改めまして、壱河です。
自分が大学一年生のときのレポートとはいえ、言葉の選びかたとか一番気になりますね。
もっといい言い回しがあるのにとか、レポートにふさわしい言葉遣いができていない点とか。参考文献が少ないとか。まあ、これで単位取れているので、先生的にもオッケーだったんでしょう。
それにしても、講義中に「クシコス・ポスト」流す当時の自分の思い切りの良さ。静かな講義中に運動会で聞くような音楽流されたら、誰だって困惑しますよ。
自分としては楽しかったんですけどね、「この曲聞けば誰でも楽しくて笑っちゃうだろう、誰も不幸にしないな!」、という浅はかさがいけませんね。人に迷惑をかけてまでやる実験じゃなかったです。この場を借りてお詫びします。
さて、この手のレポートでやっぱり必要だと考えられるのが、大学が作った「授業評価・感想票」と、それを元に壱河が作った「クシコス・ポストver.」の資料ですね。
ところが、レポートにはそれがありません。試験期間でしたし、余裕がなかったんでしょうね。なので、壱河が余分に持っていた正規のやつと、残っていた自作素材をここに載せます。
(↓ 正規の「授業評価・感想票」。大学名等はモザイクをかけています)

現在もこの形式を使っているかはちょっとわかりません。コロナ禍を経て完全デジタル化されているか、紙とデジタルの併用で、この感想票を書いているかもしれませんね。小さい紙ですけど、講義の後に毎回書くの、結構大変だった思い出があります。
で、こちらが「授業評価・感想票(クシコス・ポストver.)」です。なるべく本家の感想票に寄せたかったんだ、ということが当時の自分の努力から垣間見えます。
(↓ 「授業評価・感想票(クシコス・ポストver.)。フォントや色にこだわりが見える)

それで、今回この「運動会の『あの曲』を講義中に流したら授業評価は変わるのか」を何故取り上げたのかと言いますと、皆さん、お気づきでしたでしょうか。
レポート内でこの感想票、毎回講義ごとに書いてもらって考察していますけど、感想票の回収率、百パーセントなんですよね。
受講者二十四名中、二十四枚回収。受講者十八名中、十八枚回収。受講者二十二名中、二十二枚回収。受講者二十五名中、二十五枚回収。欠席者がいなかったから当然なんですけど、これ、おかしいです。
壱河、自分で作った「クシコス・ポストver.」の感想票に回答していません。
つまり、二十四名の受講者がいたら、回収した感想票は、壱河を抜いた「二十三名分の感想票」が手元に残るはずなんですよね。ところが、基礎ゼミでも文学ゼミでも日本文学演習でも欧米文学演習でも、受講人数と回答枚数が同じなんですよ。
じゃあ、その一人は誰なんだって話なんですね。
この「クシコス・ポストver.」の感想票は、多いに越したことはないと、余裕をもって印刷、裁断して大量生産していました。それを授業が終わるころに、本家の感想票と併せて一枚ずつ学生に手渡していたはずです。
ですので、誰かに二枚渡って、その人がもう一枚書いたとは考えづらいです。四つの講義でですからね。何事にも鈍感な壱河ですが、毎回配る枚数を間違えることも考えにくいでしょう。
そこでもう一つ気になることがあります。これは読まれた皆さんの中にも、引っ掛かりを覚えた人がいるのではないでしょうか。四つの講義で毎回同じ感想を書いている人がいます。
「基礎演習ゼミ(04)」
・急に変な音流さないで下さい。
「文学ゼミ Ⅰ(02)」
・急に変な音流さないで下さい。
「日本文学演習(10)」
・急に変な音流さないで下さい。
「欧米文学演習(07)」
・急に変な音流さないで下さい。
これですね。実は壱河、この「クシコス・ポストver.」の感想票、一部ですが書いてもらったものを残してありまして。本当に当時、これに気が付かなかった理由がわからないんですが……。
この四枚同じ感想を書いている人のものも、保存していました。残してあるということは、やはり多少違和感を覚えていたのかもしれません。
本来ならば、個人情報に繋がる手書きの文字をネット上に公開することはしません。なので、保存していた他の学生の感想票をここに載せることはしません。
ですが、この感想票だけは、「あの場にいた誰のものでもない」と壱河は考えています。ですので、四枚とも公開することにしました。
(↓ 「クシコス・ポストver.」の感想票。学籍番号はあるが、氏名は空白)

