初恋は一生しないで取っておくことではない。私の初恋は今、中学2年生になって初めて起きた。
 相手が気になるのはなんでだろう? 例えば、体育祭でサッカーをしている君を無性に応援したくなるのはなぜだろう? 
 なぜ、私は君のことを無意識のうちに目で追っているのだろう――。

 なぜが積み重なるきっかけは、君、――侑里太に話しかけられたからだ。
 ある日の放課後、私は忘れ物をして、教室に戻った。誰もいないはずの教室になぜか、侑里太(ゆりた)がいた。教室の引き戸を開けると侑里太は私を見つめてきた。
 
「お、理那じゃん。どうしたの?」

 侑里太はそう言って、ニコッとした表情をした。思いがけない出来事に私は思わず、息をすっと吸いこんだ。

「忘れ物……したの」
「へえ、そうなんだ」

 侑里太は窓側の一番奥の席で、スマホをいじっていた。西日が教室に射し込んでいて、教室の3分の1はオレンジ色に染まっていた。教室の窓が開いていて、涼しくなった強い海風が教室の中に入ってきている。その風で教室の一番奥の白いカーテンが揺れていた。その中に侑里太がいる。函館のわずかしかない夏をこの教室のなかに詰め込んだようなそんな雰囲気が漂っていた。

「あ、スマホ持ち込んでるんだ」
「まあね。暇だから」
「侑里太は、何してるの?」私は侑里太にそう聞いた。

「ううん。なにもしてないよ。ただ、教室で暇つぶししてるだけ」
「え、帰らないの?」
「うん。今日さ、家の鍵忘れちゃったんだ。だから、親帰って来るまで、俺、帰れないのさ」
「そうなんだ。大変だね」
「うん。暇だから、少し話さない?」
「――いいよ」

 私は急に緊張し始めた。胸から筋肉が固まっていくようなそんな感覚がした。私は侑里太の前の席に座り、体勢を侑里太の方に向けた。イスを斜め右方向に斜めにしたとき、イスの滑り止めが床と擦れて、音が鳴った。机の上にはスマホと文庫本が置いてあった。スマホには有線のイヤホンが付いてた。

「なあ」
「――なに?」
「もし、人の気持ちがわかるようになったらどうする?」
「え、なにそれ」
「そのまんまの意味だよ」

 侑里太はそう言ったあと、微笑んだ。そんな侑里太の落ち着いた仕草に私の心拍数は上がり始めている。というより、その質問の意図がいまいちわからず、少しだけ私は考え込んでしまった。

「――何に使うか、私は思いつかないな。侑里太は?」
「俺は、その人の気持ち知ってから行動を起こしたいな」

 侑里太はそう言ったあと、すっと息を吐き、右手で頬杖をし始めた。そして、左側の窓を見つめていた。傾き始めた夏の黄色い西日が侑里太を照らしていた。侑里太の小さくて整った顔の所為で余計にソワソワした気持ちになってきて、揺れそうな思いを誰かに伝えたくなった。

「もし、行動が必要な場面だったら」
「なにそれ。――わからないよ」

 最初は侑里太が格好つけているのかと思った。だけど、もしかしたら、本当にいつもそんなことを考えた上で、なぜか今、私に披露しているのかもしれない。

「うーん、俺はさ、人の気持ちわかって、確証がないと動けないかもって言いたいの」
「そうなんだ」
「相手の気持ちがわかって、確証が得れたら、傷つかずにすむじゃんってことさ」

 侑里太はそう言い終わると頬杖をやめて、また私をじっと見つめてきた。二重の大きな瞳が透き通っているように感じる。侑里太の瞳に吸い込まれそうになるくらい、気持ちも一緒になぜか揺れる。

「――私もそうかもなぁ。人の気持ちがわかったら、余計なこと言わないで傷つかないで済むし、空回りする行動取らなくなるかも」
 私はあまり、考えもなしに侑里太が言ったことをそのまま繰り返すような、返し方をした。すると侑里太はまた、目尻にシワを作って微笑んできた。

「そうそう、そういうこと。そういうもどかしさ感じたことある?」
「私はあるよ。――だから、あんまり友達少ないんだと思う」
「そう? 少なくなさそうに見えるけどな」
「私なんて、輪の中のハズレにいるようなもんだよ」
「俺はそう思ってないよ。ただ、周りの子にくらべてかわいいよね」
「――え」
 バコンと胸の奥が鳴った。そのあと、派手な音を立てて、早いテンポで胸が暴走し始めた。気づくと、顔も手も急に熱くなっている。きっと、顔はもう、真っ赤だと思うと、余計に恥ずかしくなった。

「――あ、えーっと、なんか見てて癒やされるんだよ。そういう意味だよ」
 さっきまで目があっていた侑里太はそっと左下に視線を反らした。そして、右手で口元を覆った。

「……そうなんだ」
 私はなんとか、返す言葉を見つけたけど、それしか、話すことができなかった・
「あぁ……」
 そのあと、時が止まったみたいにお互いに目線を反らしたまま、沈黙が流れた。侑里太をちらっと見ると、顔が赤くなっていた。このあと、どうすればいいのかなんて、私が14年間生きてきた中で、そんな術はまだ持ち合わせていないから、私はこの場を離れるしかないなって思った。
 
「――あ、私」
 声が裏返って、変に高い声になってしまった。それで余計に恥ずかしくなった。

「このあと……用事あるから、帰るね」
 私は自分でも驚くくらい、慌ててイスから立ち上がった。立った弾みでイスが後ろに少しずれた。ゴムが床にこすれる不快な音がした。そのあと、バッグを持ち、自分の机に行き忘れたノートを取り出した。本当にこんな終わり方でいいのかな――。
 
