◇2024年3月15日

 ついに、ついに完成した。念願のマイホームが。

 今朝、鍵を受け取った時の感動は、一生忘れることはないだろう。手のひらに収まる小さな金属の塊が、これほど重く、これほど輝いて見えるものなのか。隣で見ていた佐恵子の目にも、光るものが浮かんでいた。

 我が家は4LDK、延床面積110平方メートルの二階建てである。玄関を開けると正面に階段、左手にリビングダイニング、右手に和室六畳間がある。キッチンはリビングと一体型のオープンタイプで、これは佐恵子が強く希望していた仕様だ。洗面所と浴室は一階の奥に配置され、トイレは一階二階それぞれに設置されている。

 二階には主寝室となる八畳の洋室、翔太と綾香それぞれの六畳の子供部屋、そして四畳半の書斎がある。書斎は本来なら三番目の子供部屋として設計されていたが、当面は私の仕事部屋として使用する予定だ。

 外観は白を基調とした清潔感のあるデザインで、小さいながらも前庭には佐恵子が花壇にしたいと言っていたスペースを確保してある。駐車場は一台分だが、我が家には十分な広さだ。

 住宅ローンは35年、月々の返済額は12万円。正直なところ、私の給料を考えると決して楽ではない。しかし、家族の幸せのためなら、この程度の負担は当然のことだろう。佐恵子も私の決断を支持してくれている。

 翔太は、これが本当に自分たちの家なのかと何度も尋ねてきた。今まで賃貸アパートの狭い部屋で過ごしてきた息子にとって、この広さは信じられないのだろう。綾香は新しいリビングを、ただ嬉しそうに走り回っている。

 夕方、家族四人でリビングの床に座り、これからの生活について語り合った。ようやく本当の家族の時間が始まるといった佐恵子の満足そうな表情を見て、この家で私たちは真の幸福を築いていくのだと、私は改めて心に誓った。

◇2024年3月18日

 引っ越し作業がほぼ完了した。三日間かけて荷物を運び込み、ようやく生活らしい生活ができるようになった。

 近所の方々がお祝いの品を持って挨拶に来てくださった。右隣の田中さんご夫妻は退職されたばかりの温厚そうな方で、何か困ったことがあればいつでも声をかけてほしい、と親切な言葉をいただいた。左隣は同世代の高野さんご一家で、小学生のお子さんが二人いらっしゃる。翔太と綾香の良い遊び相手になりそうだ。

 佐恵子が特に感激していたのは、向かいの家の奥様が手作りの引っ越し蕎麦を持参してくださったことだった。新しい土地での新しい出発だから、という温かい言葉と共にいただいた蕎麦は、疲労で冷えた身体に優しく染み渡った。

 子供たちも新しい環境に興奮している。翔太は自分専用の部屋ができたことが嬉しくて仕方がないようで、何度もドアを開け閉めして確認している。綾香は階段の上り下りが楽しいらしく、一日中パタパタと音を立てて駆け回っている。

 佐恵子は新しいキッチンでの調理に夢中になっている。ガスコンロが三口もあるなんて贅沢だと、その使い心地を絶賛していた。確かに、今まで住んでいたアパートの小さな台所とは比べ物にならない。

 私自身も、書斎という自分だけの空間を持てることに深い満足を感じている。仕事を持ち帰った時や、読書をしたい時に籠ることのできる場所があるというのは、男性にとって特別な意味がある。

 この家で過ごす最初の夜、私は一階のリビングから二階まで、すべての部屋をゆっくりと回って歩いた。電気を点けて、消して、また点けて。私たちの城の隅々まで確認したかった。

 間違いない。ここが私たちの本当の住処なのだ。

◇2024年3月22日

 新生活四日目。だいぶ生活のリズムが整ってきた。

 朝は六時半に起床し、一階のダイニングテーブルでコーヒーを飲むのが日課になった。大きな窓から朝日が差し込み、小さな前庭の土が輝いて見える。佐恵子はまだ花の種を植えていないが、暖かくなったらパンジーを植えたいと楽しそうに話している。

 子供たちも新しい小学校と幼稚園に無事に慣れたようだ。翔太は新しい学校で友達ができたと報告してくれた。綾香は幼稚園から帰ると、新しいお家で遊ぶのが楽しいと言いながら、リビングで人形遊びに興じている。

