「まひるって、今後八重樫とダブルス組んでく感じ?」
「そんなことはないと思うけど。昴も辞めないって言ってたし、来年の大会とか直近はやっぱりこれまでのペアだと思う」
木曜日の放課後。部室で服を着替え、体育館へ向かう渡り廊下を歩いている途中で夕也がそんなことを口にした。
あの日から数日経ったが、計二回八重樫とペアを組んだ。初心者とは思えないほど俊敏な動きを見せ、俺のミスもカバーしてくれた。彼はシングルスよりもダブルス向きの選手だなということが分かり、息もぴったりだったように思う。夕也がそう思うのも無理はないくらいに、八重樫と一緒にバドミントンができるのは楽しかった。
しかし、自己申告をしたとしても最終決定権は顧問にある。緩い部活とはいえ、地区大会では上位に行きたいという目標はあるので、長くペアを組んできた昴と一緒にやるんじゃないだろうか。
「てか、まひるさあ。八重樫に懐かれすぎじゃね? なんかした?」
「懐かれてるって、そんな犬みたいに……」
「いやいや、自覚あんだろ。俺とか昴とかに向ける視線と全然違うし!」
胸をトントンと叩いてきた夕也を睨みながらも、身に覚えがあったので特に言い返すことはしなかった。
でも、正直何であそこまで彼が話しかけに来てくれるのかは分からない。あっちから、同じ中学校でしたよね、なんて話も出ていない。単に、バドミントンが好きで、シンパシーを感じているからなのだろうか。
「あんなやつが女子にモテるんかねえ」
「部活中のあれ?」
「告白もされてるって噂で聞いた。もっさいじゃん。俺の方が最先端の髪型してんのに」
フッと前髪をかきあげ、夕也は鼻を鳴らす。今時の髪型の明るい髪色。夕也は流行をすぐに取り入れるタイプだ。
俺は頭髪検査に引っかからない無難な髪型にしている。どこにでもいそうな平凡な髪型だ。
「髪型だけでモテるとかある? 他の理由じゃない?」
「いや、でもあいつが女子に優しくしてるとか想像つかねえし。はあ、やっぱ顔か? 顔なのか?」
「後輩に嫉妬するなー八重樫くん、悪い子じゃないから」
「まひるだって後輩の肩持つじゃん」
それと、これとどんな関係があるんだ。そんな言葉を飲み込みながら体育館へ入る。
すでにコートには支柱がたてられネットが張られている。しかし、いつもと同じようにウォーミングアップをしている人は少なく、ステージの上には人だかりができていた。
「ほら、モテ男だ」
「夕也、言い方……」
嫉妬心をむき出しにする夕也を眺めながら、女子たちの輪の中心にいる八重樫くんを見つける。どちらかと言うと、囲われてしまっている、という表現が正しいだろうか。
目を凝らしてみれば、彼は何やら真剣に書き込んでいる様子だ。
彼が手に持っていた少しぼろくなったノートのようなそれは、バドミントン部が毎回書いている日誌だった。
「八重樫くん、字かわいい」
「ちょっと下手なのがいいよね。シャーペンちっさぁ」
「八重樫くんの手が大きいからそうみえるだけえ?」
女子たちがキャッキャと口々に言っているのを無視したあと、徐に立ち上がりステージから降りてきた。
女子たちの残念そうな声とテンションが漂っている。
「先輩、日誌書けました」
「お疲れさま。今日も人気だね」
「何がですか?」
「……同級生に囲われてたから」
彼は身に覚えがないと言った具合に首をかしげていた。八重樫くんらしいな、なんて思いながら日誌を受け取る。
彼はぺこりと会釈をし「ストレッチしてきます」とその場を去ってしまった。
「俺には挨拶なしかよ。人選びすぎじゃね?」
「被害妄想すぎる……ちゃんと、目見てたと思うけど」
「睨まれたの間違いだろ。つか、日誌って適当に書きゃいいじゃん。俺、愚痴しか書いたことないし」
「例えばどんな?」
「床が滑ったーとか。八重樫、字、きったな」
部員の書いた日誌を読むのはひそかな楽しみだ。全然バドミントンに関係ないことも綴られているが、読んでいて飽きない。
先ほど八重樫くんが書いたページを開けば、不格好な字で四行ほど綴られていた。
『入部してから数週間、部活にも慣れてきた。先輩が優しい。先輩とのダブルス、練習、楽しい』
ごくごく普通でバドミントン部だと分かる文章で、思わず頬が緩んでしまう。ただ、たった四行なのに何度も"先輩"の文字が見受けられた。
夕也はそれについてはつっこまず、八重樫くんの文字の指摘ばかりをしている。重箱の隅をつつくようなことはするなよ、と冷ややかな目を向け、ぱたんと日誌を閉じた。
ここに書かれていた文字は、あの日拾ったラブレターよりもほんの少しだけ整っていた気がした。でも、明らかにあのラブレターと同じ癖のある字だ。
(やっぱり、八重樫くんが書いたんだよな……)
一人ストレッチする彼は、真剣にバドミントンに向き合っているように見える。その姿は健気で、純粋にかっこいいと思う。
ステージでスマホを弄りながら部活に参加しない女子や、幽霊部員たちに比べれば、彼はかっこいい後輩として目に映った。
◇◇◇
「ただいまー」
家に帰るころには、外が真っ赤に染まっている。でも、少し日が落ちるのが遅くなった。
玄関で靴を脱いでいると、見慣れた女性ものの靴が目に飛び込んできた。
「時子おばあちゃん来てるの?」
「あら、お帰り。まひるちゃん」
リビングから顔を出したのは、赤さび色の髪にふわっとパーマがかかった時子おばあちゃんだった。
時子おばあちゃんは母方の祖母で、小さいころからお世話になっている。母子家庭な俺たちの様子を時々見に来てくれるのだ。
机の上には買い出しに行ったのかパンパンに膨らんだエコバックが置いてある。それをせっせと冷蔵庫に入れている最中だった。
「手伝おうか?」
「いいのよ。わたしがやりたくてやってることだから」
豆腐を手に取りやすい位置において、時子おばあちゃんはにこりと微笑んだ。笑うと目の端のしわがきゅっとなるのがかわいい。
俺は、手洗いうがいを済ませ、晩御飯の準備をする。母の帰りが遅い日、俺の帰りが早いは俺が晩御飯を担当することになっているのだ。
満帆だったエコバックはすっかりしぼんでおり、それを丁寧におばあちゃんは折りたたむ。時折、腰が痛いのかさすさすと擦っている。