「バイバイ」

 私は侑里太にそう言ったあと、教室を出ようと歩き始めた。
 
「なあ、待って」

 侑里太が私を呼び止めた。
 
「なに?」
「――今度、また、話そう」

 侑里太は微笑みながそう言った。
 私の初恋は侑里太の「かわいい」ですべてが始まってしまった。



 「告白しちゃえばいいっしょ。そんなに想ってるならさ」と凛子(りこ)は軽々しくそう私に返した。

 明日から夏休みだ。私は凛子と二人で植物園の奥にある砂浜で海を眺めている。砂浜にレジャーシートを引いて、その上に座って、自販機で買った缶コーラを飲んでいる。潮の香りが夏を引き立たせていた。さざなみが満ち引きを繰り返し、おだやかな波の音が心地よかった。時間は無限に続いていきそうなそんなお昼前だった。

「え、でも、関係壊したくないよ。友達に戻れなくなったらどうするの?」
「そのときはそのときでしょ。私は今すぐに、侑里太に想いを伝えるほうがいいと思う」
「凛子はそうするの?」
「うん、そうする」と凛子は自信あり気にゆっくり頷いた。

「だってさ、早いもの勝ちじゃん。恋愛って」
「まだ、恋愛かどうかもわからないよ」
「いや、恋愛だよ」
 凛子は私のこの気持ちをテレビでよく見る占い師のようにそう断言した。だから、私は侑里太のことがやっぱり好きになったんだって、しっかりと自覚してしまった。

「そうやって、どうしようって悩んでいるうちに別な女に取られちゃうよ」
「えー。だけどさ、相手も私のこと意識してたらさ、いつかは告白されるんじゃないの?」
「甘い、甘い。理那(りな)、気になったら女から告白したほうがいいんだよ。男から告白されるって思い込みを捨てて、こっちから勇気出したらきっといい結果になるって」
「そう上手くいくかな。私にはわからないや」

 私はそう言ったあとコーラを一口飲んだ。そして、右側を見た。海岸線に沿って、湯の川温泉のホテルが並んでいた。そして、左カーブを描いている海岸線の先には緑色の函館山がかすかに見えた。函館山の山頂は平べったい。錠剤を出したあとのプラスチックの梱包のように見えた。

「うーん。ねえ、まずLINEから交換すればいいんじゃない?」
「え、どうすればいいの?」
「普通に『教えて!』って言えば大丈夫だって」と凛子は笑いながら、コーラを一口飲んだ。
 
「その普通にって言うのがわからないよ」
「うーん、そっか。――そしたらさ、4人でデートしてみない? 私から侑里太のこと誘って見るから。もちろん、私は夏織(なつお)を連れて行くからさ。そのときにLINE聞くような流れ、作ってあげるよ。ナツオとユリタも仲いいはずだから、上手くいくよ。あ、夏織に言ってもいいでしょ? 侑里太のこと好きだってこと」
 話が勝手に進みすぎてよくわからなかったし、私が侑里太のこと好きだってことを、夏織にまで知られるのはちょっと嫌な気持ちになった。凛子はいつも、昔からこうやって、話を進めようとしてくる――。

「ちょっと。それはやめてよ。変に思われるでしょ」
「え、なにが?」
「夏織にまで言わなくても……」
「いいでしょ。私の彼氏だし。それにこういうときはダブルデートが一番いいの」と凛子は自信に満ち溢れた表情で、元気よくそう私に返してきた。私は思わずため息を吐いた。

「変もなにもないよ。むしろ手助けしてくれるよ思うよ。ね、言っておくね」
 もう凛子がここまで言ったら、あとには引けないことは小学校からの付き合いでわかっている。だから、私は覚悟を決めて、うん、と頷いた。

「デートのとき、ゴリゴリメイクしてきてね。私も派手にいくから」
「――わかった。練習しておく」
 そう言ったあと、右手の人差し指を砂浜にそっと押した。指はゆっくりと砂に埋れていく感触がした。



 チャイニーズチキンバーガーを食べている。結局、四人揃ってラッキーピエロでランチをすることになった。店内はモスグリーンで統一されていた。ソファもテーブルも壁もすべてモスグリーンだ。壁には無数の絵画が飾られていて、ゴッホのひまわりの模写も飾られていて、シックで不思議な雰囲気がラッピに来たなって感じがした。
 
「やっぱりチャイニーズチキンだよね」と凛子がそう言った。
「そうだね。なんでこんなに旨いんだろう」
 夏織はそう言ったあと、チャイニーチキンバーガーを食べ終えた。チャイニーズチキンバーガーは函館のハンバーガーショップラッキーピエロの看板商品だ。甘ダレが絡んだ揚げたチキンにマヨネーズとレタスがバンズに挟まっていて、大きさはスマホの高さくらいある。

 函館生まれの私たちはもう、何十回も慣れ親しんで食べている。
 
「はやっ。お前、もう、食べ終わったの?」と侑里太はそう言って、バーガーを一口食べた。
「だって、旨いからさ、あっという間だよ」
「早すぎだよ。リナ見てみなよ。まだあんなに残ってるよ」
 凛子はそう言って笑った。侑里太と夏織は私のチャイニーズチキンバーガーを見た。

「ちょっと見ないでよ。自分のに集中して」
 私はそう言って、バーガーを一口食べた。
 
「理那ちゃんはね。乙女だから、一口が小さいの。私みたいに」
 凛子は、大きく口を開けてチャイニーズチキンバーガーを頬張った。私はまだ、緊張していた。私の隣の席に侑里太が座っている。こんなに侑里太と近づいて座るのは初めてだった。春に学校で向かい合って座ったときより、距離感が近いように感じた。