学籍番号と氏名は任意記入だったので、氏名がないのは不自然ではありません。筆跡は、なんというんでしょうか。まあ、壱河も人のこと言えないんですが、字が上手ではないですね。それこそ小学生っぽいといいますか。見た限り、四枚は同じ人物が書いたと思われます。
指摘すべき点を、まず一つ。
学籍番号がおかしい。
学籍番号は大学によってかなりつけ方違うようなんですが、壱河の大学では冒頭に入学年、学部ごとのアルファベット、そして専攻コースごとの苗字五十音順による番号でした。例えば、「2025年入学、論文学部、論文学科」だとしたら、「025R012」みたいな感じです。
感想票の学籍番号は「308S241」と読み取れますが、「308」はどう見ても入学年でもないですし、「S」が割り振られた学部もありませんでした。「241」の番号はいてもおかしくはないですが、その前までが不自然なので、総合的に「この学籍番号は存在しない」と結論付けてもいいと思います。
そして、このゼミや演習の授業、結構数があるんですよ。(04)とか(02)とかあるように、同じ「日本文学演習」の講義でも、授業内容や先生はまるで異なります。
例えば「日本文学演習(01)、鈴木先生」と、「日本文学演習(02)、佐藤先生」という授業があったとしたら、鈴木先生は「竹取物語」を扱って、佐藤先生は「ライトノベル作品」を扱っている感じで、同じ日本文学でも講義内容はまったく違うんです。
何が言いたいかと言いますと、複数の同じ講義を履修する学生はいます。別々の講義で同じ人と会う、という状況ですね。けれど、四つの講義で完全に一致するとすれば、「友達同士で相談して履修を決めた講義」である可能性が高いんです。
で、壱河が履修していたのをまとめますと、「基礎演習ゼミ(04)」、「文学ゼミ Ⅰ(02)」、「日本文学演習(10)」、「欧米文学演習(07)」となります。
この四つの講義で壱河と履修講義が丸被りしていた学生がいたか、というと、一人しかいないんですよね。このかたとは割とよく同じ講義を履修していたんですけど、関係性は「顔も名前も一致しているが、挨拶程度しかしない」ものでした。ちなみに女性でして、イニシャルでTさんとしましょう。
「急に変な音流さないで下さい」の文章、壱河が見る限りでは、筆跡が全然違います。Tさんは女性的な丸みのある筆跡でした。Tさんが書いてくれた感想票も残してあるんですが、ちょっと掲載可否の連絡が取れないので、ここで筆跡を比較することはできません。
しかし、別人である可能性が高いのではないか、と壱河は考えています。一応AIにも聞いてみましたが、同じように「別人である可能性を否定できない、むしろ別人の可能性が高い」という感じでした。
さて、疑問をまとめましょう。
・「急に変な音流さないで下さい」の感想が、四つの講義すべてで回収されている。
・壱河と共通して四つの講義を履修していたのは、Tさんのみ。
・Tさんとは筆跡が異なるように見える。
・学籍番号は存在しないと考えられる。
これだけ見れば、Tさん以外にも、壱河と四つとも同じ講義を取っていた学生がいた、ということになります。つまり、壱河の思い違い、記憶違いですね。
学籍番号の件は、壱河の迷惑行為に対する誰かの嫌がらせやいたずら、ということになります。ただ次の情報を加えると、そうだと決めつけるのも憚れます。
・受講人数と同数の感想票が回収されている。
・壱河は感想票を記入していないため、本来ならば感想票は受講人数から一引いた数になる。
・感想票は、一人の学生につき一枚のみ配布している。
実は、四つすべての受講人数は、はっきりとわかっています。というのも、「基礎演習ゼミ」では普通に名簿が配られています。ほかの「文学ゼミ」や演習講義では、各学生が担当する作品や発表日の一覧表を先生からもらうんです。そこには学生名、作品名、発表日が書いてあるんですね。
つまり、全講義において、学生名と人数は間違えようがありません。自主退学などで減ることはあっても、増えることはそうそうありませんし、増えていたら新しくこの名簿が配られるでしょう。仮に履修者以外が紛れ込んでいたら、先生が気が付いていると思います。
当時の壱河が、この矛盾に気が付かなかった理由もわかりません。単にレポートや試験で多忙で、細かい部分に気が付かなかったのか。気づいていたが、気にしなかったのか。
実はもう一人いたというのが一番単純な答えですが、まあ、ないですね。壱河なりに当時の友人たち数人に聞きましたけど、そもそも講義中に「クシコス・ポスト」を壱河が流したことも忘れてる感じでしたので。
あとこれもまた、壱河的にはちょっとした疑問なんですが。
この「急に変な音流さないで下さい」という感想ですが、「音」と書いてあるの気にかかりませんか。普通、「クシコス・ポスト」が流れたら「曲」とか「音楽」、あるいは「運動会で聞くやつ」とか書くのではないかと。
曲名がわからなくても、「音」とか書かない気がするんですよね。これを書いた人には「変な音」に聞こえたのだとは思いますが。いずれにしろ、これ以上は調べようがありません。
ということで、この謎。
壱河には解けませんでした。
まさか、自分が大学時代に楽しんで書いていたレポートに、妙な点があるとは思いませんでした。皆さんも、振り返ってみたら「どういうことだ?」と疑問に思う自分が作った記録があるかもしれません。意外とその時は気づかないもののようですから。
むしろ楽しいとか面白いとか、そういうプラスの幸福な感情で記録されていると、不審な点を見逃しやすいのかもしれません。探してみて、もしそれがレポートや論文なら、ぜひ壱河に送ってください。皆さんで共有しましょう。
そして今回の「運動会の『あの曲』を講義中に流したら授業評価は変わるのか」の矛盾点や不審点について、もし「これはこういう意味では?」とかひらめいた方がいらっしゃいましたら、教えてください。
以上でご紹介を終わります。壱河でした。



