「お前一人を陥れるために、何年もかけて王都を守るだと? 数え切れない命を救うだと? どこまで自惚れているのだ!」

「で、でも……」

 王子の声は、もはや子供のようだった。

「父上だって知らなかったじゃないか! 誰も知らなかった! だから、だから俺は――」

「痴れ者がぁぁぁ!」

 王の叫びは、もはや人間のものとは思えなかった。

「すぐそばにいる婚約者の真価に気づかぬ! 毎日顔を合わせていながら、その献身を見抜けぬ! それでよくも次期国王などと!」

 王は天を仰いだ。そして、絞り出すような声で続けた。

「うわべしか見ず……華やかさにだけ目を奪われ……真の宝を、この国の守護天使を……」

 声が震える。

「ゴミのように! ゴミのように捨てたのだ!」

 老王の頬を、涙が伝った。それは怒りの涙であり、後悔の涙であり、そして絶望の涙だった。

「い、いや、でも父上! あいつは……あの陰気な女は……」

 王子はなおも醜い言い訳を続けようとする。

「もういい!」

 王は杖を振り上げた。

「出て行け! 今すぐこの場から消えろ!」

「く、くっ……」

 王子は拳を震わせ、歯を食いしばった。屈辱と怒りで顔を真っ赤に染めながら、周りの反応を見ながら反論の言葉を探す。

 だが――誰も助け舟を出さない。

 重臣たちは皆、冷たい目で王子を見つめていた。軽蔑と、失望と、そして怒りの眼差しで。

 くぅぅぅ……。

 完全に孤立した王子は、よろよろと扉へ向かった。

 そして――――。

 バァァァン!

 全身の怒りを込めて、扉を叩きつけるように閉める。その音は、まるで王国への呪詛のように、長く長く響き渡った。

 静寂が戻った執務室で、国王は深い、深いため息をつく。

「……育て方を、間違えた」

 つぶやきは、自らへの断罪だった。

 あの子をああしてしまったのは、他ならぬ自分だ。甘やかし、ちやほやして、本当に大切なものを教えなかった。

 結果がこれだ。

 しばしの沈黙の後、国王は顔を上げた。涙の跡が残る顔に、しかし決意が宿る。

「さて……」

 王としての威厳を取り戻し、重臣たちを見回した。

「シャーロット嬢は今どこにいる? 何としても、何としてでも戻ってもらわねばならん」

 だが――――。

 重臣たちは、まるで示し合わせたかのように視線を逸らした。

「どうした?」

 嫌な予感が、王の背筋を這い上がる。

「公爵家から、どこへ向かったかくらいは分かるだろう?」

 事務官の一人が、恐る恐る口を開いた。

「それが……陛下……」

 声が震えている。

「彼女を辺境まで送った御者は……すでに病で……」

「なに?」

「亡くなっております……」

 王の顔から、血の気が引いた。

「では……行き先は……」

「誰も……誰も知りません」

 ガクリと、王は椅子に崩れ落ちた。

「まさか……そんな……」

 震える手で、頭を抱える。

「待て! 薬の作り方は!? レシピくらいは公爵家に残っているだろう!」

 一縷の望みにすがるような声。

 だが、重臣たちの顔は青ざめるばかりだった。

「シャーロット嬢は……去り際に、薬のレシピを聖女様に託したと……」

「なら! なら聖女に聞けばよい! 今すぐ呼べ!」

 希望の光が、王の目に宿った。

 しかし――――。

「それが……その……」

 事務官たちは、言いたくないことを誰が伝えるのか、互いを見合う。

 そして、一人が震え声で告げた。

「教会側からは回答を控えさせてほしいと……。理由は分からないですが、もうない……のではないかと……」

「は……?」

 完全な、絶対的な静寂が執務室を支配した。

 希望が、音を立てて崩れ落ちる音が聞こえたような気がした。

「……そうか」

 王の声は、もはや亡霊のようだった。

 両手で顔を覆う。指の間から、老いた王の嗚咽が漏れた。

「我々は……何という……何という愚かなことを……」

 王冠が、ズシリと重い。

 かつては誇りだったそれが、今は呪いの鉄塊のように、王の頭蓋を押し潰していく。

「真の聖女を追放し……偽りの聖女を崇め……そして、最後の希望さえも……」

 窓の外で、弔いの鐘が鳴り始めた。

 ゴーン……ゴーン……ゴーン……。

 単調で、容赦なく、永遠に続くかのような鐘の音。

 それは、王都の死を告げる音にも、愚かな王家への裁きの音にも聞こえた。