 侑里太を横目で見ると、侑里太は黙々と食べていた。すでに侑里太のバーガーも半分以上が無くなっていた。侑里太の鼻筋は横から見てもすっとしていた。

「このカップルはさ、食べるのが早いんだよ」と侑里太はそう言った。
「私は早くないでしょ。この人が早いだけだよ」と凛子は左肘を横に出して、夏織の右腕にぽんと当てた。
「いーや。凛子も早いから、侑里太の言う通りだわ」
 夏織がそう言い終わるのと合わせて、凛子はもう一度左肘を夏織の右腕に当てた。今度はさっきよりも強めだった。

「痛いって。凛子も十分、乙女だよ」
 夏織がそう言っている間に凛子は右手に持っていたバーガーを食べ終えて、包装紙を折りたたみ始めた。

「当たり前でしょや。そんなの。あー美味しかった。ごちそうさまでした」
「やばいな、俺たち。理那、完全に遅れたね」
「そうだね。急がないとね」
「ゆっくりしてていいよ。私達、のろけ話するから」
「何だよそれ。恥ずかしいな」と夏織はそう言って、グラスを手に取りコーラを一口飲んだ。
 
「付き合い始めたときのこと、話しよう」
「えー、やだよ。すげぇハズいじゃん。それ」
「侑里太は聞きたいよね?」と凛子はそう言った。無邪気そうな表情を浮かべていた。
 
「え、――あぁ」と侑里太は力なさそうな声でそう言った。
「ほら、じゃあ、話始めるよ。私達の馴れ初め。いえーい!」と凛子はそう言って、小さな拍手をした。
「『いえーい』は?」
 凛子はそう聞いたから、いえーいと低いテンションで三人とも、バラバラのタイミングでそう言った。

「それじゃあ、盛り上がってきたので始めるね。最初はなんと、ナツオからデートに誘われました。どこに行ったと思う?」
「え、カフェ?」と私が聞くと、凛子はいつもの調子で右手の親指と人差指で丸を作った。
「正解。そう、ここでデートしたの」
 凛子がそう話し始めて、恥ずかしくなったのか、夏織は急にテーブルに突っ伏した。

「あー。やめてくれー。マジで」
「いや、カフェじゃないじゃん」と私は凛子にいつものように返した。
「じゃあ、その日も食べたの? チャイニーズチキンバーガー」と侑里太はそう言った。
「いや、その日はパフェにした。パフェとジュース」と夏織は顔を上げて侑里太に向かってそう話した。

「それで、どういう風になったの?」と私は凛子に聞いた。
「うん。それでね、美味しいねって言って食べてたんだけど、途中から、ナツオが全然話さなくなったの。それでどうしたのって言っても顔赤くなってそのままだから、しばらく待ってみたの。だけど、全然話さないのさ。それで、しびれ切らして、私から告白しちゃったのさ。好きです。付き合ってくださいって」
「おー。逆告白」と侑里太は関心したように口を尖らせて、そう答えた。私はこの話をすでに2回くらい凛子から聞いているから、関心もなにも感じなかった。というか、もういいよって少しだけ冷めている自分もいた。
 
「あー、だから嫌だったんだよ。かっこ悪いじゃん。俺」
「え、でもいいじゃん。両思いだったんだからさ」と凛子はそう言って、オレンジジュースを一口飲んだ。
「おお、いい話」と私はそう言って、音が響かないように拍手をした。
 
「俺もさ、頑張ろうとしたんだよ? 前の日から言うことをさ、ずっと考えてたのさ。寝る前に何回も声出してセリフの練習したりさ、待ち合わせしてるときにもスマホに書いておいたメモ見てさ、何回も確認したんだもん。だけど、ダメだったわ。あー、もっとかっこよくコクろうと思ってたのにさ」
「残念だったな。お前、そういうところあるもんな。本番に弱いタイプ」と侑里太はそう言って笑った。
「侑里太、お前、マジ図星」
「ドンマイ」と侑里太はぶっきらぼうな声色で夏織にそう返事をした。
 
「そういえば、何ヶ月経ったの? 付き合ってから」と私は凛子にそう聞いた。
「もう2ヶ月経ったかな。ゴールデンウィークに告白したから、それくらいだよ」
「そうなんだ。1ヶ月記念とか、2ヶ月記念とかやったの?」
「うん。ここでね」と凛子がそう言うと、みんなで示し合わせたかのように笑った。
 
「ねえ、連絡先、交換しちゃいなよ。二人とも」と凛子はそう言った。
 
「俺はオッケー」
 侑里太はそう言われたあと、私の心拍数は急激に上がり始めた。教室で二人きりで話したときと一緒だ――。一気に顔が熱くなる感覚がする。
 
「――私も」
「じゃあ、俺も」と夏織がそう言った。
「ちょっと、ちょっとー。なんで、夏織が理那の連絡先もらおうとしてるのさ」
「え、俺の連絡先もほしいかなって?」と夏織はそう言ったあと、みんなで笑った。
 
「じゃあ、マジな話、この際だから、みんなでしようよ」
 侑里太はそう言ったから、みんなスマホを取り出した。私はLINEを起動して、QRコードを表示してテーブルに置いた。すると、侑里太が読み取るねと言い、私のスマホの上にスマホをかざした。そのあと、夏織が私のQRコードを読み取った。夏織からは服を着たキリンが手を上げて挨拶しているスタンプが送られてきた。私は登録して、既読無視した。
 
 そのあとすぐに侑里太から《よろしくね》とメッセージが届いた。
 私は《ありがとう、よろしくおねがいします》とメッセージを送った。

「なんか、この人、俺のこと既読無視して、隣の人とメッセージやり取りしてて感じ悪いんですけど」と夏織は私を茶化すようにそう言った。
「え、スタンプだけの人より、メッセージ来た人のほう、先に返信するじゃん。文句言わないで」と私はそう言って笑うと、夏織も笑った。

