『こんにちはー、乙葉でーす。
今日もライブ配信見てくれてる人、ありがとう!
今日はですねえ、今話題の呪いの画像を見てみたい!ということで。
あたし、ホラーとかオカルトとか最近興味があってですね、みなさん知ってますかあ?
見ると呪われる画像の都市伝説。
なんでも、その画像を見たひとはもれなく呪われて死んじゃうらしいですよー。
怖いですねえー!
じゃあ、早速スマホで検索してみたいと思います。
えーと、呪いの画像……と。
出ました!
これですね、ピンクの着物を着た女の子が寝てる……んん?
死んでるのかなあ、これは。
死体、ですかね、写っているのはそれだけ……。
なんか拍子抜けだなあ、あたしと同い年くらいの女の子が写ってるだけですよ。
なんでも、画像を見た者は5日後呪い殺される、とか。
果たして5日後、あたしは生きているのでしょうか?
ということで!
これから毎日配信して呪いの真偽を確かめてみたいと思います!
だから、5日間、お付き合いよろしく、また明日!』
『こんにちはー、乙葉でーす!
配信見てくれてありがとうー!
昨日、呪いの画像を見ましたが、なんともありません。
変なことは一切なし。
あたしに霊感がないから気づけないだけなのかなあ。
まあ、それ以外に報告はありません。
じゃあ、女子高生がいつもみたいにだらだら喋るだけの配信をお楽しみください。
久々にゲーム実況でもしようかなあ。
明日、なにか報告できることがあればいいなあ』
『こんにちはー、乙葉です。
なんかね、声が聞こえるの。
寝てると、低い女の人の声でね、なんて言ってるのかは聞き取れないんだけど、耳元でずっとささやいてくるの。
そのせいで今日は寝不足です。
今もね、聞こえるの、あたしの隣、誰もいないよねえ?
でも頭の中でずっと響いてる。
これって、怪奇現象なのかなあ?
あたし、ひょっとして呪われた?
あはは、まさかね。
今日は配信はこれで終わり。
早く寝ます、じゃあ、また明日ね、ばいばーい』
『こんにちは、乙葉です。
昨日から、ずっと聞こえてきたささやきがはっきりとわかるようになりました。
『返せ返せ』って、女の人が耳元でずっと言ってます。
もう頭が可怪しくなりそう。
それだけじゃないの。
家でも、学校でも、鏡に映るあたしの後ろに長い髪で顔を隠した着物の女の人が映るんだよ。
あの着物って、画像の女の子が着てた着物にそっくりで……。
『返せ』って言ってるのも、その子の気がする……。
なにを返せばいいのかな?
もしかして、あたし本当にあの画像の子に呪われちゃったのかな?
どうしよう、死にたくないよ。
あんな画像、見なきゃよかった……。
疲れたから配信はここまで。
また、ね』
『こんにちは、乙葉です。
夢を見ます。
殺される夢。
すごくリアルで、すごく痛いです。
逃げても逃げても追いかけられて、ざくっと胸を刺されて死ぬの。
怖くてたまらないのに、もう夢だけじゃ終わらなくて、起きてても頭の中で映像が再生されてる感じっていうのかな……。
とにかく、頭とか、意識とかを乗っ取られている感じ。
もうあたし、自分が誰なのかもよくわからない。
ねえ、あたしは誰なの?
誰になろうとしてるの?
