見ているとそのハードルが下がっていく気がする。むしろ、彼が伝えてくれているのにこっちのアクションがないのはどうかと思うくらい、彼に引っ張られているところもある。
「黎くんは、俺のどこが好きなの?」
「まひる先輩の、どこが……そんなのいっぱいありますよ」
「ぐ、具体的には」
「まず、バド一筋なところ。周囲をよく見て人の空気を読めるところ、優しいところ。それと、先輩の寝癖はとにかくかわいいです」
 八重樫くんが俺の頭の方を見るので、片手でサッと抑え込んだ。そんなところまでよく見ているな……
「けど、空気読めるとか、優しいとか……ってさ、他の人もそうじゃない?」
 読まなければならない空気になっちゃうときとかあるし、優しいって、平等ということの裏返しなんじゃないかって。
 八重樫くんがそれをどう思っているかは分からない。しかし、俺はそれが自分の取り柄と言われてもピンとこないのだ。
 八重樫くんは、俺にくれた三つ葉入り卵焼きを摘まんで一口で食べる。それからゆっくり租借し、大きな喉ぼとけを上下させたあと、改めてこちらを見た。
「先輩にとってそれは当たり前かもしれませんが、当たり前のことを当たり前にやるって難しくないですか。それに、個性がないみたいに先輩は言いますけど、俺にとって先輩は唯一無二なんですよ」
「黎くんは、褒め上手だね」
「褒められ慣れてないからって、逃げないでください」
「え?」
 どうしてそんな言葉が彼から出てきたのかわからなかった。ただ、まっすぐこちらを見つめる彼は、少し不服そうに口をとがらせている。
「……ごめんなさい、言い過ぎました。俺は先輩が当たり前だって思ってやってることが素敵だなと思いますし、別に個性的だとか、才能があるとかそういうのは見てません。ただ、まひる先輩がまっすぐに頑張る姿が好きで、優しくしてくれて、時々特別扱いしてくれる……そんな何気ない言動にいつも幸せを感じてるんです」
 八重樫くんは、持っていたプラスチックの箸をぎゅっと握っていた。
 当たり前は当たり前じゃない。
 周囲の顔色を窺いながら言動をするようになったのは、多分母のことがきっかけだ。でも、それをいいように捉えてくれる人がいるんだと初めて知った。そこに、好きだ、素敵だと思ってくれる人がいるのだと。新鮮な言葉の数々に目の奥がいたくなる。
 ほんの少しだけ自己肯定感が上がる。俺を見続けてきた八重樫くんだからこそ分かる、当たり前だと思っている当たり前じゃない優しさなのだろう。
「あ、ありがとう」
「素直ですね。俺の気持ち少しは伝わりました?」
「うん、とっても、伝わってる。多分、黎くんみたいに、俺のこと褒めてくれる人であったことなかったから……ちょっと戸惑ってたのかも。卑屈になっちゃうんだ……自信がないから」
「先輩の自己肯定感とか、自己評価とか俺の言葉で上げますから。まひる先輩は、今後一切自分を卑下しないって約束してくれますか?」
「えぇ、いきなりだね。でも、それは大切なことだと思うから。う、ん。頑張ってみる」
「先輩はかっこいいだけじゃなくて、かわいくもあるので。これから、先輩が自分で自分のこと『かっこいい』といっちゃうくらい、褒めて刷り込みますからね」
「それは、ちょっとナルシストすぎるよ」
 キャラ変ったねと言われそうだ。夕也とか弄ってきそうだし。
 ただ、八重樫くんが今後も俺のいいところをいっぱい言ってくれるのは嬉しい。俺も、八重樫くんのことをもっと褒めたいと思う。単純なバドミントンの技術だけじゃなくて、俺も彼のことを部活の中で一番見ていると自負してるから。緒方さんにだって負けない。
「もしかして俺のこと、日記に書いてたりする?」
 俺が訊ねれば、彼はそうですが何か? とさも当たり前であるかのような顔を向けてきた。
 

◇◇◇


 俺も八重樫くんを見習って日記をつけてみることにした。といっても、日記帳をわざわざ買ったりはせず、スマホに一日の出来事を書くことにしたのだ。何か新しいものが家に増えれば、必ず母の目に留まってしまうからだ。
 日記をつけ忘れそうになる日も何回かあったが、はじめてから一週間ほどは続いている。三日坊主にならずに続けられているので、この調子で頑張っていきたい。