「ちょっと、二人でイチャイチャしないでよ」と凛子は私と夏織のやり取りに割って入ってきた。
「違うって。凛子ちゃん。これは」
「これは?」
 凛子はそう言ったあと、左肘で思いっきり夏織の右腕を押した。
 
「痛い。痛い」
 夏織はそう言って笑った瞬間、凛子と夏織が急に眩しく見えた。私は目のやり場に困って、スマホをショルダーバッグにしまうことにした。イチャイチャしているのはこの二人だろと私は心のなかで少し毒づいた。




 夏休みはあっという間に過ぎていった。あれから、侑里太からの連絡もなかった。お盆に松前のおばあちゃんの家に行った以外は何気ない日常がだらりと進んでいっただけだった。その間、凛子からも連絡はなかった。きっと、夏織と遊ぶことに夢中なんだろうなと思った。私だけ世界からほったらかされているような、そんな感覚がした。

 始業式が終わり、凛子といつも通り帰ることになった。終業式のときと同じように自販機でコーラを買って、植物園の裏にある砂浜に行った。私は持ってきたレジャーシートを広げ、座った。凛子もいつものように私の左側に座った。そのあと、二人ともほぼ同じタイミングで缶コーラを開けた。コーラを開けると爽やかで喉が渇く炭酸の抜けた音がした。
 
「あーあ、永遠に夏休みだったらいいのに」
 凛子は缶コーラを私の方に差し出してきた。
 
「永遠の夏休みに乾杯」
 持っている缶コーラを凛子の缶に当てた。缶に口づけると口の中いっぱいにコーラの香りと強い炭酸を感じた。

「夏休みどうだった?」と私は凛子にそう聞いた。
「最高だったよ。またのろけてもいい?」
「うんいいよ。夏休み中、何回ラッピに行ったの?」
「あ、それがさ、意外なことにラッピ、2回しか行かなかったさ」
「あれ、そうだったんだ。もしかして、スタバデートした?」
「うん、したよ。ベイエリアのスタバ」
「えー。いいなぁ。しかも五稜郭(ごりょうかく)のほうじゃないスタバじゃん」
「うん、観光客に混じってまったり話してきたよ。フラペチーノ飲みながら」
「いいなぁ。夏織いいところあるじゃん」
「いや、それがさ、全部、私がここ行こうって誘ったんだよね」
「え、凛子から誘ったの?」
「うん。あいつ、全然夏休み中誘って来なかったから、私がしびれ切らして、どこか行こうっておねだりしたの」と凛子はそう言うとコーラを一口飲んだ。

「えー。そうだったんだ」
「全然、ダメダメでしょ? あいつ。私、4人でラッピ行ってから1週間、夏織から連絡なかったから、フラれたかと思った」
「1週間か」
「そう。長いでしょ。1週間もほったらかしにするんだよ。だから、私が待ちきれなくなったってことさ」
「そうなんだ」

 今日も海は穏やかだった。日は薄い雲に出たり隠れたりを繰り返していた。半袖の制服から出ている両腕や顔を時折強く焼いた。人もまばらでゆっくりと午前中が終わろうとしている。

「リナは? あれからユリタと連絡取り合った?」
「それがさ、――連絡来なかったんだよね」
「え? 嘘でしょ」
「いや、マジ」
「えー、なんでもっと早く相談してくれなかったの?」
「そういうものかなって思って、ずっと連絡待つことにしたの」
「いやいや、ダメでしょ。それ」
「そうなの?」と私が聞き返すと、はぁー、と凛子はわかりやすいため息を吐いた。

「え、もう終わっちゃったかな。――もしかして」
「うーん。わからない。もっと早く相談してくれたら『自分から連絡しな!』って言ったのに。もう」
「そっかぁ」
「そっかぁ。じゃないよ。リナ、今から連絡しなよ」
「え、今?」
「うん、今」
「えー、恥ずかしい」
「ほら、スマホ出して」
 凛子はそう言って、私のバッグを指差した。私はバッグの中から、スマホを取り出した。そして、バッグを砂浜に置き、LINEを起動した。

 侑里太とのトークを表示すると

 《よろしくね》
 《ありがとう、よろしくおねがいします》

 とやり取りが書いてあった。あのとき、瞬間冷却したみたいにメッセージはそのままだった。

 私はスマホを持ったまま、海を眺めた。ときより白波を立てていた。
 
「――ねえ、なんて書けば良いんだろう」
「うーん。『こんにちは。夏休み終わったね。元気だった?』っていうのはどう?」
「いいね。打ってみる」
 私はそう言ったあと、凛子が言った通りのセリフを打ち込んだ。右手に汗がにじんでいるのを感じた。送信ボタンが押せない。胸がぎゅっと縮まる感覚がする。寒くないのになぜか胸から小刻みに身体が震え始めた。息を大きく吸ったあと、小さく吐いた。

「やっぱ、無理だよ。凛子」
「えー、こういうのは勢いだよ。勢い。えい!」
「あ!」
 凛子は右手の人差し指で私の人差し指を押した。そして、メッセージは簡単に侑里太の元へ送られた。一気に胸が熱くなった。そして手が大きく震えだした。凛子の顔を見るとにやけていた。

「ごめん、やっちゃった」
「ちょっと、もう」
 私はそう言ったあと、左手で凛子の背中を思いっきり叩いた。パチンといい音が鳴った。

「痛ーい! もう。ウケる」
 凛子はそう言って、大きく笑って、砂浜へ倒れ込んだ。そして、そのまましばらく笑っていた。私は侑里太とのトーク画面をずっと見ていた。なかなか既読が表示されず、じれったい。今度は胸の奥が痒く感じた。