「ここに来るまで大変じゃない? バス二本乗り継ぐって言ってたし」
「いいの、いいの。本当は一緒に暮らせたらいいんだけど。ほら、こっちにはあの子の妹夫婦が住んでるからねぇ」
おばあちゃんは、椅子に腰かけると深くため息をついた。
父は俺が小学校に上がる前に亡くなってしまった。よくタバコを吸う人だったから、肺がんだったと聞いている。そこから、女手一つで母が育ててくれた。
祖父母の家までは一時間ちょっとで行ける。しかし、すでに母の妹夫婦が住んでおり俺たちが入り込める隙間もない。ただ、こうして気にかけてくれるのには理由がある。
「最近、あの子……どうなの?」
「母さん? 元気だよ。仕事忙しいから会話は少ないけど」
「そう。まひるちゃん的にもそっちの方が良いかしらね」
「どうだろ」と、笑って流してみるが、みその蓋を開ける手が止まる。
ハンバーグを作ろうと出したアルミのボールにおばあちゃんの心配そうな顔が映っていた。
「お節介だとは思っていてもどうしてもね。わたしからこんなこと言われたくないかもしれないけど」
「気にかけてくれてるって分かるから嬉しいよ。何かあったらすぐ言うし」
「そう? まひるちゃんはしっかりしてるわね」
玉ねぎの皮をむいて半分に切る。ツンと鼻を刺した玉ねぎの匂いに、生理的な涙が滲む。
おばあちゃんに食べていく? と聞いたが「今日は家で餃子なの」と言われてしまったため、ハンバーグの数は俺と母の分だけでよさそうだ。
おばあちゃんは、どこかぎこちなく笑って、指を何度も組み替える。会話をどうにか続けようとしてくれているのが伺え、俺も手を動かしながら耳を傾けた。
「バドミントン続けられてる?」
「うん。新入部員も入ってさにぎやかだよ。明日、新入生歓迎会だし」
「ラケットは大丈夫?」
「あーラケット……」
頭の中に、白いラケットが浮かんでくる。
あれは確か、中学三年生に進級する際におばあちゃんから貰ったものだ。母は、頑なに俺にラケットを買ってくれなかったから、それを見かねたおばあちゃんがこっそり買ってくれた。そのことでひと悶着あったが、以降はそのラケットを使っている。
かなりすり減ったり、グリップを巻き直さなきゃいけなかったり、ガットの張替えだったり。夕也や昴が新しいラケットを買ったと自慢してくるたび、いいなと内心思っていた。でも、俺は母とその話をする勇気もない。バイトだってさせてもらえないし。
「大丈夫だよ。まだ使える。大切に使ってるし」
「よかったわ。何かあればすぐに言うのよ。あ、あの子には内緒で」
「母さんには内緒で。うん、わかってる」
おばあちゃんはそれだけ言うと「餃子と孫が待ってるから」と嬉しそうに帰っていった。
本当はもう少しいてほしかったが、引き留める口実を作れなかった。笑顔で見送れば、家の仲は途端に静寂を取り戻した。
みじん切りにした玉ねぎを合いびき肉と混ぜ、形を作っていく。
おばあちゃんははっきりと口にしないが、俺の母のことを気にしている。母は、元から不安定な人だったようで、父が亡くなってからさらにそれが悪化したらしい。しかし、こちらが気にかけると「そういうのいらないから」と逆上するタイプなのでおばあちゃんも扱いに困っているようだ。
しかも、父を失ったからなのか、俺にどうも――
ハンバーグを一つ作ったところで、スマホのバイブが鳴った。画面を確認すれば母の文字が表示されている。いつもの今から帰りますコールだと分かっていても、無視をしたらどうなるか分からない。
サンコール以内に出ようとしたが手がべたべただったため、かろうじてきれいな小指でチョンと画面をタップする。
「もしもし、母さん?」
電話に応答すれば、開口一番に『遅い。心配した』と金切り声が飛んできた。
◇◇◇
食欲を誘う香ばしい匂いが充満していた。
「新入部員が入って、今年の部活が始まったことに乾杯!!」
顧問の平野先生の掛け声で、皆、乾杯! とグラスを持ち上げる。プラスチック製のグラスは軽い音を立て、また周囲ににぎやかな声が戻ってくる。
本日は待ちに待った新入生歓迎会だ。
全員参加とはいかなかったが、十数人は集まったし去年より人数が多いように感じる。
俺の隣には夕也が、その隣に昴が並んでいる。炭酸の飲めない俺はオレンジジュースのグラスを片手で持ち、網に肉を乗せていく。
「元取るぜー!!」
「食べ放題で元って案外難しいらしいぞ?」
腕まくりをした夕也に、呆れたような声を昴が送る。彼は無理を言って塾を休んできたらしい。
目の前には新入生の女子たちが固まって座っており、なんだか本当に合コンみたいだ。学年ごとに座っているが、基本自由席である。
「先輩、隣いいですか?」
「八重樫くん。いいよ、空いてるから」
オレンジジュースを握った八重樫くんがおずっと俺の元へやってくる。
先ほどまで一年生の列に並んでいたと思ったが、さすがに気まずかったのかチラチラと彼女たちを見ながら背を丸めていた。俺は、二人に詰めてもらい八重樫くんを隣に座らせる。どうも、と頭を下げるのももうに慣れた光景だ。
「学年ごとに座って方がよかった、すか?」
「ううん。自由席だし、まあ流れ的にそうなるけど。八重樫くん気まずいよね」
「ハーレムの間違いだろ」
ヤジが飛んでくるが、気にすることなく微笑めば、彼は眉を下げてへにゃりと笑った。俺は単純に後輩ができて嬉しかった。
焼けた肉を二人の皿に運ぶ。八重樫くんのきれいな皿にも取り分ければ「俺がやりますよ」とトングを握った俺の手に重ねてくる。
「いや、いいよ! 俺先輩だし」
「俺は後輩なんで」
「そ、それって関係ある?」
「あります。後輩なんで」
腕を引こうとすれば、手首を掴まれてしまう。トングを落とすわけにもいかず、妙に圧の強い彼と見つめあうことになってしまった。
顔がいい。
無造作に伸びた前髪に隠れた眉は少し太くてきりっとしていて男前だ。鼻筋がシュッとしており、切れ長の瞳も男の俺でもかっこいいなと思うくらいすべてが整っている。本当に前髪で隠れているのがもったいない。
「どうかしましたか?」
「いや、なんで前髪伸ばしてるのかなって。邪魔じゃない?」