 八重樫くんと仮恋人期間で恋人同士になったが、あの日受けた告白と同時に貰ったラブレターは封を切れずにいた。俺が彼の気持ちに応えられるようになったら封を切ろうと思う。今の俺には、開いても彼の重たい感情をしっかりと受け止められないと思ったからだ。
 そんな恋人期間は順調に過ぎていった。いつまでという制約を設けずにいたが、俺が区切りをつけていいのだという。彼は多くを俺に委ねてくれているけれど、見返りを求めないタイプだ。与えて満足している、というように見えなくもないが、瞳の奥に寂しい色を感じるときがあるのだ。
 一方的は悲しい。自分が好きでいるだけで十分なんだと口では言うけれど、それを本気で思っている人がどれほどいるのか。
「まひる先輩聞きました。誕生日なんですね」
「えっと、誰から聞いたの?」
「板倉先輩が言いふらしてました。というか、最近板倉先輩によく絡まれます」
 カラカラと自転車の車輪を回しながら、八重樫くんは少しだけ鬱陶しそうに言う。
 そういえば誕生日が近いのを思い出した。誕生日は、母が外食に誘ってくれることが多い。俺の中で去年までは恒例行事として認識していたため、今年もなのかなと思っていた。だが、母は珍しく出張が入ったらしくはじめて一人で誕生日を過ごすことになったのだ。その話を夕也にした気がする。部活もないし、一人寂しく誕生日を迎える俺をちょっとでも励ますために俺の誕生日を言いふらしているのかもしれない。ありがたいような、個人情報の流出ともいえるような……でも、実に夕也らしいと思う。去年、一番に俺におめでとうのLINEを送ってきたのは彼だった。
「部活では最高学年になったわけだし、後輩を構いたい気分なんだよきっと」
「あの人の考えていることって単純なんですね」
「深く考えるようなことでもないと思うけど……そう、俺の誕生日。今年は一人なんだよね……こい、びとって。誕生日も一緒に過ごすもの、じゃないかなって」
 せっかく恋人(仮)になったんだから、こちらからも何かアクションを起こさなければと自転車を止める。
 自分から言うってこんなに勇気がいることなんだと思い知り、顔を上げられない。これだと、自分の誕生日を祝って欲しい人にならないだろうか?
(いや、俺が黎くんに祝って欲しいって思ってるのは本当だし。一人より、一緒にいたいと思った人と誕生日を過ごしてみたいかも)
 誕生日の日、学校以外の時間は母に拘束されていた。母は良かれと思っていろいろやってくれるが、俺がこれをやってほしいんだといったことは一度もない。そもそも、言える空気じゃないなって諦めていた。
「俺から提案しようとしていたところでした。まひる先輩は、俺と一緒にいたいってことでいいですよね?」
「そう、だよ。自分から一緒にいてほしいっていうの恥ずかしいね。慣れないや」
「慣れなくてもいいです。かわいいので。でも、そうやって言ってくれるのすごく嬉しいので、よかったらいっぱい先輩のやりたいこと言ってくださいね。俺、全部叶える気合でいるので」
「そんな! 俺ばっかり貰ってるから、返したいよ。黎くんがしてほしいこととかないの?」
 俺が質問を投げれば、最近では珍しいしローディング時間をはさんだあと、自転車のベルを優しく鳴らしながら「いっぱいありますけど」と消えそうな声で言う。
「何? 俺も聞きたいし、叶えたいよ。恋人って、片方が与える……んじゃ成立しないでしょ。いや、世の中にはいろんな恋人がいるかもだけど」
 少なくとも俺は、八重樫くんに何かを与えたい。でも、八重樫くんの好きなものとか分からないし、何でも好きって言ってくれそうだから困る。だから、本人の口から直接聞きたいのだ。そっちの方が性に合ってる。もちろん、八重樫くんが俺のためにいろいろやってくれるのは嬉しいけど。
「今すぐしてほしいことはないんですけど。それこそ、まひる先輩の誕生日を一緒に祝えたらいいなって思ってます」
「嬉しいな。俺、初めて友だちと誕生日を一緒に過ごすかも……あ、恋人」
 言い直せば、くすりと八重樫くんが笑う。
「意識してくれるの嬉しいですね。はい、恋人と過ごす、初めての誕生日です」
「初めてが恋人……いや、恋人と初めて誕生日を……うぅん、表現難しいね」
 言い方なんて何でもいいのだ。そこに心が籠っていれば、俺たちの間で意味を持っていれば。