カエセ、カエセ、シンゾウヲカエセ!ノロッテヤル、タタッテヤル!ニクイ、ニクイ!』
☆
『では、収録をはじめますね』
『……はい』
動画は、そんな若い男女の声からはじまった。
画面はがたがたと不安定に揺れ、やがてひとりの少女の姿を映す。
どこにでもあるようなカフェで、ソファに腰かけた少女は、どことなく緊張した表情だ。
『あまり緊張なさらずに、カメラのことは気にしなくて大丈夫ですよ。
これはあくまで僕の仕事の資料にするための録画ですから。
では、まずはお名前から聞かせていただけますか』
少女は青白い顔を強張らせながら小さくうなずく。
『漆原萌香といいます。
常緑高校2年生です』
『あ、まだ僕の名刺を差し上げていませんでしたね、失礼しました。
僕はこういう者です』
画面に、にゅっと腕が現れ、向かいに座る萌香のテーブルの上に名刺を置く。
『夏目緋梨さん、ですね』
確認するように、しげしげと名刺に目を落としながら萌香が呟く。
『まあ、名刺なんてあっても、僕から滲み出る胡散臭さは消せないと思いますけどね』
撮影者──夏目緋梨の声がけらけらと場違いに笑う。
対する萌香は愛想笑いのひとつも浮かべなかった。
こほん、とひとつ咳払いをしてから、夏目が真面目を装って話しはじめた。
『では、改めて、どうして僕に連絡を取ってきたのか、話してください』
『……あ、その前に、謝らせてください。
突然DMを送ってしまってすみませんでした。
まさか、直接会ってくださるとは思いませんでした』
『気にしなくていいですよ。
まあ、現代はSNSを通じて顔見知りではない人間と簡単に繋がれてしまう時代ですからね。
あ、今のちょっと、おじさんくさい発言だったかな。
僕ももう、25なんでね』
『そんな……夏目さんは充分若いじゃないですか。
見た目も格好いいし、女子高生にも人気ですよ。
夏目さんが出演するから心霊番組を観るって子もクラスにいます。
今、ホラーブームだし、夏目さんのファンも多いです』
『はは、それはありがたいけど。
たまに書類に職業を書くとき困ることがあるんだよ。
霊能者って、なんて職業に分類されるんだろうって。
そもそも、霊能者なんて仕事として認められているのかもわからないしね。
まあ、この仕事もいつまで続けていけるか……あ、ごめんね、つい愚痴になっちゃった、話、続けて』
夏目の軽薄な話に、にこりともせずに、萌香が小さくうなずく。
『あの、夏目さんは、その、本当に、いわゆる幽霊っていうのが視えるんですか?』
『まあ、それを職業にして飯食ってるわけだしね。
霊魂の存在を否定する人がいるのも理解できるけど、視えちゃうものは仕方ないよねえ。
視えないんだから信じない、っていう理屈で詐欺師扱いされても、無理はないな、とは思うよ』
『じゃあ、呪いはどうですか?』
『ん?呪い?』
『こんな都市伝説聞いたことありませんか?
見ただけで呪われる画像があるって』
『ああ、多分聞いたことくらいはあるよ。
よくある都市伝説だよね。
女子高生にはそういうの流行ってるの?』
『……流行ってるかはわかりませんが、私のクラスでは噂になって、よくその話をします』
『確か……呪いの画像を見たら5日後に死ぬ、だったかな』
『そうです。
それで、なんですけど……』
萌香が言い淀むので、夏目が助け舟を出した。
『もしかして、見ちゃった?』
こくり、と萌香がうなずく。
『最初に友人が見て、国見乙葉っていう子なんですけど、その、だんだん可怪しくなっていって、みんなで心配してたんですけど……昨日、常緑高校で起こった事件、ニュースで見ていませんか?』
『ああ、常緑高校……。
ネットで見たな。
生徒が刃物を振り回してクラスメイトを殺しちゃったんだっけ……』
『はい。
その生徒が乙葉なんです。
授業を受けていたら、突然暴れ出して、次々とクラスメイトを刺していって……。
みんな、慌てて教室から逃げ出したんですけど、10人が殺されました。
でも、それだけじゃなくて……。
殺された生徒から、心臓が抉り取られていたんです。
恐らくその心臓を持ったまま、乙葉は行方不明になりました』
『ふむ。
ネットではそこまで報じられていなかったな。
さすがにショッキングすぎると判断されたか』
『乙葉を見ていて、つい好奇心から、一昨日、呪いの画像を見てしまったんです』
うつむいた萌香の声が小さくなっていく。
『でも、昨日の事件があって、尋常ではない乙葉を見て、怖くなったんです。
私も、ああなってしまうのかって、とにかく怖くて。
呪いが本当にあるのだとしたら、私はもうすぐ死ぬんじゃないかって思うと、もう。
でも、誰に相談すればいいのかわからなくて、たまたま夏目さんが出演していたテレビ番組を観て、ダメ元で連絡させていただいたんです』
『……そうか。
それで僕に連絡を……。
呪い、ね。
検索してみよう』
『だ、駄目です!