「視界は悪いかもです。バドの邪魔になりますよね」
「邪魔にはなると思うけど、本人次第かな。もったいないよね」
「もったいない?」
つい口にしてしまい、どう切り抜けようか目を泳がせる。
「顔がいいのにもったいねえなーって。別にそのままでいいしー」
「え、まひる先輩俺の顔が良いって思ったんですか?」
「ちょ、夕也!!」
違う、そうじゃない。
言い訳しようとしたが、目の前の後輩があまりにもキラキラと目を輝かせるものだから否定しづらくなった。
夕也は黙々と牛タンにネギダレをのっけて、サッとレモンに浸して食べている。
別におかしいことじゃないのに、好きな人を勝手に暴露されたときのような羞恥心がこみあげてくる。好きな人なんてできたこともないのに。
「先輩、そうなんですか」
また期待に満ちた目を向けられる。褒められ待ちの子犬のように落ち着かない様子だ。
「顔、いいって。思ったけど。これってセクハラだし」
「俺、嬉しいですよ。先輩に言われるなら」
「じょ、女子には?」
言われ慣れている言葉だと思っていた。なのに、ここまで喜ばれるのは予想外だ。しかも同性に。
でも、彼の目は嘘を言っているようには思えない。"女子"という単語には一切反応せず「前髪、切りますね」なんてスマホを取り出して美容院の予約まで取り始める始末。
夕也に言われたように、すごく懐かれてしまったと思う。
そのたび、あのラブレターや"先輩"の文字が頻出する日誌を思い出す。彼に向けられているのは、恋愛感情じゃなくて、憧れ……なのかもしれないけど。
「先輩に言われるから嬉しいですよ。日曜日、予約とれたんで行ってきますね」
「美容室に?」
「週明け楽しみにしていてください」
うん、と思わず返事をしてしまったがよかったのだろうか。俺が、八重樫くんのイメチェンを心から楽しみにしている人に成ったりしないだろうか。
(別にいいけど……)
視界が良好なほうが、バドミントンもしやすいだろう。俺はそう考えることにしてトングをカチカチと鳴らす。
「俺、肉焼きますから。先輩食べてないでしょ」
「まだあきらめてなかったの? 俺が先輩だから。今日は、新入生である君たちが主役。ほら、食べる」
「ありがとうございます」
少し焦げてしまった牛タンを彼の皿に乗っける。新しい肉は次から次へと運ばれていくので、焼くので手いっぱいだ。
大きな体の彼は、白米もメガ盛りだった。
もくもくと上がる白い煙を見ながら、俺もいい感じに焼けた肉を自分の皿に移動させ、にんにくの利いたタレにたっぷり浸して白米と一緒に掻き込んだ。
「もう、一か月ぐらいは肉見たくねえかも」
「夕也、元取るんじゃなかったか?」
「取った、取った……って! アイスにカルビ乗せるって冒涜すぎんだろ!?」
あらかた肉を食べた部員たちは、会話を楽しんでいるようだ。一年生も随分打ち解けたのか、上級生と連絡先を交換している。
夕也は、デザートを食べている昴を指さして顔を引きつらせる。チョコアイスの上にカルビを乗せ、平然と食べる昴は「お前らもどう?」なんて聞いてきた。さすがにアイスとカルビを一緒に食べる趣味はない。丁重にお断りして、キムチを摘まむ。
「次の打ち上げっていつだったか」
「もう、肉は一か月見たくないんだろ?」
「明日になったらまた肉って言ってる。近々遠征があるよな。五月の連休の、ホテル泊まるやつ」
「遠征ってホテル泊まるために行くわけじゃないし。あくまで、練習。合宿だから」
抹茶アイスを頼んだ夕也は「お堅いなあ」と、いつものようにへらへら笑う。
五月の連休に遠征が入っている。弱小とはいえ、部全体の団結力を高めるために毎年行われている。一泊二日の遠征のため、大人数が泊っても大丈夫なホテルに宿泊することになっているのだ。去年は、二人一部屋だった。
八重樫くんは、米粒一つ残さず茶碗をきれいにすると気になる様子でこちらに身体を向けてきた。
「この部活にも遠征あるんですか」
「弱小とはいえ、一応他の部活と差がないようにって。遠征も緩いけど」
「楽しみですね」
「俺も楽しみだよ。新入部員も入ってきたし。何より、一日中バドのこと考えてられるってのが嬉しい」
「先輩は本当にバドのこと好きなんですね」
「……変かな?」
周りとの温度差は感じる。
夕也だって、バドミントンは好きだと思うが優勝したい! と強い思いがあるわけじゃない。
だから、自分の気持ちを上手く伝えられずにいた。周囲に求めるのは違うと思っているから、スマホを弄っていたり、幽霊部員がいたりしても文句を言わずにいた。それに、まだ二年生だし何様だって思われるのが怖かった。
新入生歓迎会という場だからか、少し緩んでしまいついポロリと本音が漏れてしまった。皆も、遠征に行くのはホテル泊まれるラッキーくらいしか思っていないだろうし。
「変じゃないですよ。かっこいいです」
「かっこいい?」
「バドに真剣に打ち込むまひる先輩はかっこいいし、尊敬できる先輩だなって思います」
純粋なまなざしを向けられ、恥かしくなって視線をそらしてしまった。
「八重樫くんって、素直だよね」
「素直ですかね。思ったことは口にするタイプかもしれませんが」
「ぽいね。尊敬って、まだまだ俺のこと知らないでしょ。もしかしたら、嫌な先輩かもよ?」
「それも含めてこれから知っていこうと思っているので」
微妙に会話が成り立っていない気がする。いや、あちらは俺の言葉をそこまで深く読まずに返しているのだろう。俺が気にしすぎという可能性もある。
八重樫くんは開いたお皿を一か所に集めていた。横の二人はソシャゲのログインボーナスをもらっているようだ。
(しっかりしてるなぁ……)
この新入生歓迎会は部員たちの親睦を深める会として設定されている。
せっかく隣に来てくれたというのに、俺はまだ八重樫くんと喋れていない気がする。ここは、先輩から話題を切り出すべきだ。
「八重樫くんって、中学はどこに通ってたの?」
「……中学ですか?」
昴に聞いたことを思い出し、中学生時代の話でもどうだと話を振ってみる。彼は一度手を止め、こちらに丸くなった黒い瞳を向ける。しかし、それ以上の反応がない。
(もしかして、話題ミスった……?)
