氷王子の心を溶かせ

「舞坂くん、一旦部屋に戻ろう」

俺たちは1階のホールで輪になっていた。部屋で待機との指示を受けたため生徒たちは他にはおらず、一層雨の落ちる音が大きく響く。

反応のない俺に藍沢が「おーい」と呼びかける。

「マイマイ、大丈夫だ。あの氷室だぞ?すぐ戻ってくるさ」

「そうですよぉ。心配いらないです」

違う、違うんだよみんな。

「……伊月くん、カッパ持ってたよね?」

どこか虚空を見つめながら言う。

「え?うん、部屋にあるけど……」

「貸して」





「舞坂くん、心配なのはわかるけどこの雨の中1人で探すのはむりだって」

部屋に戻るなり俺は伊月くんが出し渋っているカッパを半ば強引に奪い取り、着ようとする。

「やめとけよマイマイ。救助を待つしかないって。先生も部屋で待機っていってたろ?」

「これからもっと雨が強くなるんだ。20分も待てないよ。バーベキュー場はここから割と近いし、それに、」

「なら僕が行きます」

立花はカッパを持つ俺の腕を掴んだ。

たしかに立花は体力テストでランキングに載るくらい運動神経がいい。この中で1人が行くとなったら立花が適任だろう。わざわざこの中で圧倒的に運動音痴な俺が行くことはない、藍沢も伊月くんの目もそう言っている。

そうだよな……

考えれば考えるほど、俺が行くメリットはない。
同じく道に迷って帰れなくなるかもしれないのだから。

「でも……」

氷室は暗闇が苦手かもしれないこと、みんなは知らないんだ。もうどんな言葉も耳に入ってこなかった。

「な?マイマイ。とりあえず落ち着いて考え、」

「俺が行かなきゃいけないんだ!」

お腹の奥から重い声が出た。

「俺には氷室を助けたい理由がある。だから俺に行かせてほしい」

俺は氷室のヒーローになりたい。
氷室が俺のヒーローだったように。





「……わかった」

少しの沈黙の後、伊月くんは観念したように言った。

「だけどもし危険だと感じたらすぐに戻ってくるって約
束して。先生には俺たちがうまく誤魔化しておくから」

藍沢が懐中電灯を渡す。

「待ってるからな、マイマイ」

「気をつけてください、舞坂くん」

何か大きなものを託されたようで背中が重たかった。
絶対、氷室を連れて戻ってくるよ。





先生や他の人に見つからないように部屋を抜け出した俺はカッパと懐中電灯を身につけ、人気のない宿泊施設の玄関口に立っている。
薄暗く、幽霊とかお化けとかそんな類のものが出てきそうだ。

自然と脚が震え、呼吸が浅くなる。あんなに威勢を張って出てきたのに早くもこんな調子だ。

「大丈夫……俺ならできる……」

そう自分に言い聞かせる。大丈夫だ。きっと、大丈夫。

ギュッと目を瞑り、覚悟を決めても小刻みに震える足はわずかにおさまっただけだった。

だけど俺は行かなければならない。

ひとつ深呼吸をして走り出した。





「おーい!氷室ー!」

バーベキュー場へ続く道で必死に呼びかける声は雨音にかき消される。

「氷室ー!……どこ……氷室!」

懐中電灯で辺りを照らす。どこを見ても木ばかり。

「ここだ……バーベキュー場」

手を膝について呼吸を整えつつ、辺りを見回した。

「おーい!おーい、誰か、だれ、か」

足を止めると全身が鉛のように重たかった。
走っている時には感じなかった恐怖。知らない街に急に放り出されたような、世界に1人取り残されたような、そんな孤独を感じる。

