「お待たせいたしました〜。ノンアルビールとお通しで〜す」
間延びした店員の声をきっかけに、伊都さんは僕に注いでいた視線を店員に向ける。ノンアルコールの瓶ビールとグラス、冷やしトマトがそれぞれの目の前に置かれた。
「お通しあるの、嬉しいですね」
微笑んで言う伊都さんに、僕は微笑み返して頷く。お互いのグラスに注ぎ合いっこして、乾杯する。ビールは苦くて、ピリピリとした微炭酸の刺激が指先に感じられるくらいに全身に行き渡っていく。アルコールが入っていないから、身体の奥底がジンと焼けるような感覚はない。
明良と暮らしていた頃は、明良に付き合って週末は呑んでいた。その時も変わらずアルコールは弱かったけど、この微炭酸の刺激には慣れていてくすぐったいくらいだったのに、今は喉の粘膜に刺激をダイレクトに感じて、やっぱりあの頃からは随分時間が経っているのだと再確認する。
伊都さんを見ると、僕と同じように苦さと微炭酸の刺激をもろにくらっているみたいな渋い表情をしていた。今まで見たことないその顔に、僕は思わず「あはは」と声を上げて笑う。反対側の席でも、二人組の客がジャッキを突き合わせて「お疲れー」と声を重ねた。
「1週間、仕事お疲れさま」
他の客の言葉に釣られた、なんの気もなく言った言葉だった。けれど、僕がそう言うことが不意だったのか、伊都さんの視線がほんの一瞬揺れる。
「あ、ありがとうございます。匡さんも、お疲れさま」
伊都さんはいつものように笑ったけれど、それは何かを誤魔化すようで、伊都さんは「いただきます」と少し早口で言って冷やしトマトを口に運んだ。
「これ、すっごく美味しいです」
そう言って少し目を見開いて言う伊都さんの表情には、“何か”を感じなかった。ひとまず安堵して、僕もトマトを口に運ぶ。果肉はシャクッと歯触りが良くて、胡麻油と黒酢が効いた中に少しピリッとした辛さがある。伊都さんは気に入ったのか、もう一口食べている。
伊都さんが美味しいと言ったから、今度自分でも作ってみようか。黒酢は買わないと無いし、この辛さは何を使っているだろう。そう考えながら、ふと、自然と自分がそんなことを考えてしまっていることに気付く。
……僕は結局、変わっていないのかもしれない。明良と居た時も、明良が美味しいと言った料理を自分でも作れないかと考えていた。これはもう、そういう性格なのかもしれない。そう思おうとすれば、気持ちが少しは楽になるかもしれない。やっぱり、環境が変わっても、僕自身は急には変われない。
でも、まだ僕自身も自覚できてない変化が僕の中であるような気がする。まだ、言葉でははっきりと言い表せないくらいの、小さな変化。
そうこうしている内に、エビチリと餃子が運ばれてきた。思ったよりもエビチリが大きくて量も多くて、お互いに顔を見合わせて笑った。
伊都さんが徐に厨房の方を気にしたので、「どうしたの」と訊くと「あの男の人がひとりで作ってるのかなと思って」と言った。僕は背にある厨房を見ようと振り返ると、そこには黒いTシャツを来て頭にバンダナを巻いた男の人が忙しなく動いているのが見えた。
「ひとりっぽいね」
「すごい。ひとりでこれだけの量、一気に作れるものなんですね」
他愛もないその僕たちの声は、店内の他の客の声に馴染んで普段よりも会話がしやすかった。普段アパートにいるときはテレビを観ながら食事をして、食べ終えると伊都さんが食器洗いをしてくれるので、僕は先にシャワーを済ませる。その後すぐに寝てしまうから伊都さんと交わす言葉は限られていて変わり映えしなかった。
だから、今の状況は新鮮で、沈黙でいることが不自然な環境に合わせて僕は普段よりも言葉を口にした。伊都さんも、僕と感じるところは同じだったのか、エビチリも餃子もそれぞれ食べて落ち着いた頃「実は今日」と話し始めた。