「先輩は覚えて……いや、なんでもないです。中学は近所の軽部丘中です」
「俺も同じところに通ってたんだよ。偶然ってあるもんなんだね」
「そうですね」
絶妙な空気が流れてしまったため、あはは、と笑い流す。
話題に食いついてくるかと思っていたから、この反応は予想外だ。中学時代のことは聞かれたくないのかもしれない。
人の顔色を窺うのは悪い癖だ。「ごめん」とすぐに謝るのも昔からだ。踏み込むのが怖い。
「まひる先輩、空いたお皿下げますよ」
「あ、ありがとう。俺、中学からバドだったから。同じ中学で、バドミントン部に君がいたら絶対覚えてたよ。八重樫くんすごく強いし。でも、帰宅部だったんだよね」
「俺は、先輩のこと覚えてますよ」
「え? なんて?」
店の騒音に八重樫くんの声がかき消される。彼はせっせと他の机の皿も片づけ始めた。
「俺、会話下手なんです。コミュニケーション全般が」
「もしかして、話し振ったの迷惑だった?」
「いえ、上手くないから、上手くなりたいです。言葉で伝えるの下手くそなんですよね」
「そんなことないよ。けど、八重樫くんって、圧で訴えてきそう」
俺がそう言うと、八重樫くんはちょっとだけ嫌な顔をしていた。
彼がラブレターを書いていたのは、言葉で伝えるのが下手だったから……なんて理由なのだろうか。結局、ラブレター云々は聞けなかったが、昴の言っていた同じ中学校だったということは明らかになった。でも俺は、彼のことをまったく覚えていなかった。
(こんなに存在感あるのに。見たら忘れないと思うんだけどな……)
歓迎会は無事に終わり、店の外に出た俺たちの周りは解散ムードが流れていた。
顧問の先生が「早く帰るんだぞー」と声をかけ、部員たちはまばらに散っていく。
「まひる、俺たちはこっちだから。おやすみ」
「じゃ、また来週なー」
昴は場酔いした夕也を引きずりながら、俺の家とは反対方向に帰っていく。
女子たちは、最後の最後まで八重樫くんから連絡先を聞こうとしていたが、彼がそれに応えることはなかった。俺も遅くなる前に帰ろうとバスの時間を確認する。俺の家の方向のバスは終電まであと二本しか残っていない。乗り過ごしてしまうと迎えを呼ばなければならなかった。
二人が帰ったのを確認したので俺もそろそろ移動する。
「まひる先輩、帰るんですか?」
「うん。バス乗り過ごすと帰れなくなっちゃうから。八重樫くんも早く帰りなよ」
「もしかしたら、同じ方向かもしれないので一緒に行っていいですか?」
本心か、それとも口実か。
背後で虎視眈々と八重樫くんを狙う女子たちの目を気にした彼は眉根を下げて俺を見ている。八重樫くんの人気には困ってしまう。
俺に彼女たちの嫉妬が向くんじゃないかと心配もあったが、一番迷惑しているのは彼だろう。モテ男は辛い、なんていうが今の彼を見ていると少しわかる気がする。人間すべての好意に応えられるほど聖人じゃないのだから。
俺は、後輩の女子たちの視線を気にしながら彼の手を引いてバス停まで向かう。
バス停の周囲に人の姿はなく、ぽつんと停留所の看板が立っているだけだ。車の通りも少なく、夜も深まってきた。
彼の隣にいると、某猫のバスが出てくるアニメを思い出す。平均身長ある俺でも、体躯のいい彼が隣にいると小人になった気分だ。
「八重樫くんって……すごいモテるね」
「俺は別に嬉しくないですけど」
「迷惑してる感じなんだ。まあ、その、俺は分かんないけど。好きじゃない相手? に好意を向けられても、それに応えられないもんね」
八重樫くんはずっと道路の方を見ていて、視線がちらりともこちらを向かない。この手の話題も好きじゃないのか。
探り探り共通の話題や、彼が好きそうな話題を探す。
別に、ただの後輩だ。そこまで気にかける必要はない。夕也や昴だって、八重樫くんへの態度は普通だし、唯一入部した後輩の男子と特別扱いしているわけでもない。
俺だけが彼のことを気にしている。それは、バドミントンに真剣に取り組んでいるからかもしれないし、同じ中学……彼の秘密を知っているからかもしれない。
(好きな人、いるんだよね)
ラブレターを書くくらいだ。
一時、俺充てに……なんて自惚れたとんだ勘違いをしていたが、彼の態度を見ているとそうじゃない気がしてきた。俺以外にも先輩はいる。三年生の先輩の中にもすごく上手くて強い人もいる。
軽トラックが一台俺たちの前を通り抜けていく。一瞬俺たちの姿を照らした白い光は、すぐに遠くへと行ってしまった。静寂と、暗闇が俺たちを包み込んでいた。
「……俺、好きな人いるんで」
「……っと。そーなんだ」
「だから、他の人眼中にないんですよね。あと、SNSとかやってないし。聞かれても」
「そっか。だったら、眼中にないかもね」
「眼中にないですよ」
彼の言った通り、会話のキャッチボールが微妙だ。でも、俺も彼に引っ張られて上手くボールを投げられていない気がする。
まさかここでそんな言葉が帰ってくるなんて思ってもいなかった。声は上ずったし、口の中が一気に干上がる。ここからなんて会話を広げればいいのだろうか。
悶々としていればバスが到着した。ノンステップバスは、俺たち側に傾き、人一人分の出迎える。俺、八重樫くんの順番で乗って、一番後ろの席に腰を下ろした。バスの車内に人は見当たらない。
車内は仄かな光がともっており、冷房が効いていた。
「俺の隣で良いの?」
「先輩の隣がいいです」
「せっかく広いのに。貸し切りみたいじゃん」
「もったいないです」
「もったいないのは、貸し切りみたいなこの状況じゃない?」
八重樫くんの方を見れば、少し太い眉を中央に寄せていた。不満です、と言いたげなその表情に開いた口が塞がらない。
「二人きりなのに、先輩から離れたら、それこそ気まずいじゃないですか。なんか、嫌ってるみたいな」
「そんなことないよ。八重樫くん大きいし、広い方が良いかなって」
これだと、俺が離れてほしいみたいだな。
やんわりとした言い方だったが、迷惑そうに聞こえていたらどうしよう。嫌いじゃないよ、と今すぐに付け加えるべきだ。ここで何も言わない方が誤解される。
俺が口を開き、言い訳のような訂正をしようとした時、彼の頭がコッと俺の肩に乗ってきた。スッとした柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。