 ひとしきり笑いあって、カレンダーに予定を書き込む。二年生になってから俺のカレンダーはすごく色づいて、毎週何かある。楽しいことが終わったらまた楽しいことがやってくるという繰り返しだ。
 誕生日がこんなに楽しみなのは始めてだ。未来の予定にワクワクしながら、俺たちは帰り道をいつもよりゆっくり歩いて帰ったのだった。


◇◇◇


 目覚ましよりも早く起きることなんてめったにない。
 身体が今日という日を楽しみにしていたみたいに軽くて、でも心臓がずっとドキドキしているのだ。
 早起きしたからには何かしたい。そう思いたったができることなんて何もなく、ずっと鏡の前で以前指摘された前髪を治していた。しかし、水をかけてドライヤーをしても治らない。頑固な寝癖……いや、そういうくせっ毛なのかもしれないと思うことにした。気になるけどどうすることもできないから、どうしようもない。
 母は朝から仕事で出勤しているので家にはいない。そわそわと何度もリビングと廊下を行ったり来たりを繰り返していた。そんな最中、ピンポーンと軽快なチャイムが鳴る。
「おはようございます。まひる先輩」
「やえ、黎くん、おはよう。時間ぴったりだね」
「本当はもっと早く着きたかったんですけど……いや、着いててチャイム押す勇気出すまで時間かかりました」
 扉を開けて俺を出迎えたのは、いつもの制服とは違う八重樫くんだった。モノトーンカラーでまとめられた服は飾り気がないがオシャレで、彼の長身が際立っていた。前髪もひっそりと分けてあり、おしゃれをしてきたことはまるわかりだった。
(早くついてたけど、チャイムを押す勇気って……!!)
 恥ずかしそうに言う彼があまりにもかわいくて胸元を押さえる。すると、大丈夫ですか? と本気にしたように駆け寄ってきたため、俺は全力で首を横に振った。
「だ、大丈夫。致死量の黎くんを浴びただけ」
「致死量の俺……何かよくわかりませんけど、先輩が元気なら俺は嬉しいです。改めて、お誕生日おめでとうございます。まひる先輩」
「ありがとう。黎くんが一番乗りだったよ」
 零時になったタイミングで八重樫くんからLINEが飛んできた。いつもの愛らしいスタンプではなく、メッセージで。もちろん、その後ポンポンと立て続けにいつものスタンプが送られてきた。
 日付が分かった瞬間に、メッセージが送られてきたということはつまり、あらかじめ準備してくれていたということ。スマホで時間を確認しつつスタンバってくれていたのだと思うと嬉しくて仕方がない。八重樫くんのそういう健気なところが好きだ。
「まひる先輩、いつもと雰囲気違っててかっこいいです」
「そうかな? ちょっと張り切り過ぎたんじゃないかって思ったんだけど」
「俺も張り切りましたよ。だって、先輩の誕生日を独り占めできるんですから。浮かれて当然です」
「俺の誕生日を独り占め……黎くんって時々面白い表現するよね。もちろん、悪い意味じゃなくって」
「自分ではよく分からないんですけど、そうなんですかね」
 彼は小首を傾げ、顎に手を当てた。
 八重樫くんの言葉は特別だ。誰でも言える借り物の言葉じゃなくて、彼がその場で考えて出したナマモノという感じがする。
 八重樫くんはお世辞が下手っぽいし、嘘も下手だ。けど、だから彼の言葉は信じられるし胸にくる。それは、手紙に書かれた言葉だって一緒だ。こんなこと思う俺も大概変な感覚を持っているのだろうか。
「まひる先輩、なに笑ってるんですか?」
「黎くんは出会ったときから変わらないなって」
「半年前から?」
「うん、俺が黎くんのこと覚えているのは半年前だから、半年前だね。そうだ、今日はどこに行くの?」
「いろいろ考えたんですけど、プラネタリウム」
「プラネタリウム?」
「はい。夏休みっていうこともあって映画はほぼ満席で……ほら、最近一個飛ばして席を取るみたいなのも増えてきたせいでなかなか二人で並べる席が無くて。それに、先輩が何が好きなのかわからなかったので……告白したときの夜空、綺麗だったなって」
 単純ですよね、と彼はシュンと耳を垂れ下げてしまった。
 そんなことないよ! とフォローしつつ、意外なチョイスにワクワクしてきた。映画館やカラオケなんかは無難だし、水族館や美術館……なんかも候補に挙がりそうなところを、あえて外してくるところが彼らしい。それに、理由も素敵だ。
(……って、至れり尽くせりすぎない!?)