ビューッと強い風が吹き、容赦なく看板が薙ぎ倒された。水分を限界まで吸収した靴は重くて、体が動かない。

「氷室……」

どうか、どうか、無事でいて。神様仏様、無事でいさせて。

情けない。勢いで飛び出してきたはいいものの結局神頼み。できないくせに手を挙げるのはただの出しゃばりなだけだ。

雨風がまたひとつ強くなり、ロウソクの炎ほどだった俺のなけなしの気合いは消えた。
手が冷たい。呼吸が浅い。視界に映るすべてが恐ろしい。

もしここにいなかったら……最悪のことを考えて全身が震えた。ここよりさらに奥の広場か?そう思って奥へ行く道を見ようと視線を移した。

その時、

懐中電灯で照らした遠くのベンチに人影が見えた。

座り込み、ベンチの脚を強く握る影。ジャージ姿だったから氷室と分かっただけで俺の知ってる彼とは似ても似つかない。なんというか、小学生みたいな弱々しい姿だった。

「氷室!!」

影は声に気づくとゆっくりと顔を上げた。

「舞坂……?」

頭で考えるより先に走り出していた。
そのわずかに震える声を聞いた瞬間、俺は氷室が感じるの恐怖や不安を全部包んで守りたいと思った。そんな似合わない願望を抱えたまま、勢いのまま氷室に抱きつくとあまりの強さに氷室は後ろによろける。

「おいっ、ちょっとお前、」

「どこ行ってたんだよ!何してたんだよ!心配したじゃないか……!」

抱きしめた瞬間、安堵で涙が溢れてきた。

「もしかして、探しに来てくれたのか?」

「当たり前だろ!」

泣く俺を見て、戸惑っていた氷室もやがて俺の背中に腕を回した。雨で濡れていて冷たいはずの体が急にジーンと暖かくなる。

怖かった。不安だった。

「良かった……本当に良かった……」

ずっと会いたかったんだ。

頬を伝う涙は雨よりも数度温かい。しばらく探し続けていた氷室の温もりを感じていた。





「はっ……!!」

俺は一体何をしているんだ…!?

我に返りパッと手を離すと思ったより距離が近くて真っ直ぐに目を見れない。

感情が一気に溢れ出したせいで俺はおかしなことを……

「あっ、こ、これは、違うんだ。その、嬉しかったんだ。ひ、氷室が無事で……」

「そう、か」

微妙にずれた間が気まずくて俺は声を張った。

「と、とにかく帰ろう!」

言いながら踵を返そうとすると、強い風の波がきた。瞬間、腕をぐいっと引っ張っられて、全身に優しい衝撃を受ける。視界がジャージの色一色に染まり、氷室の胸の中で俺は硬直した。

「木の枝が今……大丈夫か?」

「……う、うん」

氷室くんの頬には細く血が滲んでいた。

「はやく帰るぞ、風が強くなってる」

頷いて立ち上がろうとしたが、脚にうまく力が入らない。
体力がないくせに、長い距離を全力疾走したせいだ。俺の脚はとっくに限界を超えていた。

……どこまでダサいんだよ俺は
後先考えず、突発的な行動をして、役に立つはずが足手まといになっているではないか。きっと呆れられる、俺は思わず下を向いた。

「おい」

俺の気持ちを見透かしたように氷室は笑う。
差し伸べられた手。導かれるようにその手を取った。

ヒーローになるなんて、ばっかみたいだな……これじゃまるで俺が助けにきてもらったみたいじゃないか。

「行くぞっ」

真っ暗闇の中、宿泊施設までの道のりを雨に打たれ風に吹かれながら駆けていく。手は繋がれたまま、氷室の背中は大きくて頼もしかった。

氷室と一緒ならこの不気味な闇の中も怖くない。不思議と手を繋いで走るこの時間がずっと続いてほしいと思った。





「……つまり、忘れ物を取りに行ったら迷子の女の子がいて、一緒に家族を探していたと」

野田先生は腕を組み、険しい顔をして氷室に聞く。

「はい」

「うーむ……」

「雨も降ってましたし、その子も泣いていたので見過ごすわけにはいかなくて」

「それは、そうだが……」

先生は難しい表情をしてなにやら考え込んでいる。

そう、氷室は忘れ物を取りに行った時、俺たちがいた場所の道を挟んだ反対側、家族連れ用のバーベキュー場近くで迷子の女の子を見つけたそうだ。その子を家族に送り届けるのに時間がかかり、戻ってくるのが遅くなってしまったらしい。