「八重樫……くん」
「……じゃあ、俺が先輩の隣にいたいんでって、そういう理由にしておいてください」
「……わかった」
「嫌だったら、いいですけど」
「……嫌じゃないよ。嫌じゃない」
不器用な甘え方だなと思う。
彼はそれ以上何も言わなかった。俺の肩に頭を預け、目を閉じている。よく見ると彼のまつ毛は長く、目を開けている時よりも幼く見えた。
(あ……八重樫くんが降りる駅聞いてないかも)
少ししたら起こそう、そう決めて俺は自分の姿を反射した暗い窓の外を眺めることにした。
「そんなことはないと思うけど。昴も辞めないって言ってたし、来年の大会とか直近はやっぱりこれまでのペアだと思う」
木曜日の放課後。部室で服を着替え、体育館へ向かう渡り廊下を歩いている途中で夕也がそんなことを口にした。
あの日から数日経ったが、計二回八重樫とペアを組んだ。初心者とは思えないほど俊敏な動きを見せ、俺のミスもカバーしてくれた。彼はシングルスよりもダブルス向きの選手だなということが分かり、息もぴったりだったように思う。夕也がそう思うのも無理はないくらいに、八重樫と一緒にバドミントンができるのは楽しかった。
しかし、自己申告をしたとしても最終決定権は顧問にある。緩い部活とはいえ、地区大会では上位に行きたいという目標はあるので、長くペアを組んできた昴と一緒にやるんじゃないだろうか。
「てか、まひるさあ。八重樫に懐かれすぎじゃね? なんかした?」
「懐かれてるって、そんな犬みたいに……」
「いやいや、自覚あんだろ。俺とか昴とかに向ける視線と全然違うし!」
胸をトントンと叩いてきた夕也を睨みながらも、身に覚えがあったので特に言い返すことはしなかった。
でも、正直何であそこまで彼が話しかけに来てくれるのかは分からない。あっちから、同じ中学校でしたよね、なんて話も出ていない。単に、バドミントンが好きで、シンパシーを感じているからなのだろうか。
「あんなやつが女子にモテるんかねえ」
「部活中のあれ?」
「告白もされてるって噂で聞いた。もっさいじゃん。俺の方が最先端の髪型してんのに」
フッと前髪をかきあげ、夕也は鼻を鳴らす。今時の髪型の明るい髪色。夕也は流行をすぐに取り入れるタイプだ。
俺は頭髪検査に引っかからない無難な髪型にしている。どこにでもいそうな平凡な髪型だ。
「髪型だけでモテるとかある? 他の理由じゃない?」
「いや、でもあいつが女子に優しくしてるとか想像つかねえし。はあ、やっぱ顔か? 顔なのか?」
「後輩に嫉妬するなー八重樫くん、悪い子じゃないから」
「まひるだって後輩の肩持つじゃん」
それと、これとどんな関係があるんだ。そんな言葉を飲み込みながら体育館へ入る。
すでにコートには支柱がたてられネットが張られている。しかし、いつもと同じようにウォーミングアップをしている人は少なく、ステージの上には人だかりができていた。
「ほら、モテ男だ」
「夕也、言い方……」
嫉妬心をむき出しにする夕也を眺めながら、女子たちの輪の中心にいる八重樫くんを見つける。どちらかと言うと、囲われてしまっている、という表現が正しいだろうか。
目を凝らしてみれば、彼は何やら真剣に書き込んでいる様子だ。
彼が手に持っていた少しぼろくなったノートのようなそれは、バドミントン部が毎回書いている日誌だった。
「八重樫くん、字かわいい」
「ちょっと下手なのがいいよね。シャーペンちっさぁ」
「八重樫くんの手が大きいからそうみえるだけえ?」
女子たちがキャッキャと口々に言っているのを無視したあと、徐に立ち上がりステージから降りてきた。
女子たちの残念そうな声とテンションが漂っている。
「先輩、日誌書けました」
「お疲れさま。今日も人気だね」
「何がですか?」
「……同級生に囲われてたから」
彼は身に覚えがないと言った具合に首をかしげていた。八重樫くんらしいな、なんて思いながら日誌を受け取る。
彼はぺこりと会釈をし「ストレッチしてきます」とその場を去ってしまった。
「俺には挨拶なしかよ。人選びすぎじゃね?」
「被害妄想すぎる……ちゃんと、目見てたと思うけど」
「睨まれたの間違いだろ。つか、日誌って適当に書きゃいいじゃん。俺、愚痴しか書いたことないし」
「例えばどんな?」
「床が滑ったーとか。八重樫、字、きったな」
部員の書いた日誌を読むのはひそかな楽しみだ。全然バドミントンに関係ないことも綴られているが、読んでいて飽きない。
先ほど八重樫くんが書いたページを開けば、不格好な字で四行ほど綴られていた。
『入部してから数週間、部活にも慣れてきた。先輩が優しい。先輩とのダブルス、練習、楽しい』
ごくごく普通でバドミントン部だと分かる文章で、思わず頬が緩んでしまう。ただ、たった四行なのに何度も"先輩"の文字が見受けられた。
夕也はそれについてはつっこまず、八重樫くんの文字の指摘ばかりをしている。重箱の隅をつつくようなことはするなよ、と冷ややかな目を向け、ぱたんと日誌を閉じた。
ここに書かれていた文字は、あの日拾ったラブレターよりもほんの少しだけ整っていた気がした。でも、明らかにあのラブレターと同じ癖のある字だ。
(やっぱり、八重樫くんが書いたんだよな……)
一人ストレッチする彼は、真剣にバドミントンに向き合っているように見える。その姿は健気で、純粋にかっこいいと思う。
ステージでスマホを弄りながら部活に参加しない女子や、幽霊部員たちに比べれば、彼はかっこいい後輩として目に映った。
◇◇◇
「ただいまー」
家に帰るころには、外が真っ赤に染まっている。でも、少し日が落ちるのが遅くなった。
玄関で靴を脱いでいると、見慣れた女性ものの靴が目に飛び込んできた。
「時子おばあちゃん来てるの?」
「あら、お帰り。まひるちゃん」
リビングから顔を出したのは、赤さび色の髪にふわっとパーマがかかった時子おばあちゃんだった。
時子おばあちゃんは母方の祖母で、小さいころからお世話になっている。母子家庭な俺たちの様子を時々見に来てくれるのだ。
机の上には買い出しに行ったのかパンパンに膨らんだエコバックが置いてある。それをせっせと冷蔵庫に入れている最中だった。
「手伝おうか?」
「いいのよ。わたしがやりたくてやってることだから」
豆腐を手に取りやすい位置において、時子おばあちゃんはにこりと微笑んだ。笑うと目の端のしわがきゅっとなるのがかわいい。