 侑里太とLINEでやり取りをするようになって、もう、3ヶ月も経った。週末に2時間くらいメッセージのやり取りをしている。凛子にそのことを言うと、なんで会わないのさ。デート誘っちゃえばと言われたけど、私はそれをしなかった。凛子は最初のうちはやきもきしていたけど、しばらくすると、メッセージの内容を面白がって私から聞くようになった。凛子と夏織は相変わらず、順調そうな恋愛だった。

 11月なのに今年はすごく寒かった。昨日、大雪が降った。この時期にこれだけ雪が積もるのは10年に一度の珍しいことだと天気予報で言っていた。ホームルームが終わり、私は帰ろうと凛子に話しかけたら、ごめん今日は夏織と帰るからと言われた。私は凛子にフラれた。あんなにかわいい凛子ちゃんを私から奪うなんて夏織は酷い男だと思ったけど、凛子は夏織と付き合っているんだから、奪うも何もない。わかったと言って、私は凛子と別れた。コートを着たあと、自分の席に戻り、バッグからマフラーを取り出した。そして、黒いマフラーを巻いてそそくさと帰ることにした。

 下駄箱で自分の靴を取り、上靴を脱いだ。「理那」と自分の名前を呼ばれて振り返ると、侑里太がいた。



 玄関を出た。外の道は見るからに最悪だった。昨日降った雪が一度踏み固められていて、昨日の気温で解けてを繰り返しツルツルの氷になっていた。そして、その上に今日の雪がさらっと積もっていて、まるでスケートリンクの上を歩いているようなそんな嫌なこおり方をしていた。

「嘘でしょ。めっちゃ滑るよこれ」私は侑里太にそう言った。
「やばいね」侑里太はそう言った。私は一歩ずつゆっくり歩き始めた。何歩か歩くと身体が思い出した。小さな歩幅でつま先から路面に着くようにした。侑里太も同じように慣れた歩き方をしていた。私と侑里太はそのまま、黙々と歩いた。街路樹のイチョウの葉はまだ落ちきってなくて、黄色の上に雪が積もっていて、ちょっとだけ幻想的に思えた。

「なんか、緊張するな」侑里太はそう言って沈黙を破った。
「うん。私も」
「ラインなら思いつくのに」
「――ねえ、なに話そうか」
「――そうだな。リナと話したいことは本当はたくさんあるんだよ」
「そうなんだ」
「――だけど、ラインじゃ足りないよ」
「――そうだね」
 私は一気に身体が熱くなる感覚がした。外に出て数分で冷たくなっていたはずの両耳すら、熱く感じる。

「そのタイミングが今日だった」
 侑里太との会話はなぜか途切れ途切れになる。一気にべらべらと話してくれていいのにって思ったけど、私も同じ症状を発症しているから、侑里太にそんなことは言えないし、何より、私が上手く喋れたら、たぶん、侑里太も自然に話してくれるような気がした。

「そうなんだ」
 私はそう答えたあと、息を吸った。すると、冬の凛として、澄んだ空気が肺の中いっぱいに入っていった。

「――嫌じゃない?」
「ううん。嫌じゃない」
「――そっか。それならよかった」
 そう言われて嬉しくて、少し照れくさくなったから、私はそれを誤魔化そうと小さく頷いた。

「こうやって話すの夏以来だよな」
「遅いよ。もう冬になっちゃったよ」と私は少しだけ、ふてくされたような声でそう言った。凛子に3か月もウジウジして、どうするのって、先週言われたのを思い出した。私達って、そんなにウジウジしてるのかな――。

「ごめん。興味ないわけじゃないんだ」
「わかるよ」
「――ただ、どうすればいいのかわからなくて」
 侑里太を見ると、侑里太は右手で自分の髪を何度かわしゃわしゃした。侑里太のその仕草が、俺にもさっぱりわからないよと言いたげなように見えてしまった。

「――私もわからないよ」
「だよな」
 侑里太にそう言われて、そのだよな、って言葉が男らしくないなって思った。男の子なら、もう少し私のことリードしてくれたっていいじゃん――。 

「どうすればいいのか。こういうとき。えっ、あ!」
 急に右足が宙に浮いた。だから、咄嗟に雪の上で転ぶ準備をした。両手を路面に着けれるように後ろに受け身の準備をした。
 だけど、なぜか、左手が一瞬引っ張られるのを感じた。私の身体は左側に引っ張られるように、ゆっくりと右手の平から接地した。次に右太もも、お尻、背中の順番に雪の上に転んだ。右側に鈍い痛みが走っている。

 気がつくと、私に覆いかぶさるように侑里太も転んだ。
 私は仰向けのまま、侑里太の顔を間近で見た。息をすればすぐにお互いの息があたるくらいの近さだった。私は何が起きたのか、まだよくわかっていなかった。

「大丈夫?」と侑里太は私を見つめたままそう言った。侑里太の息は白かった。
「うん。痛い」
「だよね。びっくりした」
「私も」
「理那のこと引っ張ったけど間に合わなくて、俺も一緒にコケちゃった」
「反射神経すごいね」
「俺、運動神経いいから」
 
 侑里太がそう言ったあと、私と侑里太は繋いだままのお互いの手を見た。そして、手が繋がったままであることに気づき、左手から一気に身体全体が火照るような感覚がした。侑里太は体勢をおこして、手を繋いだまま、私を引っ張り起こした。そのまま、お互いに手を繋いだままでいた。

「――手、冷たいね」侑里太はそう言った。
「今日ね、手袋忘れたんだ。いつも着けてるのに」

 私は朝、いつもより5分遅く出て慌てたのを思い出した。侑里太の手は暖かく感じた。なぜかわからないけど、侑里太の手から感電しているかのように左腕が鳥肌が立ち始めた。

「もしかして――朝、出るの遅かった?」
「え、――そうだよ」
「――そうか」侑里太はそう言って、私をじっと見つめていた。
「うん」と私はそう言ったあと、侑里太の手を離した。