 仮恋人期間とはいえ、恋人同士。あっちが誕生日プランを練ると言い出したけど、こんなおんぶにだっこで良いのだろうか。
 一種の恋人の言葉に甘えて……みたいなものなのかもしれないが、俺はずっと八重樫くんにおんぶにだっこ、貰ってばかりだ。俺が主役の日だからって、恋人と一緒に過ごす誕生日はこうじゃない気がする。これは俺の理想だ。
(恋人いないからわからないよ……)
 検索をかけるのも恥ずかしくて『恋人とは』なんて俺の中では定義はあいまいだ。八重樫くんも恋人がいたことがないと言っていたし同じようなものかもしれないけど。
 八重樫くんは、予定の時間を確認するためサッとスマホを取り出した。あまりにデキた後輩過ぎて恐れ多い。
「れ、黎くん。いろいろ考えてくれてありがとう。でも、せっかく恋人と過ごす誕生日だから、えっと、うー……ん、プラネタリウムで手を繋いだりしよっか!」
「え?」
「あ、嫌だった?」
「いえ、まさかそんな提案してくれると思ってなくて。そう、ですね。手……恋人なら、つなぎますよね」
「黎くんの中の恋人像って……ううん、なんでもない」
 お互いちょっとズレているのかもしれない。臆病なくらい探り探りがちょうどいい。
 そう思うことにして、俺はバッグを背負い玄関の鍵を閉めた。

「すごい……穴場スポットだね」
 映画館とはまた作りが違うのだが、横に並んだ椅子には親近感があった。しかし、前の方には円状の椅子が数脚設置してありゆったりくつろいで鑑賞できるようになっていた。天井はアーチを描いた半円型で、手を伸ばしても届きそうにない虚空が広がっていた。
 八重樫くんは席を確認しつつ、前方の円状の椅子を遠目に眺めていた。
「あっちの方がよかったですかね。一組だけ残ってて迷ったんですけど」
「ちょ、っと恥ずかしいかな。気持ちだけで十分だよ。そ、それに! また来る機会があるかもしれないし。その時は思い切ってあっちの席にしよう」
 俺の言葉に八重樫くんは嬉しそうに微笑み返した。
 未来の話が口から出たのは自分でも意外だ。まだ上映が始まってもいないのに、すでにもう一回来たいと思えるほど素敵な場所だ。それに、彼が隣にいるからだろうか。
 少し寒いくらいの館内を進み、予約済みの席に腰を下ろす。まだ上映までには少し時間がある。
(ヤバい、無言はヤバいよね……!?)