俺は、手洗いうがいを済ませ、晩御飯の準備をする。母の帰りが遅い日、俺の帰りが早いは俺が晩御飯を担当することになっているのだ。
満帆だったエコバックはすっかりしぼんでおり、それを丁寧におばあちゃんは折りたたむ。時折、腰が痛いのかさすさすと擦っている。
「ここに来るまで大変じゃない? バス二本乗り継ぐって言ってたし」
「いいの、いいの。本当は一緒に暮らせたらいいんだけど。ほら、こっちにはあの子の妹夫婦が住んでるからねぇ」
おばあちゃんは、椅子に腰かけると深くため息をついた。
父は俺が小学校に上がる前に亡くなってしまった。よくタバコを吸う人だったから、肺がんだったと聞いている。そこから、女手一つで母が育ててくれた。
祖父母の家までは一時間ちょっとで行ける。しかし、すでに母の妹夫婦が住んでおり俺たちが入り込める隙間もない。ただ、こうして気にかけてくれるのには理由がある。
「最近、あの子……どうなの?」
「母さん? 元気だよ。仕事忙しいから会話は少ないけど」
「そう。まひるちゃん的にもそっちの方が良いかしらね」
「どうだろ」と、笑って流してみるが、みその蓋を開ける手が止まる。
ハンバーグを作ろうと出したアルミのボールにおばあちゃんの心配そうな顔が映っていた。
「お節介だとは思っていてもどうしてもね。わたしからこんなこと言われたくないかもしれないけど」
「気にかけてくれてるって分かるから嬉しいよ。何かあったらすぐ言うし」
「そう? まひるちゃんはしっかりしてるわね」
玉ねぎの皮をむいて半分に切る。ツンと鼻を刺した玉ねぎの匂いに、生理的な涙が滲む。
おばあちゃんに食べていく? と聞いたが「今日は家で餃子なの」と言われてしまったため、ハンバーグの数は俺と母の分だけでよさそうだ。
おばあちゃんは、どこかぎこちなく笑って、指を何度も組み替える。会話をどうにか続けようとしてくれているのが伺え、俺も手を動かしながら耳を傾けた。
「バドミントン続けられてる?」
「うん。新入部員も入ってさにぎやかだよ。明日、新入生歓迎会だし」
「ラケットは大丈夫?」
「あーラケット……」
頭の中に、白いラケットが浮かんでくる。
あれは確か、中学三年生に進級する際におばあちゃんから貰ったものだ。母は、頑なに俺にラケットを買ってくれなかったから、それを見かねたおばあちゃんがこっそり買ってくれた。そのことでひと悶着あったが、以降はそのラケットを使っている。
かなりすり減ったり、グリップを巻き直さなきゃいけなかったり、ガットの張替えだったり。夕也や昴が新しいラケットを買ったと自慢してくるたび、いいなと内心思っていた。でも、俺は母とその話をする勇気もない。バイトだってさせてもらえないし。
「大丈夫だよ。まだ使える。大切に使ってるし」
「よかったわ。何かあればすぐに言うのよ。あ、あの子には内緒で」
「母さんには内緒で。うん、わかってる」
おばあちゃんはそれだけ言うと「餃子と孫が待ってるから」と嬉しそうに帰っていった。
本当はもう少しいてほしかったが、引き留める口実を作れなかった。笑顔で見送れば、家の仲は途端に静寂を取り戻した。
みじん切りにした玉ねぎを合いびき肉と混ぜ、形を作っていく。
おばあちゃんははっきりと口にしないが、俺の母のことを気にしている。母は、元から不安定な人だったようで、父が亡くなってからさらにそれが悪化したらしい。しかし、こちらが気にかけると「そういうのいらないから」と逆上するタイプなのでおばあちゃんも扱いに困っているようだ。
しかも、父を失ったからなのか、俺にどうも――
ハンバーグを一つ作ったところで、スマホのバイブが鳴った。画面を確認すれば母の文字が表示されている。いつもの今から帰りますコールだと分かっていても、無視をしたらどうなるか分からない。
サンコール以内に出ようとしたが手がべたべただったため、かろうじてきれいな小指でチョンと画面をタップする。
「もしもし、母さん?」
電話に応答すれば、開口一番に『遅い。心配した』と金切り声が飛んできた。
◇◇◇
食欲を誘う香ばしい匂いが充満していた。
「新入部員が入って、今年の部活が始まったことに乾杯!!」
顧問の平野先生の掛け声で、皆、乾杯! とグラスを持ち上げる。プラスチック製のグラスは軽い音を立て、また周囲ににぎやかな声が戻ってくる。
本日は待ちに待った新入生歓迎会だ。
全員参加とはいかなかったが、十数人は集まったし去年より人数が多いように感じる。
俺の隣には夕也が、その隣に昴が並んでいる。炭酸の飲めない俺はオレンジジュースのグラスを片手で持ち、網に肉を乗せていく。
「元取るぜー!!」
「食べ放題で元って案外難しいらしいぞ?」
腕まくりをした夕也に、呆れたような声を昴が送る。彼は無理を言って塾を休んできたらしい。
目の前には新入生の女子たちが固まって座っており、なんだか本当に合コンみたいだ。学年ごとに座っているが、基本自由席である。
「先輩、隣いいですか?」
「八重樫くん。いいよ、空いてるから」
オレンジジュースを握った八重樫くんがおずっと俺の元へやってくる。
先ほどまで一年生の列に並んでいたと思ったが、さすがに気まずかったのかチラチラと彼女たちを見ながら背を丸めていた。俺は、二人に詰めてもらい八重樫くんを隣に座らせる。どうも、と頭を下げるのももうに慣れた光景だ。
「学年ごとに座って方がよかった、すか?」
「ううん。自由席だし、まあ流れ的にそうなるけど。八重樫くん気まずいよね」
「ハーレムの間違いだろ」
ヤジが飛んでくるが、気にすることなく微笑めば、彼は眉を下げてへにゃりと笑った。俺は単純に後輩ができて嬉しかった。
焼けた肉を二人の皿に運ぶ。八重樫くんのきれいな皿にも取り分ければ「俺がやりますよ」とトングを握った俺の手に重ねてくる。
「いや、いいよ! 俺先輩だし」
「俺は後輩なんで」
「そ、それって関係ある?」
「あります。後輩なんで」
腕を引こうとすれば、手首を掴まれてしまう。トングを落とすわけにもいかず、妙に圧の強い彼と見つめあうことになってしまった。
顔がいい。
無造作に伸びた前髪に隠れた眉は少し太くてきりっとしていて男前だ。鼻筋がシュッとしており、切れ長の瞳も男の俺でもかっこいいなと思うくらいすべてが整っている。本当に前髪で隠れているのがもったいない。