 ――なんで今、わかったんだろう。そんな、一瞬の違和感よりも、手を繋いだままの恥ずかしさのほうが勝っているような気がする。そして、私はとっさに手を離してしまった。

「――あ、悪い」と侑里太はバツが悪そうにそう言った。別に侑里太が悪いわけじゃないのに、私は侑里太に謝られた。
「――ごめんね」
 私がそう言うと、侑里太は行こうと言って、私達はお互いにそのあと、黙ったまま歩き始めた。



 ベッドに寝転び、両手を天井に思いっきり突き出した。
 そして、侑里太の手の感触を思い出すと、左手はじんわりと温かくなる感覚がした。やがて、その熱が下がっていき、腕、肩を通って胸に流れ込んだ感覚がする。胸にドロっと何かが流れ込んだようなそんな感覚だ。

 結局、侑里太とはあのあと、ろくに話をしないで終わった。お互いにだんまりしてしまった。LINEでは上手く会話できるのになんで会話出来ないのかよくわからなかった。たぶん、侑里太も同じことを考えているのだろうなとわかった。なぜかわからないけど、私は理解することができた。

 今のところ、侑里太からのLINEもなかった。どうすれば素直になれるのかよくわからない。上手く話せないのは、お互いに緊張していたからなのかよくわからなかった。

 私だって、LINEではあんなに学校のこととか、テレビでやってたバラエティ番組のこととか、YouTubeで見つけた面白い動画とか、共有して一緒に面白がっているやり取りをしてるはずだ。だけど、面と向かうとこうした自然な話題ができない。
 ため息を吐き、両手を下ろした。どうして凛子と夏織は自然に話ができるのだろう――。
 
 私だって、できるはずだ。
 
 いつも凛子と話しているときみたいにふざけて笑えばいいだけのことだ。だけど、なぜか侑里太の前ではそれができない。きっと凛子に話しても理解されないことだと思った。

 『もう、付き合っちゃいなよ』と凛子に言われたのを思い出した。たぶん、このまま、LINEだけの関係になったら、侑里太とはもう、付き合うことはないかもしれない。そして、来年になったら別のクラスになって、そのまま、話さなくなって、中学を卒業して、別々の高校に行くのかもしれない。そうなったら、もう、侑里太とは自然消滅だ。そんなのは嫌だ。


 だけど、侑里太からのアプローチはあまりない。
 もしかしたら、私からアプローチをかけたほうがいいのかもしれない――。
 だから、私は侑里太と付き合うことを決意した。

 ちょうど、LINEの通知音が響いたから、私は慌てて机に置いてあるスマホを取るためにベッドから起き上がった。



 ラッキーピエロはいつもより空いていた。7月に凛子と夏織と四人で座っていたボックスシートで座っている。席に座るとき、侑里太は私に奥の席に座るようにジェスチャーをした。私は素直にそれに従った。昨日、侑里太から誘われて、これが私達にとって初めてのデートになる。昨日の夜は胸が高鳴って、あまりうまく寝れなかった。だけど、目の前に侑里太がいること、昨日の夜、告白することを決意したことで、私は侑里太に会ってから、すごく緊張していた。

 きっと、侑里太も緊張しているのかもしれない――。
 ボックスシートに向かい合って座り、お互い、黙ったまま、頼んだパフェを待っていた。

 お昼を過ぎた店内は落ち着いた雰囲気だった。暖房がほどよく効いていて、眠気を誘うような暖かさだ。私は右手で頬杖をつき、壁と天井の境目をぼんやりと眺めていた。見慣れた壁と天井は相変わらず深い緑色をしていた。それが店内の落ち着きを更に作っているように感じた。こうしていてもなにも侑里太にかける言葉は見つからなかった。

「なあ」と侑里太はようやく私に話しかけてきた。
「――なに?」
「楽しみだね」
 私が頷くと簡単にやり取りが終わってしまった。だけど、別に気まずさは、なぜか感じなかった。

 店員が頼んだパフェと飲み物を持ってきた。目の前に置かれたパフェは大きなコーンの中にソフトクリームと生クリームがたっぷり乗っていた。生クリームの側面にはいちごが4つ付いていた。そして、細長いクッキーが2本、ソフトクリームに刺さっていた。

 侑里太が理那と呼んだから、私は「なに?」と答えた。だけど、侑里太はよくわからなさそうな、表情をしていた。呼んだのそっちなのに、なんで? どういうこと?って、私は侑里太の表情を見て、よくわからなくなった。

「え。――どうした?」
「――今呼ばなかった? 私のこと」
「いや。――呼んでないよ」
 急に気まずい空気が流れ始めた。でも、たしかに私は呼ばれたような気がしたのに、なんでこんなことになっているのか全然、納得がいかない。もしかしたら、寝不足で、私の空耳だったのかもしれない。それだったら、普通に空耳に返事をした変な女になっちゃうから、私が謝るしかないかもって、思った。

「そっか。――ごめん、そんなことより、食べよう」私はそう言って、スプーンを持った。
「うん。いただきます」侑里太はそう言って、パフェを食べ始めた。

 パフェを食べている間もお互いに無言だった。まずい、頭が真っ白だ。全く言葉が思いつかないから、侑里太と一緒に居ても、会話すらできない。一体、なにをどうやって話せばいいのか、本当によくわからない――。だけど、パフェは美味しいから順調にパフェは減っていく。はやくも私は3つ目のいちごに手を出して、それを頬張った。口入れた瞬間、生クリームの甘さといちごの酸味で、最高って思った。

「最高だね」といきなり侑里太に言われた。
「えっ」
 私は持っているスプーンを落としそうになった。私、もしかして、最高って自分が気づかない独り言、言ってたのかな。それじゃあ、ますます、変な女じゃん――。