 何を話せばいいのか途端に分からなくなる。静かにしているべきなのかもしれないが、席がかなり余っていることもあって上映前の少しくらいの会話はいいんじゃないかとも思う。
 八重樫くんはスマホをマナーモードにして、長い脚をグッと伸ばしている。暗いから表情がはっきり見えない。
「先輩、俺のこと見てますよね」
「見すぎてた? 穴空いちゃう?」
「空いてもすぐ塞がりますよ。穴だらけの俺、先輩見続けてくれなさそうなんで。俺、再生力高いです」
「そ、なんだ……黎くんはここに来るの初めて?」
「はい。前々から来たいなと思ってたんですけど、一人で来る勇気はなくって。天体鑑賞が趣味ってわけじゃないんですけど、静かで一人思考を整理できるところは好きですね」
「ぽいね。じゃあ、黎くんも念願なんだ」
「しかも、大好きなまひる先輩と来れたので、嬉しくて」
 パタパタと子犬が尻尾を振っているみたいに見える。
 一人思考を整理できる場所というのがこれまた八重樫くんらしかった。彼は、言動に移す前のローディングタイムが長い。でも、それは何も考えていないのではなく、人よりもちょっと遅く、いろいろ考えている思考を整理しているからなのだろう。聞いていないわけでも、無視して反応していないわけでもない。それを理解している人はどれくらいいるのだろうか。
(俺は、考えても全部言わない方が良い、合わせた方が良いって思考になっちゃうから)
 諦めの思考。マイナス思考。
 波風立てたくないから黙るという選択肢を取ってしまう。これが一番だと思っていたし、自分を押し殺すのは苦手じゃなかった。けれど、そのせいで流されやすくなって、言いたいことが言えなくなったのも事実だ。
(だから、そんな俺を好きだって言ってくれる黎くんが信じられなかったりする……のかな)
 彼の言葉に嘘偽りはないのを確信しているのに、自分に自信が持てない。そんな自分が嫌で、今のままの俺を彼の恋人にさせたくなくて仮恋人期間なんてものを飲んでしまった。不誠実……でも、俺にできる誠実な八重樫くんとの向き合い方。
 彼の大きな手が手すりに乗せられる。もう少しで始まるのか周囲の空気が変化していく。
 手をつなぐという約束を思い出し、乾いた口の中にあった唾液をぐっと飲み込んだ。
「し、失礼します」
「まひる先輩? ……っ、手」
「声かけた方が良いかなって思った。びっくりするでしょ」
「失礼しますって言われたほうがびっくりしましたけどね」
「え!?」
 さすがに今のは声が大きかった。慌てて口を塞ぐが、もう片手はいつの間にか俺の上にかぶさっていた八重樫くんの手に握られている。身動きが取れない手はちょっと悲鳴を上げているように見えた。
 彼の手のひらは熱く、館内の涼しさに対してじっとりと汗をかいている。緊張なのか、脈が速いようにも感じた。
「黎くんの手、大きいよね」
「先輩のものと比べたら大きいと思います」
「でも、俺より一年年下の手」
「はい」
「このまま、終わるまでずっと繋いでていいい?」
「……っ、もちろんです。でも、先輩は嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ。それに、ちょっと寒いから。黎くんの手の暖かさがちょうどいいなって」
 そこまで言って目を逸らしてしまった。自分でも超はずいことを言っている自覚がある。
(これはなんか、恋人っぽいな)
 意図せずの発言だったが、なかなか恋人らしいんじゃないかと自画自賛の気持ちも出てくる。それがゴールでも、ノルマでもないのだが、自然な形で出てきたものだったから嬉しかったのだ。
 恋人……なのかな? という疑問が、自分の中で、恋人なんだ! に変わっていく。それが、期限付きのものであっても、俺の気持ちが八重樫くんだけに向いているんだって自覚できるから。
 そうこうしているうちに、天井の景色がぐるりと一変した。館内放送が流れてすぐ、音声が切り替わる。広大な夜空が俺たちを見下ろしていた。人工的な星空なのに、まるで本物の様に手の届かない大自然が広がっている。
「きれいだ……」
 俺たちの住んでいる地域は街の明かりで星の光が乏しい。空を見上げる機会も少ない。そういうこともあってか、目に飛び込んできた景色が今まで見たことのない新鮮なものとして映る。
 思わず彼の手をぎゅっと握れば、優しく握り返してくれる。
 星空に見惚れて、彼の顔を見ることはできなかったが、視線が少しこちらに向いている気がした。
 最後まで彼が星空を見ていたのか、俺を見ていたのかはわからなかったが、俺にとって最高の誕生日になったことだけは二人の中で共通した思い出だ。