 通勤時間は以前より15分ほど長くなったが、許容範囲内だ。むしろ、朝の通勤電車の中で「今日も我が家に帰れる」という実感を噛み締める時間が増えたと考えるべきだろう。

 佐恵子は家事の効率が格段に向上したと喜んでいる。洗濯機置き場が独立していることで干すスペースも十分確保でき、アイロンがけも余裕を持ってできるという。こんなに家事が楽になるとは思わなかった、というのが彼女の感想だ。

 夕食後、家族四人でリビングのソファに座ってテレビを見る時間が至福のひとときだ。翔太は私の膝の上で、綾香は佐恵子の隣で、それぞれ好きな番組を楽しんでいる。

 このささやかだが確実な幸福感。これこそが私が求めていたものだった。住宅ローンの返済は確かに重荷だが、この幸福のためなら喜んで背負うべき責任だ。

 明日からも、この新しい生活を大切に育てていこう。

◇2024年3月25日

 新生活も十日が経過し、すっかり慣れてきた。

 今朝は特に気持ちの良い朝だった。ダイニングで飲むコーヒーの味も格別で、大きな窓から見える景色に心が洗われる思いがした。佐恵子はこの家に住んでから、毎朝が気持ち良くて早起きが苦にならないと言っている。

 翔太と綾香も新しい環境にすっかり順応している。翔太は学校で新しい友達と仲良くなり、今度家に遊びに来たいと言っているそうだ。我が家も他の子供たちを招待できる広さがあるのは嬉しいことだ。

 綾香は幼稚園での出来事を毎日熱心に話してくれる。先生に新しいお家の話を聞かせてほしいと言われたと、嬉しそうに報告する姿は微笑ましい。

 佐恵子の家事への取り組み方も明らかに変わった。アパート時代は狭いキッチンでの調理に制約を感じていたようだが、今では料理を作るのが楽しいと言って様々なメニューに挑戦している。昨夜の夕食は手の込んだハンバーグで、家族全員が大満足だった。

 私自身も、書斎での時間を有効活用できている。仕事の資料整理や読書に集中できる環境があることで、生活全体の質が向上した気がする。

 近隣の方々との関係も良好だ。朝のゴミ出しの際に田中さんとお会いすることが多いが、いつも気さくに声をかけてくださる。お子さんたちも元気そうで何より、という言葉に、地域に受け入れられている実感を持つことができる。

 この調子で、私たちの新しい生活は順調に進んでいくだろう。家族の絆も日に日に深まっているのを感じる。本当に良い買い物をしたと、改めて確信している。

 住宅ローンなど、この幸福の前では些細な問題に過ぎない。

【わかば町報 2024年3月20日号】

 かねてより開発が進められてきた当町の新しい顔、『サンシャインヒルズ若葉台』の全30区画の住宅がついに完成し、この春から若いご家族の入居が始まりました。子どもたちの元気な声が聞こえ始め、町に新たな活気が生まれることが期待されています。

 この住宅地は、特に子育て世代が暮らしやすいように設計されています。開発を手掛けた会社の担当者は、「公園や通学路の安全対策を第一に考え、ご家族が安心して住める街づくりを目指しました」と笑顔で語ってくれました。

 最寄り駅からはバス便となりますが、手頃な価格帯ということもあり、すでに28区画で新しい生活が始まっています。近年、人口の減少が課題となっていた当町にとって、今回の若い世代の流入は大変喜ばしいニュースです。

 町役場の担当者は、「新しい住民の皆さんと一緒に、地域の夏祭りや運動会などの行事を通じて、さらに魅力あふれる町にしていきたいです。町全体で温かくお迎えします」と期待を寄せています。残る2区画についても契約が進んでいるとのことで、この春には新しい30家族の笑顔が若葉台に揃いそうです。

◇2024年4月2日

 春休みに入り、翔太と綾香が一日中家にいる時間が増えた。子供たちにとって、この広い家は格好の遊び場になっているようだ。

 今朝、翔太が興奮した様子で私のところへ駆け寄ってきた。すごい発見をした、三つ目の子供部屋を見つけたのだと言う。私は、子供部屋は二つしかないこと、きっと書斎のことだろうと笑って返したが、翔太は頑として首を横に振る。パパの書斎ではなく、もっと奥にある、自分と綾香だけの秘密の部屋なのだと力説する。

