私の夫は崖の下

 息子の癇癪は、彼が成長するにつれだんだんと手に負えなくなっていった。

「ユウタ、やめてユウタ!」
「ぎゃああああああ!!! い゛ぎぃいいいいい!!!!!」
「痛い! 痛い!!!」

 殴る、蹴る。叩く、私の髪を引っ張って、叫んで、叫んで、叫んで。





「ごめんなさい。お願いだから、もう出て行ってほしい」
 父が息子に殴られて骨折した日、母が私に対して向けた眼差しは、到底娘に向けるそれではなかった。

 そして、思ったんだ。ああ、貴女も女なのね。自分の子よりも、(おとこ)を選んだのだと。少し、失望した。





 私は、生活保護を受けることになった。車と集めたバッグや化粧品のコレクションすべてを手放し、実家の広いマイホームから狭くて小汚い母子寮へと移った。

 若かった頃にあれだけずっと辞めたかった仕事は、しなくてもいいとなったら地獄だった。

 仕事をしていないこと、それはすなわち息子と二十四時間向き合わなければならないということで。

 癇癪を起こす息子に毎日殴られ、外を出歩けば白い目で見られ、そしてふと駅にある鏡を見れば、小汚いおばさんと、それに手を引かれる涎を垂らした不細工なガキの姿が映るのだ。

 その横を、女子高生たちが楽しそうに通り過ぎた。一瞬、私たち親子を妖怪か何かを見るような目で見て。




 私たちは、駅のエレベーターの壁に張り付いたガムだ。誰もが、私たちのことを存在しないふりをする。そして運悪く視界に入れてしまったら、みな顔をしかめて通り過ぎるのだ。