「――うん。最高だよ」と私はとりあえず、そう答えて、場をつなげることにした。もうすでに告白するとか、そういう緊張じゃなくて、私が変な女に思われているんじゃないかって、自分自身に動揺して、鼓動が早くなっているのを感じた。そして、急に恥ずかしくなった。もしかして、最高って独り言を言っていたかもしれないと思った。

 だけど、このあとも侑里太との会話は続かなかった。このままじゃまずいと思った。
「まずい?」と侑里太はまた、脈略のない話をし始めた。というか、私が緊張しすぎて、変なことばかり言ってるのかもしれない。

「え?」
「え、今、理那さ、まずいって言わなかった?」
「いや、言ってないよ。――ラッピのパフェ、まずいわけないでしょ」
「そうだけどさ。――ごめん」と侑里太はそう言ったあと、何かを考え始めるように一度、天井を見た。そして、すぐに目線を自分のパフェのほうに戻して、コーンを手に持ち、食べ始めた。

 独り言を言い過ぎているのかもしれないと思った。興奮しちゃって、3時間くらいしか寝てないし、そのうえ、緊張してるから、咄嗟に思ったこと、自分で気づかないうちに出してしまっているのかもしれない。
 本当にこのままじゃ、まずい。やばい女だって見られる――。

 LINEなら上手く話せるのに――。
 そっか。そうすればいいんだ。
 いつもみたいに。

「ねえ」
「なに?」
「――LINEで話さない? 上手く話せないから」
「わかった。いいよ」

 侑里太はスマホを取り出し、テーブルに置いた。私もハンドバッグからスマホを取り出して、同じようにテーブルの上に置いた。そのあとLINEを起動し、侑里太のトーク画面を開いた。

《マジで話せないんだけど。どうしよう》と私は侑里太にメッセージを送った。
《俺も。なにこの現象》
《誘ったの俺なのにかっこ悪くてごめん》

 そのあと侑里太は「ごめん」と言った。
 「いいよ。私もごめん」と私もそう返事をした。

《ねえ。私、緊張してるだけだと思うんだ。お互い》
《んだね》
《私さ、もしかして、変な独り言、言ってた?》
《うん。言ってた気がする》
《気がするってなにさ》
《うーん。わからないんだけど、言ってるかどうか》
《独り言?》

「うん」
 侑里太は低い声でそう言った。だから、私はうわー、やっぱりかって思って、あまりにも恥ずかしすぎて、テーブルに突っ伏した。

「うわーって言われてもな」
「え、私、今、うわーって言ってた?」
「あぁ。言ってた」
 侑里太は真面目な表情でそう言った。私は余計によくわからなくなった。だから、気持ちを落ち着かせるためにパフェを一口食べた。シリアルと生クリーム、そして、スポンジを口の中で噛みしめる。もしかして、思ったことがそのまま独り言になる病気になったのかもしれない。――最悪だ。なにこれ。

「いや、なにこれって言われてもな」

 えっ。私はたぶん、そのことを、今、口に出していない。というか、パフェを食べていたから、口をもぐもぐした状態で、話すわけがない――。私は慌てて、パフェを一気に飲み込んだ。そして、喉につまりかけたパフェを水の飲み、一気に流し込んだ。

「今、なんでわかったの?」
「え、どういうこと?」
「私、思っただけで言ってないんだけど」
「ん? 余計わかんないだけど」
 侑里太は眉間に皺を寄せて、また困っているような表情をした。私はいちごと思った。

「いちご?」と侑里太は私が予想したとおり、そう言った。
「ねえ、私、わかったかも。侑里太、なにか心の中で言ってみて」と私がそう言ったあと、『ゴリラ』と聞こえた。
「ゴリラでしょ」
「正解。――マジかよ。リナもう一回やってみて」私は『ラッパ』と心の中で呟いた。
「ラッパ」侑里太はそう言った。
「正解。パセリ」
「――正解。リアカー」侑里太はそう言った。
「正解。え、カイシン?」
「ううん。ハズレ。会心の一撃」
「あー、後ろの方、聞こえなかったわ」
「そうだったんだ。長いのは無理なのかな」
「わからない。だけど、私達」『すごくない?』
『すごいね』と侑里太の心の声が聞こえた。




 店を出ると、空気は秋に戻っていた。歩道で日陰になっているところにはまだ、ところどころ、雪が残っていたけど、私が学校帰りに滑ってころんだ、あの雪は4日であっという間に溶けてしまった。
 
『行こうぜ』と侑里太に言われて、私は『うん』と返した。
 どこに行くかはわからないけど、私は侑里太の横を歩くことにした。数日前まで寒かったのが嘘だったみたいに今日は暖かかった。きっと10℃くらいありそうだ。

 海と反対側に歩いているけど、時折吹く冷たい風に乗って、潮の香りがした。黙ったまま、歩き続け、市電の線路と道路が交わる交差点で信号に引っかかり、私と侑里太は立ち止まった。右側にいる侑里太を見ると、侑里太は優しく微笑んでくれた。思わず私は恥ずかしくなって、視線を反らした。市電が鈍くて大きな音を立てながら、私達の雨を通過した。

『手』と侑里太の心の声が聞こえた。
「えっ」
「あ、えーっと。手」と侑里太がそう言ったのとあわせて、私の左手は侑里太に繋がれ、数日前に感じた温かさを再び感じた。

『冷たいな。理那の手』
『あたたかいよ。侑里太の手』

 心の声でそう返した。手を繋ぐとより鮮明に侑里太の心の声が聞こえる気がする。もう一度、侑里太を見ると、侑里太の顔が赤くなっていた。そして、信号は青になった。



 『ラズベリー』
 『リアリスト』
 『トライアンドエラー』
  
 会話をすればいいのに私と侑里太は心の声を使って、しりとりをしていた。もっとやるべきこと、話すべきことはあるはずなのに。もう、侑里太が向かおうとしている場所はわかっている。目の前に五稜郭公園の入口がすでに見え始めていた。