見たら夏目さんまで呪われてしまいますよ!』
『大丈夫、僕はこういうの慣れているから。
怪異に取り込まれることはないよ。
……ふうん、これが呪いの画像、ね。
着物の女の子、以外に素性がわかりそうな情報はないな』
ですよね、と呟いてから萌香が落胆したように瞳を伏せる。
『まだ時間はある。
僕は着物の女の子の情報を集めるから、もう少しだけ待ってもらえないだろうか』
『わかりました……』
萌香は消え入りそうな声でそうとだけ言った。
『じゃあ、毎日必ず連絡を取ろう。
おかしな現象があったら逐一報告して』
『……はい』
映像はそこで途切れた。
☆
『女の子の声が聞こえます』
スマホの画面の向こうで青い顔をした萌香が言った。
『なんて言ってるのかわかる?』
『『返せ、返せ』と、それだけ、ずっと。
寝てても起きてても、ずっと聞こえるんです』
『国見乙葉さんと同じ、か』
『乙葉の配信、見たんですか?』
『ん?ああ、国見さんがどう変化していったのか調べる必要があると思ってね。
他にはどう?
おかしなことは?』
『おかしなことばかりです。
スマホに電話がかかってくるんですけど、『返せ返せ』って女の子の声でずっと言ってくるんです。
何度切ってもかかってくるので電源ごと落としたいんですけど、夏目さんと連絡を取るためには切れないし……。
あと、ずっと誰かいる気がします。
気配を感じるんです。
振り返っても誰もいないんですけど……』
『ふむ。
僕の方でも、あの画像の少女について調べているんだけどね』
『なにかわかりましたか?』
『まず画像の出どころを突き止める必要がある。
それから、あの少女の正体を調べる……。
漆原さんから話を聞いてから、ずっとそれを調べてるんだけど……ひとつ、気になる言葉を見つけてね』
『えっ、誰かわかったんですか?』
『いや、まだ断言できる状況ではない。
いたずらに希望を持たせた挙げ句、なにもわかりませんでした、じゃ、きみに申し訳が立たないから、今はまだ確証が持てるまで待ってほしい』
画面越しの萌香があからさまに落胆の表情になる。
『わかりました……。
こうなったのは、自業自得ですしね。
でも、もう私は夏目さんに頼るしかないんです。
もうあまり時間がない気がして……』
『うん、最善を尽くすことは約束するから、少しだけ、待っていてほしい』
『はい』
『じゃあ、仕事に戻るから、また明日、連絡する。
絶対に、顔を見せて』
『わかりました、では、また明日』
ブツッと通話は切れた。
☆
『今日は、学校を休みました』
画面の向こうの漆原萌香は紙のように白い顔色でそういった。
心なしかやつれていて、黒髪はぼさぼさのままで、非常に疲れ切った様子だった。
『どうしたの、なにかあった?』
夏目の声も緊張を孕んでいる。
『映像が頭から離れないんです』
『映像?どんな?』
『田舎の村みたいなところで、武器を持った男の人達に追いかけられるんです。
必死に逃げて、隠れるんですけど、追い詰められて、胸を刺されて死ぬんです。
その映像が、寝ていても起きていても、繰り返し頭の中に流れてくるんです。
何度やり直しても結末は同じで、私は殺されます。
心臓をくり抜かれて、すごく痛くて……』
『……心臓を、くり抜く……』
夏目は思案するように呟くと、押し黙った。
萌香が不安そうな顔で画面越しに夏目を見ている。
『もう、私どうにかなっちゃいそうで……。
何度も逃げて、殺されて、の映像が延々頭の中で再生されるんです。
やっぱり、呪われているんですよね、私。
これって、事件を起こす前の日に、乙葉が配信で言っていたことと同じですよね?
私も、乙葉のように正気を失って、人を殺すんでしょうか?』
『待って、落ち着いて、漆原さん。
今のきみの言葉を聞いて、呪いの正体に確信を持てた。
よく聞いて、明日、学校を休んである場所に一緒に行ってほしい』
『……え?
どこにですか?』
『羽生村という県の最北にある小さな集落だ』
『そこに行けば、この呪いが解けるんでしょうか?』
『うーん、保証はできないけど、このまま放置するよりはましじゃないかな。
脅かすようだけど、なにもしなかったら、漆原さんはきっと、国見さんと同じことをすると思う』
萌香は真っ白だった顔を蒼白に染めた。
『明日、現地に向かおう。
レンタカーを借りて迎えにいくよ。
駅前に朝8時集合、いいね?』
有無を言わせぬ迫力の夏目の言葉に、萌香は力なくうなずいた。
『はい、では、また明日』
☆
『記録を取りたいから、カメラ回すね』
待ち合わせ場所に立つ私服姿の漆原萌香は、夏目の言葉に応えることもなく、放心した様子でカメラのレンズを虚ろに眺めていた。
『漆原さん?