「うーん……まあそれは良しとしよう」

渋々といった感じだが氷室の行動は理解してくれたようだ。

すると次の矛先は……

「それで、お前は指示を無視して勝手に外に出た」

「……はい」

俺は下を向いて答える。

「そしてお前らはそれを知ってて我々に報告しなかった」

「すいません……」

伊月くんと藍沢、立花も頭を下げた。





「おーい、まじかよー多すぎだってー」

事情聴取が終わり、俺たち5人は宿泊部屋に戻った。
テーブルの上には大量の数学プリント。

「氷室のせいだぞー。それとマイマイ」

「悪かったな」

「ごめんって」

「まあ2人とも無事だったことだし、プリントもみんなで分担すればすぐ終わるよ!」

伊月くんはそう言って、分厚く積まれたプリントを分ける。

俺たちはあの後、野田先生にこっぴどく叱られ、罰としてありえない量の数学プリントを渡された。

「これ全部明日までに……?」

「らしいな」

「マジかよー」

「寝れないですね」

「しょうがないしょうがない、やるよ!」

一斉にペンを取った。

ペンを持つ手は長い間雨にさらされていたからかまだかじかんでいた。ギュッと握ると氷室の手の感覚を思い出す。

氷室と駆け抜けたあの時間を何度も何度も脳内で再生する。
あんな大雨の中で森の中を2人で全力疾走。いま考えてもバカみたいで笑えてくる。

いやいや、今はプリントに集中。
俺は小さく息を吐いてプリントに目を落とした。





「……それで、忘れ物って何だったの?」

しばらく経って、伊月くんが氷室に聞いた。
そう、俺も気になっていた。雨の中わざわざ取りに行くほどの忘れ物ってなんだ?

「ああ、そうだ」

氷室くんは思い出したようにポケットの中を探す。

「これ」

「ん?」

「これって……」

みんな漏れなく目を見開いた。

「バーベキュー場でかばんをひっくり返した時に落ちたんだと思う」

「あーマイマイが虫にびびってよけた時だよな……」

「……」

多分みんな俺と同じ気持ちだろう。

「……え?なんで?」

口からポロッと出た言葉だった。
氷室の手にあったのは俺があげた花のしおり。

これを取りに行くために……?

「な、なんで?こんな物のために、わざわざ雨の中、」

「なんでだろ」

わかんないのかい。

「舞坂にもらった大事な物だし。それだけ」

「そ、そうですか……」

そうピシャリと言われるとぶつけたい言葉も飲み込まざるを得なかった。

「氷室がそんなこと言うなんて、なんかめずらしっ」

伊月くんは嬉しそうに鼻を鳴らした。

「天才の考えは理解できませんねー、明日にでも取り行けばよかったじゃないですか」

「それなー、そのせいで朝まで数学地獄だ」

「だから悪かったって。何回謝ればいいんだ」

「はいはい、そこ喧嘩しなーい!」

わちゃわちゃとするその横で俺は氷室の前に置かれたしおりを眺めた。

大切な物……これを取りに行くためにあんな危険を冒したのか。

嬉しいようなびっくりするような、しばらく氷室の顔が見れなかった。





「えーと、藍沢がコーラで、立花がジンジャーエールだよな?」

心配をかけたので飲み物を奢れと藍沢が騒ぐので、氷室は藍沢と立花に、俺は伊月くんにジュースを買うことになった。大浴場でのお風呂終わり、濡れた髪のまま自動販売機の前に立っている。