『だよな。話すべきことなんてたくさんあるよな』
 あ、やっぱり私の心の声、聞かれてた。
『そうだよ。私、もっと、侑里太のこと知りたい』
『俺もだよ。――なあ』
『なに?』
『口使わないで会話するのは自然にできるな』
『そうだよね。そう思った、私も』
 侑里太はそのあと、声に出して、なんでだろうなって言った。周りには人はいないけど、もし、他の人が私と侑里太のことをみたら、ホラーかもしれないって思った。

『ホラーってなんだよ』
『だって、侑里太、声で会話してないのにさ、急に話し始めたら、変に見えるしょ。他の人から見たら』
『だな。だけどさ、これ、めちゃくちゃ便利じゃね』
『は? 便利ってどういうことさ』
『だって、授業中、理那と会話できるってことだろ』
 あ、そっか。って思った。確かに退屈な授業を侑里太と二人でずっと話できるっていいかもって思った。先生にわからない問題あてられたときとか、侑里太に聞けばいいじゃん。

『そうじゃなくて、普通に授業中にラインするようなもんだろ』
『え、問題の答え教えてくれないの? 私が困ってるのに』
『いや、そうじゃないけどさ、授業中、暇つぶしになるだろ』
『え、私のこと、暇つぶし相手としか思ってないの』
 私は茶化すようにそう返して、侑里太を見ると「いや、そうじゃねーし」と言って、困ったような表情をしていた。
 そんなことを話しているうちに、私達はいつの間にか五稜郭公園に入っていた。直線的なお堀と対岸には五稜郭城が立っていた島が、そして、左手には白いピンを立てたような形をしている五稜郭タワーが見えた。五稜郭タワーの展望台は、ガラスが太陽に反射して、眩しかった。そして、さっきまで歩いた住宅街では人はまばらだったのに、公園に入ると多くの人が歩いていて、急に別な国に入ったような感覚がした。

『独り言いうと、変な人に思われるよ』
『理那もな』
 侑里太がそう言うと、私と侑里太はお互いに弱く笑っちゃった。だから、きっと、はたからみたら、私たちは変人に見られていると強く思った。

10
 お堀の遊歩道に沿って、五稜郭タワーの方へ歩き続けた。ラッキーピエロからずっと歩いているけど、そんなに疲れを感じなかった。それよりも、こうやって、二人で並んで、五稜郭のお堀を歩いているのがデートっぽく感じた。すれ違うカップルも私達のように手を繋いで、歩いていたから、きっと、私達もすれ違うカップルのように馴染んでいるんだろうなって思った。
 星の一片を歩き終え、道がカーブに差し掛かった。対岸の島の石垣は綺麗に直角が作られていて、星の先端を感じた。生まれたから、何度も見ているけど、なんで昔の人はこんなに几帳面なことをわざわざしたんだろうって、この直角に作られた石垣を見ると、いつも考えてしまう。きっと、大人になっても、この石垣を見るとそう思うのかもしれない。
 
 急に侑里太が笑ったから、侑里太の方を見た。

『もしかして、ずっと聞いてたの?』
『当たり前だろ。全部、聞こえるんだから』
『最低』
『なんだよそれ。聞こえるんだから、仕方ないじゃん。てか、手繋いでるとめっちゃ、長い話も聞こえるな』
『だよね。だけど、盗み聞きしないでよ。恥ずかしいから』
 私がそう言い終わると、侑里太は「無理だって」とまた独り言を言った。

『なあ。――大人になってもさ、また同じことできたらいいよな』
『――まだ、早いよ』
 私は繋いでいた手を離した。これが告白じゃないよね。――間接的すぎるよ。 
 また、私たちは心の声でも雑談もせずに、五稜郭城跡までつながっている橋を渡り、五稜郭の中心まで来た。別にお城があるわけじゃなく、資料館になっている古くて小さな建物がある以外は芝と桜の木々が植えられている大きな公園だ。

「なあ」と言われたから、侑里太の方を見ると、またすぐに侑里太に手を繋がれた。

『五稜郭の中心ってどこだろうな』
『この古い建物の奥かな』
『あの、奥にある小高くなってるところ行こうぜ』
 侑里太は右手で指を差した。小高くなっている場所は芝に覆われていて、側面は石垣が積まれていた。きっと、お城だったときに何かの役割があった場所なのかもしれない。そして、急に侑里太が走り始めたから、私も引っ張れるような状態で、慌てて走り始めた。

「ちょっと、急だよ」
『勢いつけて登ったほうが楽しいだろ』
 前を走る侑里太がちらっと私を見てきた。そして、なぜか楽しそうな表情をしていた。いや、だから急だって。小高くなっているところに差し掛かった。遠目で見るよりも坂は急で、最初の何歩かは走った勢いで登ったけど、登り切る最後のほうは歩くくらいの早さに戻っていた。
 坂を登りきると私達が渡ってきた反対側にある橋が見えた。そして、左右には芝と木々が広がっていた。 

「なあ」
「――なに?」
「好きだよ」 
 しっかりとしたその声が嬉しくて、急に胸がときめく感覚がした。世界の色が急に変わったような気がしたけど、よく目をこらして見ても、いつもと変わらない見慣れてた景色だった。だけど、侑里太が穏やかに微笑んでいるから、これから、心の声じゃなくても、侑里太と上手く話せるような気がしたし、このまま、侑里太と心の声で話すだけでもいいやとも思った。

 こうして、私と侑里太は五稜郭の中心で愛を誓った。