「どうかしましたか?」
「いや、なんで前髪伸ばしてるのかなって。邪魔じゃない?」
「視界は悪いかもです。バドの邪魔になりますよね」
「邪魔にはなると思うけど、本人次第かな。もったいないよね」
「もったいない?」
つい口にしてしまい、どう切り抜けようか目を泳がせる。
「顔がいいのにもったいねえなーって。別にそのままでいいしー」
「え、まひる先輩俺の顔が良いって思ったんですか?」
「ちょ、夕也!!」
違う、そうじゃない。
言い訳しようとしたが、目の前の後輩があまりにもキラキラと目を輝かせるものだから否定しづらくなった。
夕也は黙々と牛タンにネギダレをのっけて、サッとレモンに浸して食べている。
別におかしいことじゃないのに、好きな人を勝手に暴露されたときのような羞恥心がこみあげてくる。好きな人なんてできたこともないのに。
「先輩、そうなんですか」
また期待に満ちた目を向けられる。褒められ待ちの子犬のように落ち着かない様子だ。
「顔、いいって。思ったけど。これってセクハラだし」
「俺、嬉しいですよ。先輩に言われるなら」
「じょ、女子には?」
言われ慣れている言葉だと思っていた。なのに、ここまで喜ばれるのは予想外だ。しかも同性に。
でも、彼の目は嘘を言っているようには思えない。"女子"という単語には一切反応せず「前髪、切りますね」なんてスマホを取り出して美容院の予約まで取り始める始末。
夕也に言われたように、すごく懐かれてしまったと思う。
そのたび、あのラブレターや"先輩"の文字が頻出する日誌を思い出す。彼に向けられているのは、恋愛感情じゃなくて、憧れ……なのかもしれないけど。
「先輩に言われるから嬉しいですよ。日曜日、予約とれたんで行ってきますね」
「美容室に?」
「週明け楽しみにしていてください」
うん、と思わず返事をしてしまったがよかったのだろうか。俺が、八重樫くんのイメチェンを心から楽しみにしている人に成ったりしないだろうか。
(別にいいけど……)
視界が良好なほうが、バドミントンもしやすいだろう。俺はそう考えることにしてトングをカチカチと鳴らす。
「俺、肉焼きますから。先輩食べてないでしょ」
「まだあきらめてなかったの? 俺が先輩だから。今日は、新入生である君たちが主役。ほら、食べる」
「ありがとうございます」
少し焦げてしまった牛タンを彼の皿に乗っける。新しい肉は次から次へと運ばれていくので、焼くので手いっぱいだ。
大きな体の彼は、白米もメガ盛りだった。
もくもくと上がる白い煙を見ながら、俺もいい感じに焼けた肉を自分の皿に移動させ、にんにくの利いたタレにたっぷり浸して白米と一緒に掻き込んだ。
「もう、一か月ぐらいは肉見たくねえかも」
「夕也、元取るんじゃなかったか?」
「取った、取った……って! アイスにカルビ乗せるって冒涜すぎんだろ!?」
あらかた肉を食べた部員たちは、会話を楽しんでいるようだ。一年生も随分打ち解けたのか、上級生と連絡先を交換している。
夕也は、デザートを食べている昴を指さして顔を引きつらせる。チョコアイスの上にカルビを乗せ、平然と食べる昴は「お前らもどう?」なんて聞いてきた。さすがにアイスとカルビを一緒に食べる趣味はない。丁重にお断りして、キムチを摘まむ。
「次の打ち上げっていつだったか」
「もう、肉は一か月見たくないんだろ?」
「明日になったらまた肉って言ってる。近々遠征があるよな。五月の連休の、ホテル泊まるやつ」
「遠征ってホテル泊まるために行くわけじゃないし。あくまで、練習。合宿だから」
抹茶アイスを頼んだ夕也は「お堅いなあ」と、いつものようにへらへら笑う。
五月の連休に遠征が入っている。弱小とはいえ、部全体の団結力を高めるために毎年行われている。一泊二日の遠征のため、大人数が泊っても大丈夫なホテルに宿泊することになっているのだ。去年は、二人一部屋だった。
八重樫くんは、米粒一つ残さず茶碗をきれいにすると気になる様子でこちらに身体を向けてきた。
「この部活にも遠征あるんですか」
「弱小とはいえ、一応他の部活と差がないようにって。遠征も緩いけど」
「楽しみですね」
「俺も楽しみだよ。新入部員も入ってきたし。何より、一日中バドのこと考えてられるってのが嬉しい」
「先輩は本当にバドのこと好きなんですね」
「……変かな?」
周りとの温度差は感じる。
夕也だって、バドミントンは好きだと思うが優勝したい! と強い思いがあるわけじゃない。
だから、自分の気持ちを上手く伝えられずにいた。周囲に求めるのは違うと思っているから、スマホを弄っていたり、幽霊部員がいたりしても文句を言わずにいた。それに、まだ二年生だし何様だって思われるのが怖かった。
新入生歓迎会という場だからか、少し緩んでしまいついポロリと本音が漏れてしまった。皆も、遠征に行くのはホテル泊まれるラッキーくらいしか思っていないだろうし。
「変じゃないですよ。かっこいいです」
「かっこいい?」
「バドに真剣に打ち込むまひる先輩はかっこいいし、尊敬できる先輩だなって思います」
純粋なまなざしを向けられ、恥かしくなって視線をそらしてしまった。
「八重樫くんって、素直だよね」
「素直ですかね。思ったことは口にするタイプかもしれませんが」
「ぽいね。尊敬って、まだまだ俺のこと知らないでしょ。もしかしたら、嫌な先輩かもよ?」
「それも含めてこれから知っていこうと思っているので」
微妙に会話が成り立っていない気がする。いや、あちらは俺の言葉をそこまで深く読まずに返しているのだろう。俺が気にしすぎという可能性もある。
八重樫くんは開いたお皿を一か所に集めていた。横の二人はソシャゲのログインボーナスをもらっているようだ。
(しっかりしてるなぁ……)
この新入生歓迎会は部員たちの親睦を深める会として設定されている。
せっかく隣に来てくれたというのに、俺はまだ八重樫くんと喋れていない気がする。ここは、先輩から話題を切り出すべきだ。
「八重樫くんって、中学はどこに通ってたの?」
「……中学ですか?」
昴に聞いたことを思い出し、中学生時代の話でもどうだと話を振ってみる。彼は一度手を止め、こちらに丸くなった黒い瞳を向ける。しかし、それ以上の反応がない。
(もしかして、話題ミスった……?)