 子供の想像力は豊かで素晴らしい。きっと収納スペースか何かを子供部屋と思い込んでいるのだろう。そう考えて、その素晴らしい発見を褒めてやった。秘密の部屋ならパパにも教えてくれるかと尋ねると、翔太は得意そうに胸を張り、今度案内してあげると約束してくれた。

 佐恵子も翔太の話を聞いて微笑んでいる。子供は本当に想像の世界で遊ぶのが上手だと、綾香の髪を優しく梳きながら感心していた。

 午後、私は改めて家の間取りを確認してみた。一階にリビングダイニング、キッチン、和室、洗面所、浴室、トイレ。二階に主寝室、翔太の部屋、綾香の部屋、書斎、トイレ。確かに子供部屋は二つだけだ。

 翔太が言う『三つ目の子供部屋』とは、おそらく二階の収納スペースか、階段下の物置のことなのだろう。子供には立派な部屋に見えるのかもしれない。

 夕食時、綾香もその話に加わってきた。お兄ちゃんが見つけたお部屋を知っている、とても広くてお人形さんがいっぱい置けると話している。佐恵子と私は顔を見合わせて笑った。子供たち二人で作り上げた共同の空想なのだろう。こういう創造力こそ、子供の特権だ。

◇2024年4月5日

 新生活が始まって三週間。おおむね順調だが、いくつか気になることもある。

 まず、住宅ローンの家計への影響が思っていたより大きい。月々12万円の返済は計画通りだが、引っ越し費用や新居での生活用品購入などで、予想以上の出費が続いている。佐恵子も家計のやりくりに頭を悩ませているようだ。それでも、こんな素敵な家に住めるなら少しの節約は我慢できると、彼女は健気に言ってくれる。私としては彼女に負担をかけているのが心苦しい。

 昨日の夜、佐恵子が不思議なことを口にした。廊下の奥に茶室があるのを知っているかと尋ねるのだ。我が家に茶室などないはずだと答えると、彼女は首を傾げ、今日掃除をしていた時に確かに茶室らしい部屋を見たような気がする、と言葉を続けた。

 疲れているのかもしれない。新しい環境での家事は、思っている以上に神経を使うものだ。佐恵子なりにストレスを感じているのだろう。一階にある六畳間の和室のことではないかと優しく説明すると、彼女は「ああ、そうね」と納得したような表情を見せたが、どこか釈然としない様子だった。

 子供たちは相変わらず『秘密の部屋』の話をしている。今朝も翔太が、昨日は秘密の部屋で宿題をしたと報告してきた。実際は自分の部屋で勉強していたのを見ていたのだが、子供の空想に水を差すのも可愛そうだ。

 新しい環境への適応期間なのだろう。家族それぞれが、自分なりのやり方でこの家に慣れようとしているのだと思う。

◇2024年4月10日

 佐恵子の様子が少し心配だ。

 昨夜、私が書斎で仕事をしていると、佐恵子がドアを開けて顔を覗かせ、廊下の奥の茶室の掃除をどうしようかと尋ねてきた。また茶室の話だった。我が家に茶室はないこと、きっと疲れているのだろうと優しく伝えたが、彼女は困ったような表情を浮かべた。確かにある、畳が敷いてあって床の間もある立派な茶室なのだと言う。

 私は佐恵子の手を取って一緒に二階の廊下を歩いてみた。主寝室、翔太の部屋、綾香の部屋、書斎、そしてトイレ。確かにこれだけしかない。茶室などないだろうと諭すと、佐恵子はおかしいわね、と首を振るばかりだった。

 新しい環境でのストレスが原因かもしれない。アパート暮らしから一戸建てへの変化は、想像以上に大きな負担なのだろう。佐恵子なりに一生懸命家事をこなそうとして、無理をしているのかもしれない。

