「匡さんと暮らしてから、私の生活はこれまでとは全く違うものになりました。ひとりだと広かったあの部屋でキッチンがちょっと狭いなって思うこととか、お風呂場になるべく水が滴らないように気を遣ったりとか、今日の晩御飯はなんだろうって考えながら仕事から帰ることが、こんなに温かい気持ちにさせてくれるんだって、初めて知ったんです」
伊都さんは、実家でも同じようなことはあったけどその時はそんな風に思えなかったとどこか寂しげに呟いた。
「でも、自分の生活の中で誰かのことを気に掛ける瞬間があることって、なんだか少し気持ちが落ち着かないしちょっと苦しいなとも思います。それでも、前より生活を送るのが楽しいって思いました」
向こう側から車が一台走ってきた。僕は伊都さんの右肩に触れて、道の端に寄る。その肩は、上着からでも華奢なのが分かる。
「匡さんはあの日、これからどうしたら良いかわからないって言ったけど……分からなくても、私はやっぱり匡さんにはこれからも生きていて欲しい。すごく勝手だけど、私もどうしたら良いのかわからないけど、匡さんが生きてくれているだけで、私は嬉しいんです。だから、匡さんがこの先どんな選択をしても、それが死んでしまうこと以外だったら、私は精一杯、匡さんを応援したい」
伊都さんは、まっすぐと僕を見上げた。あまりに澄んでいるその目に僕はどう映っているだろうと考えたら、目を逸らしたくなる。
今の伊都さんの全てが、僕にとって不意すぎた。僕を精一杯応援したいという伊都さん自身は、きっとまだ死にたいと生きたいの狭間にいる。そんな彼女が、こんな僕にあの時と同じように僕の背中を摩るような言葉を向けてくれるのが心強くて、切ない。
店で飲んだのが、ノンアルコールビールで良かった。アルコールで酔いが回っていたら、きっと今この瞬間、大人気なく声を上げて泣いたしまっていたかもしれない。
そう、思ったのに。
「……はは、うん、うん。ごめん、ちょっと、うん」
必死で耐えようとしたけれど、僕の意に反して目頭がかあっと熱くなる。僕はなんだかそれがとても恥ずかしくて、情けなくて、熱いままの目元を手で押さえて隠した。