「先輩は覚えて……いや、なんでもないです。中学は近所の軽部丘中です」
「俺も同じところに通ってたんだよ。偶然ってあるもんなんだね」
「そうですね」
絶妙な空気が流れてしまったため、あはは、と笑い流す。
話題に食いついてくるかと思っていたから、この反応は予想外だ。中学時代のことは聞かれたくないのかもしれない。
人の顔色を窺うのは悪い癖だ。「ごめん」とすぐに謝るのも昔からだ。踏み込むのが怖い。
「まひる先輩、空いたお皿下げますよ」
「あ、ありがとう。俺、中学からバドだったから。同じ中学で、バドミントン部に君がいたら絶対覚えてたよ。八重樫くんすごく強いし。でも、帰宅部だったんだよね」
「俺は、先輩のこと覚えてますよ」
「え? なんて?」
店の騒音に八重樫くんの声がかき消される。彼はせっせと他の机の皿も片づけ始めた。
「俺、会話下手なんです。コミュニケーション全般が」
「もしかして、話し振ったの迷惑だった?」
「いえ、上手くないから、上手くなりたいです。言葉で伝えるの下手くそなんですよね」
「そんなことないよ。けど、八重樫くんって、圧で訴えてきそう」
俺がそう言うと、八重樫くんはちょっとだけ嫌な顔をしていた。
彼がラブレターを書いていたのは、言葉で伝えるのが下手だったから……なんて理由なのだろうか。結局、ラブレター云々は聞けなかったが、昴の言っていた同じ中学校だったということは明らかになった。でも俺は、彼のことをまったく覚えていなかった。
(こんなに存在感あるのに。見たら忘れないと思うんだけどな……)
歓迎会は無事に終わり、店の外に出た俺たちの周りは解散ムードが流れていた。
顧問の先生が「早く帰るんだぞー」と声をかけ、部員たちはまばらに散っていく。
「まひる、俺たちはこっちだから。おやすみ」
「じゃ、また来週なー」
昴は場酔いした夕也を引きずりながら、俺の家とは反対方向に帰っていく。
女子たちは、最後の最後まで八重樫くんから連絡先を聞こうとしていたが、彼がそれに応えることはなかった。俺も遅くなる前に帰ろうとバスの時間を確認する。俺の家の方向のバスは終電まであと二本しか残っていない。乗り過ごしてしまうと迎えを呼ばなければならなかった。
二人が帰ったのを確認したので俺もそろそろ移動する。
「まひる先輩、帰るんですか?」
「うん。バス乗り過ごすと帰れなくなっちゃうから。八重樫くんも早く帰りなよ」
「もしかしたら、同じ方向かもしれないので一緒に行っていいですか?」
本心か、それとも口実か。
背後で虎視眈々と八重樫くんを狙う女子たちの目を気にした彼は眉根を下げて俺を見ている。八重樫くんの人気には困ってしまう。
俺に彼女たちの嫉妬が向くんじゃないかと心配もあったが、一番迷惑しているのは彼だろう。モテ男は辛い、なんていうが今の彼を見ていると少しわかる気がする。人間すべての好意に応えられるほど聖人じゃないのだから。
俺は、後輩の女子たちの視線を気にしながら彼の手を引いてバス停まで向かう。
バス停の周囲に人の姿はなく、ぽつんと停留所の看板が立っているだけだ。車の通りも少なく、夜も深まってきた。
彼の隣にいると、某猫のバスが出てくるアニメを思い出す。平均身長ある俺でも、体躯のいい彼が隣にいると小人になった気分だ。
「八重樫くんって……すごいモテるね」
「俺は別に嬉しくないですけど」
「迷惑してる感じなんだ。まあ、その、俺は分かんないけど。好きじゃない相手? に好意を向けられても、それに応えられないもんね」
八重樫くんはずっと道路の方を見ていて、視線がちらりともこちらを向かない。この手の話題も好きじゃないのか。
探り探り共通の話題や、彼が好きそうな話題を探す。
別に、ただの後輩だ。そこまで気にかける必要はない。夕也や昴だって、八重樫くんへの態度は普通だし、唯一入部した後輩の男子と特別扱いしているわけでもない。
俺だけが彼のことを気にしている。それは、バドミントンに真剣に取り組んでいるからかもしれないし、同じ中学……彼の秘密を知っているからかもしれない。
(好きな人、いるんだよね)
ラブレターを書くくらいだ。
一時、俺充てに……なんて自惚れたとんだ勘違いをしていたが、彼の態度を見ているとそうじゃない気がしてきた。俺以外にも先輩はいる。三年生の先輩の中にもすごく上手くて強い人もいる。
軽トラックが一台俺たちの前を通り抜けていく。一瞬俺たちの姿を照らした白い光は、すぐに遠くへと行ってしまった。静寂と、暗闇が俺たちを包み込んでいた。
「……俺、好きな人いるんで」
「……っと。そーなんだ」
「だから、他の人眼中にないんですよね。あと、SNSとかやってないし。聞かれても」
「そっか。だったら、眼中にないかもね」
「眼中にないですよ」
彼の言った通り、会話のキャッチボールが微妙だ。でも、俺も彼に引っ張られて上手くボールを投げられていない気がする。
まさかここでそんな言葉が帰ってくるなんて思ってもいなかった。声は上ずったし、口の中が一気に干上がる。ここからなんて会話を広げればいいのだろうか。
悶々としていればバスが到着した。ノンステップバスは、俺たち側に傾き、人一人分の出迎える。俺、八重樫くんの順番で乗って、一番後ろの席に腰を下ろした。バスの車内に人は見当たらない。
車内は仄かな光がともっており、冷房が効いていた。
「俺の隣で良いの?」
「先輩の隣がいいです」
「せっかく広いのに。貸し切りみたいじゃん」
「もったいないです」
「もったいないのは、貸し切りみたいなこの状況じゃない?」
八重樫くんの方を見れば、少し太い眉を中央に寄せていた。不満です、と言いたげなその表情に開いた口が塞がらない。
「二人きりなのに、先輩から離れたら、それこそ気まずいじゃないですか。なんか、嫌ってるみたいな」
「そんなことないよ。八重樫くん大きいし、広い方が良いかなって」
これだと、俺が離れてほしいみたいだな。
やんわりとした言い方だったが、迷惑そうに聞こえていたらどうしよう。嫌いじゃないよ、と今すぐに付け加えるべきだ。ここで何も言わない方が誤解される。
俺が口を開き、言い訳のような訂正をしようとした時、彼の頭がコッと俺の肩に乗ってきた。スッとした柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。
「八重樫……くん」
「……じゃあ、俺が先輩の隣にいたいんでって、そういう理由にしておいてください」
「……わかった」
「嫌だったら、いいですけど」
「……嫌じゃないよ。嫌じゃない」
不器用な甘え方だなと思う。
彼はそれ以上何も言わなかった。俺の肩に頭を預け、目を閉じている。よく見ると彼のまつ毛は長く、目を開けている時よりも幼く見えた。
(あ……八重樫くんが降りる駅聞いてないかも)
少ししたら起こそう、そう決めて俺は自分の姿を反射した暗い窓の外を眺めることにした。