 今日は私が夕食の準備を手伝うことにした。佐恵子にはゆっくり休んでもらいたい。

 翔太も相変わらず『三つ目の子供部屋』の話をしている。今朝は、秘密の部屋にはパパの本よりもたくさんの本があると話していた。綾香も、お人形さんのお家を秘密のお部屋に作ったのだと嬉しそうに報告してくれる。

 子供たちの想像力は微笑ましいが、佐恵子の茶室の話は少し気になる。明日、かかりつけの医者に相談してみようか。新しい環境への適応に時間がかかる人もいると聞いたことがある。

 家族の健康と幸福が何より大切だ。この素晴らしい家で、みんなが心から安らげるようになるまで、私がしっかりとサポートしていこう。

◇2024年4月15日

 今日、翔太の担任の先生から電話があった。大した内容ではなかったが、ふとしたことでこの家の話題となった。どうやら、翔太君が学校で『うちには10個も部屋がある』と話していて、お友達がとても驚いているとのこと。実際のところどういう間取りなのかと尋ねられた。

 私は苦笑いしながら、実際は4LDKだが子供には大きな家に感じられるのだろう、想像力が豊かで、と説明した。先生も、子供らしくて微笑ましい、新しいお家を楽しんでいる証拠ですね、と笑ってくれていた。

 確かに翔太にとって、今まで住んでいたアパートの3DKと比較すれば、この家は宮殿のように感じられるのだろう。リビング、ダイニング、キッチンを別々に数えれば、一階だけで複数の部屋に感じられるのかもしれない。

 帰宅後、翔太に学校での話を聞いてみた。彼は得意そうに、部屋は本当にたくさんあると主張した。自分の部屋、綾香の部屋、パパとママの部屋、リビング、ダイニング、キッチン、お風呂の部屋、それに秘密の部屋も三つあるのだと言う。

 階段下の収納スペースも部屋として数えているらしい。子供の発想は本当に自由だ。

 佐恵子もその話を聞いて、子供は本当に素直に感じたことを表現するのね、と笑っている。最近の彼女は以前より明るくなった気がする。茶室の話もしなくなったし、新しい環境に慣れてきたのだろう。やはり一時的なストレスだったのだと思う。

 夕食後、家族四人でリビングでテレビを見ながら過ごす時間は、やはり至福のひとときだ。この家が本当に好きだという翔太の言葉に、住宅ローンの苦労も報われる思いがした。

 子供たちの笑顔こそが、この家の最大の価値なのだ。

◇2024年4月22日

 家計の状況が思ったより厳しい。

 今月の家計簿を佐恵子と一緒に確認したところ、支出が収入を上回っていることが判明した。住宅ローンの返済12万円に加え、固定資産税の積み立て、火災保険、新居で必要になった家具や家電の分割払いなどが重なっている。

 さらに、私の会社で残業規制が厳しくなり、残業代が大幅に減少した。今まで当てにしていた月3万円程度の残業代が、1万円程度になってしまった。これは計画外の大きな痛手だ。

 佐恵子に現状を説明すると、彼女は落ち着いて答えてくれた。大丈夫、この素敵な家があれば幸せになれるから、少しくらい節約すれば何とかなる、と。

 彼女の前向きさに救われる思いだが、同時に申し訳なさも感じる。佐恵子は最近、スーパーの特売日を狙って買い物に行ったり、電気代節約のために早めに電気を消したりと、細かな節約を始めている。外食も控えようという彼女の提案に、私も同意した。確かに家で食べる食事の方が経済的だし、家族の時間も増える。

 翔太と綾香には経済的な不安を悟られないよう気をつけているが、翔太は察するものがあるようだ。お小遣いはもらわなくても大丈夫だと言ってくれた時は、胸が熱くなった。

 佐恵子がまた、部屋の配置について変わったことを言うようになった。お客様用の茶室の位置を変えようかと提案してきたのだ。茶室の話はもう終わったと思っていたが、まだ気にかかっているらしい。我が家には茶室はないと優しく説明すると、彼女はそうでしたっけ、と不思議そうな顔をした。

