「ん、どうしたの?」

 「あ、すみません。 なんか、力が抜けた感じがして」

 そう言うと、伊都さんもグラフの半分くらいまで残っていたビールを一気に飲み干した。今度は僕がキョトンとしていると、伊都さんは、はぁと小さく息をつく。

 「私も本当は、匡さんみたいに勢いで思ったことを言いたかったんです。まどろっこしい言い方しないで、“すごく嫌だった”とか“腹が立った!”って、怒りたかった」

 伊都さんは、空になったグラスに視線を落とす。目尻のアイラインは、少し掠れている。

 「そうできなかったのは、多分、私は匡さんにそんな自分を見せたくなかったからなんだと思います。前に、姉が死んでしまったことに比べたら会社での嫌なことなんて大したことないって言った手前、愚痴を言ったら格好悪い気がして。でも、匡さんが言ってくれて、気持ちが楽になりました。……それに、そう。そんな嫌なことがあっても、美味しいご飯は美味しいんだなぁと思ったって、言いたくて」

 伊都さんはどこか照れてるみたいに控えめに笑った。その笑顔は、いつもよりも血色の良いのだろうと思う。

 「伊都さんは、格好悪くなんかないよ」

 ちゃんと、伊都さんに届くように真っ直ぐ前を向いて言う。本当は、格好悪くたって、なんだっていいのに。

 「伊都さんに自分の過去とか感情とか、格好悪いところも全部打ち明けた僕が言うのもなんだけど、僕の前くらい、仕事のことでもなんでも、怒ったりしてよ。泣いたりとか、ものすごくはしゃいだりとか。僕も一緒にそうするから」

 そう言ったら、伊都さんの表情がほんの一瞬だけ今にも泣き出しそうに見えた。けれど、伊都さんはすぐに笑って「2人で怒ったりはしゃいだりしてるところ想像したら、面白いですね」と笑った。その笑顔は、これまで見た中でも力が抜けていて自然なもので、それだけで伊都さんをここに連れてきて良かったと思わせた。

 「でも、うん。わかりました。私も、人に言えなかったこと匡さんに全部話しちゃったから、格好悪いとか気にするのは、今更でした」

 「そうだよそうだよ。この流れでさ、伊都さんの話、色々聞かせてよ」

 「今度は、匡さんの番ですよ」

 「えぇっ、僕?」

 あ、いまが、チャンスだ。そう思って、普段の呼吸よりも僅かに多めに息を吸い込んだ時、「ハッピバースデートゥーユー!」と歌声が聞こえてきて、僕らや他の客が声の方に視線を向けると、そこには店員がスイーツプレートとパチパチと煌めく花火と共に4人家族の席のもとに立っていた。中学生くらいの少しふくよかな坊主の男の子が「わぁっ、なに?!」と戸惑いと嬉しさが混ざった声を上げる。どうやら、彼の誕生日と、部活の大会で優勝したお祝いをかねてのサプライズらしい。

 男の子が顔を真っ赤にしながら、ケーキに灯る蝋燭の火を吹きかけた。それと同時に他の客も、僕たちも拍手を送った。男の子も、その家族もみんな周囲に目を向けて嬉しそうな笑顔を向けながら会釈をする。

 「すごい、こういう場面に立ち会うの初めてです」

 「うん、僕も。 見てて、こっちまで嬉しい気持ちになるね」

 「はい。 今日は、特別な日ですね」

 伊都さんに目を向けると、優しい笑顔で、どこか眩しそうにして家族を見つめていた。その顔が穏やかで、満ちているように見えて、いま、僕が今日伝えたいことを伝えたら、伊都さんのこの笑顔が消えてしまうかのしれないという考えがよぎる。

 いまは、ただこの時間を楽しいものにした方がいい。伊都さんがこんな風に笑ってくれるならそれが何よりも優先だと思い、用意していた言葉を一旦仕舞い込んだ。

 料理は、他にもデザートに僕は杏仁豆腐、伊都さんもマンゴープリンを食べた。お腹がはち切れそうなくらいまで食べたのはいつぶりだろうと2人でまた笑って、店を後にした。

 「和巳さんのおすすめの店は、やっぱり美味しいですね」

 「うん。和巳さんに言ったら、きっと嬉しがってまた他のお店教えてくれるよ」