「氷室」

「ん?」

「そこ座ってよ」

指差した長椅子に氷室は素直に座ってくれた。

「ほっぺの傷、痛いだろ?」

2センチほどの傷は俺を庇ってできたものだ。お風呂でもお湯が染みて痛そうにしていた。

「まあ……」

「ごめん。俺があの時ぼんやりしてたから」

言いながら彼の頬に絆創膏を貼る。

「舞坂は悪くない。俺が勝手にやったことだ」

「でも、」

「舞坂に怪我がなくてよかった」

そう言って氷室は優しく俺の肩にポンと手を置いた。

ダメだ……
この笑顔は危険だ。そんな顔で俺を心配するようなことを言うな。
嫌でも、認めたくなくても、心臓の鼓動が答えになってしまうから。

「お前、貼るの下手か」

「え?」

氷室くんは端っこにシワができている絆創膏を触ってははっと笑った。

「俺不器用で……」

「知ってる。行こうぜ」

氷室はサッと立ち上がっては歩き出す。俺は何も言えずジュースを抱きしめた。

風呂場にあったシャンプーの甘い香りに今までにない、ふわふわしたような不思議な感覚を覚えた。まるで夢の中にいるような感覚だ。





「おかえりなさい、早かったですねぇ」

「氷室ー、待ってたぞー」

部屋に帰り氷室は2人にジュースを渡した。

「よーしこれで和解成立だー!」

藍沢が勝ち誇ったように差し出した手を氷室はスルーして座った。立花はその様子をみて笑い、ジンジャーエールを喉に流し込む。

「あれ?伊月くんは?」

「あー、あいつ遅いから置いてきた。化粧水やらオイルやらベタベタしまくってたぞ」

「女子力高いですよねぇ」

「そう。じゃあ俺トイレ行ってくる」

「おうーじゃあなー」

この施設のトイレは部屋にないので、部屋を出てフロア共同のトイレを使わなければならない。
ちょっとめんどくさいが部屋を出る。

「おー舞坂くんじゃーん!帰ってたんだー」

途中廊下で戻ってくる伊月くんとすれ違った。

「うん。ジュースあるから飲んで」

「ありがとー」

「じゃ後で」と言って歩き出そうとしたところを呼び止められた。

「舞坂くん」

「ん?」

「氷室を助けたい理由ってなに?」

——「俺には氷室を助けたい理由がある。だから俺に行かせてほしい」

「あーあれは……」

必死に言葉を探す。

「俺、氷室に迷惑ばっかかけてたから。勉強とかも見てもらって、も、もちろん伊月くんにもだけど、そのー、なんていうか恩返し?したくって」

「ふーん、なるほどねー?」

伊月くんは意味深な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んだ。心を読まれているようで後ろにのけぞる。

「まあいいんだけどさ。なんか最近の氷室、丸くなったというか、よく笑うし、楽しそうだからさ」

何を言いたいのかわからなくて、俺は首を傾げた。

「あいつはいつも感情を表に出さないというかー、仲良くてもさ、どこか壁があるような気がしてて。まあ元々無愛想な奴だったけどねー」

「まあ、ね」

「だから、舞坂くん達のおかげなのかなーって」

「え?」

思いもよらない言葉に一瞬思考が停止する。

「俺と氷室は小学校からの幼馴染なんだけどさ、昔は氷室もみんなでワイワイして騒いで、いろんな人に囲まれて明るかったんだ」

「え、氷室が!?」

俺の大きな声に伊月くんは「驚きすきだよー」と笑った。

「でもいつからかなー、人を避けてるというか、あんな感じで暗くなっちゃって。まあそれもあいつのいいところではあるんだけど。もっとなんていうか、笑って楽しんでほしかったんだ」

伊月くんの今までの行動が理解できた気がした。

「あ、だから……」

「そう、だから舞坂くん達を合宿に誘ったりー、親睦会なんて言って部室押しかけたりして」

伊月くんは「無理やりすぎたかな?」と笑いながら頭を掻いた。

「ううん、全然」

「ほんと!?」

目をキラキラ輝かせるのを見て、心がじんわり暖かくなった。

「じゃあ俺の作戦は大成功だったわけだ」

「そうだね」俺は大袈裟にグーサインを送る。

「これからも氷室をよろしくね、舞坂くん。それから、合宿に来てくれてありがとう」

「そんなやめてよ、こちらこそだし」

伊月くんは大きく手を振って部屋へ戻っていく。なんだか心が浄化された。清らかな水がスーッと全身に行き渡るように、大きく息を吸った。





「マイマイー!こっちこっち!」

「舞坂くんもやりましょうよー」

あっという間に2日目の夜。この時間は昨日機材を運んだ芝生の広場で花火をするらしい。

「いやー、疲れたー」

今日も昨日と同じくありえない量のプリントをこなした。俺たちは全員寝不足のはずなのに、理数科2人はそれを感じさせないスピードで終わらせていた。さすがだ。

2人の元へ走りつつ、自然に笑みが溢れる。

「はい、舞坂くんの分です」

手持ち花火に火をつけると、金色のシャワーが勢いよく吹き出した。続いて赤、緑、白と色とりどりの色が飛び出す。
昨日の嵐が嘘のように優しい夜風が心地よかった。少し雨上がりの匂いもするが、広場には笑い声が響き渡って鈴虫の声が聞こえる。