どうかしたの?』
『……乙葉の、遺体が見つかりました』
『え?』
『昨日の夜、河川敷でランニングしていた同じクラスの子が遺体を見つけたんですけど、すぐに乙葉だとわかったみたいで。
朝方になって、その子からLINEがきて知ったんです。
……乙葉の遺体から、心臓が抉り取られていたそうです』
『心臓……やっぱりそうか』
『やっぱり?』
『行こう、漆原さん』
夏目は萌香の冷えた手を取ってレンタカーの助手席に乗せると、一路、羽生村へと車を走らせた。
カメラが真っ暗になり沈黙した。
☆
カメラには、のどかな田園風景が映っている。
『いやあ、人がいないねえ』
景色に違わぬ呑気な調子の夏目の声が収められている。
あぜ道の一歩先を歩く萌香は無言のまま背中を見せているだけだ。
周囲は高い山に囲まれ、遮るもののない空はどこまでも蒼く広がっていた。
ぼろぼろのトタン屋根の朽ちた家々が、ぽつりぽつりと建っているが、そこに人が住んでいるとは到底信じられなかった。
『あの、この村に、本当に呪いを解く方法があるんですか?』
振り返った萌香は、まだ半信半疑のようだ。
『ああ、道中でも少し話したけど、この羽生村にはかつて、人身御供の文化があった』
『人身御供……?』
『簡単に言えば、生け贄だよ。
この村は大昔、災害や疫病などで、度々壊滅的な被害を受けた。
それを、土着の神で村人の心の拠り所でもあった山神様の祟りだと怯えた村人たちは、荒ぶる神様を鎮めようと、人間を生け贄として捧げることにした。
すると、幸か不幸か、村を襲う脅威はおさまっていった。
そのため、村に生まれた子どもの中から生け贄が選ばれ無惨にも幼い命が奪われ続けることになった。
そして、先祖代々それを継承するうちに、生け贄に選ばれた10代の少年少女の心臓を生きたまま抉り出し、捧げる形に変わっていったらしい』
『……生け贄の、心臓を……?』
萌香の表情がはっとしたものに変わる。
『乙葉も、クラスメイトの心臓を、くり抜いて、乙葉自身も、心臓が、なくて……』
萌香はぶつぶつと、戸惑った様子で呟き続ける。
『それに……頭の中に流れるあの映像……。
追われてどんなに逃げても、心臓を刺されて終わる……。
じゃあ、あの映像は……』
夏目のうなずきに合わせて画面が揺れる。
『この村で行われた人身御供の被害に遭った誰かの記憶、という考えが妥当だろうな』
『でも、なんでそんな映像を……?』
『それを解く鍵が、きみたちが見たあの呪われた画像だよ』
カメラが遥か上空に続く石段を映す。
『この先に、答えがある』
『ここって……』
萌香が石段を登った頂点に鎮座する鳥居を見上げて言う。
『……神社、ですか?』
『そう。
ここに彼女がいる』
『彼女?』
夏目が階段を登りはじめるので、萌香は慌ててその後を追った。
軽く息を弾ませ、汗をかきながら疲れた足を叱咤して何百段という石段を無言で登る。
『終わりが見えないね。
ほとんど山登りだよねえ。
いや、最近運動不足だから堪えるな。
漆原さんは大丈夫?』
『……大丈夫です』
その呼吸は荒い。
『やっぱり現役は違うなあ。
僕はもう登りはじめたことを後悔してるよ。
もう若くないんだなあ』
数十分後、ふたりは真紅の鳥居をくぐった。
山を切り拓いて造られた土地に、荘厳な雰囲気の社殿が木々に囲まれて存在している。
じゃり、と足元で玉砂利が鳴る。
すると、タイミングを合わせたようにひとりの老齢の男性が姿を現した。
狩衣姿の男性は、そのまま平安時代からタイムスリップしたかのようだ。
『お待ちしておりました、夏目様』
恭しく男性が頭を下げる。
『連絡させていただいた夏目緋梨です。
こちらは漆原萌香さん』
萌香がぺこりと一礼した。
『羽生神社の宮司の竜野と申します、はじめまして』
竜野と名乗った宮司に、恐縮しきりで萌香がぺこぺこと何度も頭を下げる。
