6月の長雨と彼の失踪は、しばらくの間僕を起き上がれない程に打ちのめした。
かくしポケットから魔術のように出してみせた古い文庫本。世界の絶望を凝縮したような黒い珈琲。
優しくたおやかで、そして美しい微笑み。
最後に残した言葉 -

東京では人間ひとり消えるのはそう難しいことではない。
しかし僕は彼を探した。正確には、彼の痕跡を。真夏の太陽の熱さに浮かされるように。
もし、
男が女の中に植えつけるのが新しく生まれ来る人間の種だとしたら。
彼が僕の中に植えつけたのは、初めての男に対する執着だった。
僅かに2か月程の逢瀬と数える程のくちづけけよりもただひとつ。
- 愛してる。
噛み締めるように二度繰り返したその言葉と、
僕の身体に身体を重ねたその焼けつくような熱さと、
心の中にざっくりと残した刀傷のような深い傷は、
彼の痕跡探しの中で、ただ、執着に変わっていった。
- とかくに人の世は住みにくい。

男の故郷は東北のある小さな農村だと突き止めた。
僕は新幹線に乗り、地方都市の駅で降りた。
そして、海のある都市へと向かうバスに乗る。
地方独特の都市と田舎の雰囲気が混じり合った不慣れな場所を抜けると、急に山道が現れた。
夏の明るい光が急に落ち着いた色になり。青々とした山が疲れた目に優しかった。
バスはどこにも停らず山道を上って行き、窓を開けたら少し緑が香った。

『草枕』の舞台もこんな山の中ではなかったか。

しばらく峠を走り、また街中に出た。
そこで、
僕は、目を剥いた。

あれは、
全て同じ方向を向き飛び立つもの。
あれは白木蓮。白色の整列。
コンパス・ツリー。

違う。
今は夏だ。大学の白木蓮はとうの昔に散った。
あれは、
清冽に飛び立つ。あれは鳩の群れ。あれは、

レース鳩だ - !!