明日は午前中に2時間ほどの軽い自主学習を行い、この合宿は終了だ。この一大イベントがもうすぐ終わると思うと、重かった肩が軽くなり思わずぐるりと首を回す。

「花火なんて夏だなー」

「そうですねぇ」

「2日間で偏差値10は上がったわー」

「たしかに頭良くなった気がしますよねぇ」

「なあ?マイマイ……マイマーイ?」

「ん、あー、うんそうだな」

「どうした?さっきからぼーっとして」

なんだか会話が耳に入ってこない。
どうしたんだろう、俺。ずっと何かを考えてる。

「おーい!みんなー!」

「おー伊月、先生の用事終わったのか?」

「うん!バッチリ」

「氷室くんはどうしたんですか?」

氷室くん、という言葉に脳がぴくりと反応する。

「あー氷室、蚊がいるのがやだとか言っちゃって。売店に虫除けグッズ買ってから来るってさー!」

「なんだあいつ、蚊くらいで騒ぎやがって」

「じゃあ先にやってましょう!藍沢くん、向こうに打ち上げ花火もありますよ、取り行きましょう」

はしゃぐ藍沢と立花を見送って伊月くんを呼び止めた。

「伊月くんさ、」

「ん?」

「昨日聞いたよね、氷室を助けたい理由が何かって」

「あーうん。聞いたね」

「それは多分……」

「多分?」

「た、多分……」

言いたい言葉が引っかかって苦しかった。言ったらきっとすっきりするのに。グッと喉が詰まっていた。

「好きだから?」

後ろから降りかかった高い声にびくりとする。

「うわっ、え?」

「うわって、そんなびっくりした?」

「し……雫?」

「やっほー舞坂くん!瑠偉も!」

「よっ!」と伊月くんは雫とハイタッチをした。

「な、なんで……」

「ごめんごめん!話聞こえちゃったからさー!」

「いや、そうじゃなくてなんで、す、好きって、」

「ん?あー、予想だよ、予想。合宿で舞坂くんのこと見ててなんとなくそう思っただけー」

「ええ?」

腹の底から声が出た。目をパチパチさせる俺に2人は詰め寄ってくる。

……バレてる。

「で、どうなの?」

「多分……」

恋なんて、好きなんて、この気持ちを認めたくなかった。

恋愛?こいつが?自分が学校でどんな立ち位置にいるか知ってるからこそ、そんな視線を向けられそうで怖かった。それに相手が男で、氷室だなんて。
自分でも分かってる。世の中にはレベルってものがある。俺に恋は似合わないって分かってるから口に出したくなかった。