 経済的なストレスが彼女の精神状態に影響を与えているのかもしれない。私がもっとしっかりしなければ。

 この家は私たちの城だ。少々の経済的困難があっても、家族が一致団結すれば乗り越えられるはずだ。

◇2024年5月1日

 ゴールデンウィークが始まったが、今年はどこにも出かける予定がない。

 本来なら家族旅行でも計画したいところだが、家計の状況を考えると到底無理だ。佐恵子に相談したところ、意外にも彼女は積極的に同意してくれた。外に出かけるより、家の中を探検する方がずっと楽しい、この家にはまだ私たちが知らない素敵な場所がたくさんあるのだ、と彼女は言う。

 確かに、翔太と綾香は家の中で十分楽しそうに過ごしている。昨日も二人で『秘密の部屋巡り』という遊びをしていた。翔太が案内役になって、綾香を家中の様々な場所に連れて回るのだ。「ここが第一の秘密基地」「こっちが第二の隠れ家」といった具合に、収納スペースや階段下の空間を次々と『発見』している。子供の想像力は素晴らしい。

 私も久しぶりにゆっくりと家の中を見回してみた。確かに住み始めて一ヶ月半が経つが、まだ十分に活用できていない空間がある。二階の廊下の突き当たりにある収納スペースなどは、工夫次第で小さな書庫として使えるかもしれない。

 佐恵子は、お客様をお迎えする準備も少しずつ始めようと言って、家中の掃除に励んでいる。せっかく立派な茶室があるのだから、お茶会でもしたいという彼女の言葉に、私は少し困惑した。その茶室というのは一階の和室のことかと確認すると、彼女は首を振った。もっと奥にある本格的な茶室で、床の間も水屋も付いているのだと話す。

 私は改めて家中を歩いてみたが、そのような部屋は見当たらない。佐恵子の勘違いか、あるいは理想の茶室を心の中で思い描いているのかもしれない。

 経済的なストレスが家族に与える影響を軽く見すぎていたようだ。佐恵子なりに現実から目をそらしているのかもしれない。しかし、それで心の平安を保てるなら、無理に否定する必要もないだろう。

 夕食後、家族四人でリビングに集まり、「家の中の好きな場所」について話し合った。翔太は秘密の部屋の中でも一番奥の広い部屋、綾香はお人形さんと一緒にいられる特別な場所と答えた。佐恵子はやはり茶室が一番落ち着くと話し、私は書斎を挙げた。それぞれが、それぞれの理想の空間を心に描いているのだろう。

 お金をかけなくても、家族で過ごす時間は十分に豊かだ。

◇2024年5月8日

 会社での居心地が悪くなってきている。

 同僚の田村さんから、最近様子がおかしい、何か悩みでもあるのかと声をかけられた。確かに最近、仕事に集中できないことが多い。会議中でも家のことばかり考えてしまう。

 住宅ローンの返済と家計のやりくりが頭から離れないのだ。毎月12万円という金額の重さを、実際に支払いが始まってから実感している。残業代の減少も痛手で、このままでは家計が持たない。

 しかし、不思議なことに家に帰ると心が落ち着く。玄関のドアを開けて「ただいま」と言った瞬間、すべての不安が消えるような感覚がある。

 佐恵子は相変わらず明るい。おかえりなさい、と私を出迎えると、今日は新しいお部屋を整理したのだと報告してくれた。二階の廊下の奥にある小さな部屋で、今まで気づかなかったけれど、とても使い勝手が良いのだと言う。

 私も一緒に二階に上がってみたが、そこは単なる収納スペースだった。しかし佐恵子には立派な部屋に見えているらしい。ここに小さな机を置けば綾香の勉強部屋にもなりそうだと楽しそうに話している。

 佐恵子が幸せそうなら、それで良いではないか。現実の厳しさに押し潰されるよりも、希望を持って生活できる方がずっと健全だ。

 翔太も、今日は秘密の部屋で宿題をしたと報告してくれた。実際は自分の部屋で勉強していたのを私は知っているが、翔太なりに想像の世界で勉強を楽しいものにしているのだろう。綾香は、ママと一緒に新しいお部屋の掃除をしたのだと嬉しそうに話してくれた。

 家族が一緒にいれば大丈夫、という佐恵子の言葉通り、お互いの存在で心の支えを得ている。外の世界がどれだけ厳しくても、この家の中では私たちは安全だ。

 明日からも、この家族の絆を大切にしていこう。