でも……
この2人なら、俺の気持ちを笑わずに受け止めてくれる気がした。

「……うん」

拳を握りしめると爪が皮膚に食い込んで痛い。

「氷室のことが好きだから、だと思う」

ついに言ってしまった。見なくてもわかる。顔が熱くて2人の顔が見れなかった。

「ふふーん!我ながら私の観察眼はすごいな!」

「え?」

「いいじゃん!私応援するよ!」

「ええ!?」

お、応援!?今俺、氷室が好きって言ったんだぞ?
バカにしないとは思ってたけど、応援するだなんて……

「舞坂くんが今後氷室とどうなりたいのか知らないけど、俺も応援するよ」

「伊月くん……」

「何もしないなら何もしなくてもいい。もちろん気持ちを伝えても、捨てても、伝えずに持ち続けても」

「そうそ!舞坂くんが決めたことならね!」

「じゃあ、俺らはこれで!もうすぐ氷室来ると思うから。花火、楽しもうね」

脚が硬直して動かない。ボッーとしてるうちに2人の後ろ姿が小さくなっていった。





「舞坂?」

「おおっ、氷室……」

氷室は右手に大きなビニール袋を持っていた。
さっきの会話を聞かれてなかったかだろうか。焦って視線が泳ぐ。

「みんなは?」

「先に花火やってるって……向こうにいる」

「そうか」

「どんだけ買ったのそれ?」

歩きながらビニール袋を指差した。

「蚊取り線香にスプレー、それとシール」

「シール?」

「虫除けのシール、これ」

氷室は足を止めて俺のジャージの首元を掴んだ。急な出来事に肩がビクッと反応する。

少し経ってからツンとしたハーブの香りが鼻をかすめた。見ると首の襟に500円玉くらいの丸いシールが何枚か貼られている。
なるほどこれか。昔よく使ってた気がする。

「……ありがと」

しばらく歩くと弾んだ声が飛んできた。

「おーい!舞坂くん達ーこっちですよー」

「おー氷室ー、お前遅いぞー」

藍沢と立花は両手に花火を持ってぐるぐると円を描いている。
その横で伊月くんと雫も手を振った。

「氷室ー、スプレーあるなら俺の背中にかけてー」

「自分でやれ」

「あん?」

藍沢が睨むと冗談だ、と氷室はスプレーを手に取る。
俺も花火に火をつけた。ピンク色の光が眩しい。

「おい、マイマイは知ってたのか?伊月がリア充だって」

「うん、昨日知ったけど」

「いいですねぇ。雫さん、話し方とか伊月くんにそっくりですよ」

「くっそー、悔しいけど似合ってるよな、あの2人」

藍沢や立花も雫と仲良くなったみたいだ。

目を擦ってもこれは夢じゃない。理数科だの普通科だの、学校での立場がどうの、レベルがどうの、そんな隔てがここにはなかった。
ずっと自分を縛ってきたレベルという呪い。スッと紐が解けて体が軽かった。

「みんなで写真撮りません?」

立花くんがスマホを取り出すといいね、とみんなでポーズを取る。

「はい、チーズ」

シャッター音が響く。この瞬間が永遠に刻まれる。
俺はこれ以上にないくらい幸せだと思った。





「みなさーん、2日目お疲れ様でした!5分後にキャンプファイヤー点火式を行います。ステージの方へ集まって下さーい!」

実行委員の知らせに所々で歓声が上がる。
キャンプファイヤーなんて小学生ぶりだ。

「やったー!行こうぜー!」

一斉にみんながステージへと向かうのを見て、俺もわくわくしながら追いかけようとした。

「舞坂」

氷室の呼びかけに足がピタッと止まる。

「どした?」

振り返った俺に氷室は何かを差し出す。

「これやる。さっき売店に売ってた」

渡された小袋を開けると……銀の、剣?剣に竜が巻き付いたデザインのキーホルダーだった。

「なにこれ?」

「勇者の剣」

「勇者の……剣」

言葉を反復してもわけがわからない。

「昨日、助けに来てくれてありがとう」

「え?」

突然のお礼。俺は反応に困って氷室とキーホルダーを交互に見た。

「ちゃんと言ってなかったから」

氷室くんは小さく咳払いをし、何かを決心したようにグッと俺を瞳に捉える。

「俺は昔から暗い場所が無理なんだ。舞坂がいなかったら多分、俺はずっとあの場所から動けなかったと思う。今ここにいるのは、舞坂のおかげだ」

氷室は嘘をつかない。彼が無愛想で冷たいと言われるのは、なんでも正直でお世辞が言えないからでもあるし……いや、そんなこと考えなくても目を見れば本心だってわかるけど。

用意してたみたいに棒読みな感謝の言葉。急におかしくなって吹き出した。

「なんで笑うんだ」

「いや?なんでもない。で、なんでこのキーホルダーなんだよ?」

「これを見た時、どうしても舞坂に渡したいって思ったんだ。もう終わったなって諦めかけた時に舞坂が来てくれて、すげぇかっこよかった」

「え?」

かっこいい……?俺が?
世界一かっこいいあんたが言うセリフじゃないよ。

「ヒーローみたいだなって思ったから」

その言葉を聞いた途端、思わず息を呑んだ。

勇者の剣。
勇気を持って、敵に立ち向かうヒーローが持つ武器。

「だからありがとう、舞坂。俺を助けに来てくれて」

「……」

「キャンプファイヤー、始まるぞ」

俺は歩き出そうとした氷室の腕をほとんど無意識に掴んでいた。

「舞坂?」

ずっと欲しかった言葉だった。

自分はここに必要なのかわからなくて、いつも悩んできた。
俺が投げつけられるのは、いつだって変わり者だの浮いてる奴だのという白い目か、はたまた無関心の視線ばかり。

俺を存在をこんなに真っ直ぐ見てくれる人は初めてだ。

この想いを伝えたいのに、いろんな気持ちがとめどなく溢れるせいでなんて言ったらいいのかわからない。
頭で考えて言葉を紡いでなんて、そんな時間がない、待てない。

「……っ!」

だからそう、俺は言葉を諦め、背伸びをして氷室くんの唇に触れた。

身体が一気に熱くなったのはきっと
キャンプファイヤーに火が灯ったから、だけじゃない。

【第5話】勉強合宿・後編 完