『では、参りましょう。
本殿に案内いたします』
竜野は先陣を切って歩き出した。
厳かな佇まいの本殿の板張りの廊下を並んで進む。
ぎしっぎしっと足元が軋んで足音を立てる。
本殿の最奥まで進むと、竜野が懐から鍵を取り出し、飾り気のない扉の鍵穴に差し込み解錠した。
『こちらです』
竜野が照明を点けると、きらきらと埃が反射して光った。
頼りない灯りの中、雑多なものが置かれた物置きのような部屋の壁際に仕切られた一角があった。
カーテンを吊って目隠ししているようにも見えた。
竜野がカーテンのような布を強引に引っ張って剥ぎ取る。
萌香が、はっと息を呑むかすかな音が聞こえた。
そこにあったのは、ガラスケースだった。
自慢のコレクションを並べて飾るような、長方形のガラスケースだった。
その中に、少女が寝ていた。
いや、寝ているように見える。
『呪いの……画像……』
少女は、ピンクの着物を着て目を閉じ、まるで精緻な人形のように見えた。
『きみたちが見たのは、彼女の写真だ。
自分の姿を見たものを呪う、本庄リイナの死体だ』
『本庄、リイナ……?』
萌香が夏目を振り向く。
夏目のうなずきで画面が揺れた。
『羽生村には、人身御供の慣習があった。
彼女、本庄リイナは、強い霊力を持つ巫女だったという。
そのため、山神様の怒りを鎮めるために適任だと、彼女に生け贄として白羽の矢が立った。
約100年ほど前の話だという。
本庄リイナは村を逃げ回って助けを求めたが、とうとう村人に捕まり、生きたまま心臓を取り出され、死んだ』
『……それって、頭に流れている映像の、まま……』
『そう。
きみたちが見たのは、死ぬ間際のリイナの記憶だろう。
リイナの心臓が捧げられたあと、厄災は起こらなくなったといわれている。
まあ、本当にその心臓のもたらした効果なのかはわからないけど。
僕が調べた文献には、少なくともそう書いてあった。
そうですよね、竜野さん』
傍らに立つ竜野は神妙な面持ちで、肯定も否定もすることはなかった。
萌香がリイナの死体に再び向き直る。
『生きたまま……ひどいですね』
萌香の声は沈痛だ。
『まあ、そうだね。
ただ、リイナの持つ霊力は本物だったようで、心臓を奪われ命を落としたはずのリイナの死体は、神の加護のもと腐ることなく綺麗な状態で保存されている。
まるで今にも起き出しそうだ、美しい、そうは思わない?』
『え、そ、そうですね』
夏目の声に心酔したような響きが混じり、萌香はやや困惑しながらそうとだけ答えた。
確かに、目の前の少女は美しい。
電話越しに聞こえた、あのこの世のすべてを恨んでいるように『返せ返せ』とささやき続けた声音からは想像できない穏やかな表情で、本庄リイナは静かに横たわっていた。
『神に寵愛された選ばれし巫女の少女。
今ではこの村は、山神様ではなくリイナを神として信仰するようになった。
そうですよね?』
竜野は夏目の問いに、はい、と消え入るように返事した。
『そして、死の間際、リイナは強い恨みや憎しみを現世に残して死に、悪霊となった。
心臓を失った身体は呪物となり、見るものを呪った』
『あの電話の『返せ』は心臓のことだったんですね』
夏目は深くうなずいた。
『……ここまで言ったらわからないかな?』
『……え?』
夏目の声が冷たく、蔑むようなものに変わった。
『どうして、リイナの死体を見たものは殺人を犯すと思う?』
『……え、どうしてって……』
『心臓を集めるためだよ。
人間ひとりの心臓に宿る霊力はたかが知れている。
ならば、数を集めるしかない』
『あの、夏目さん?
なにを言って……』
『僕たちは、リイナをもう一度、覚醒めさせようとしている。
そのために膨大な心臓が必要だ。
リイナを、我々の神として蘇らせるため、すべてはそのためなんだ。
村人の悲願なんだよ』
『な、夏目、さん……』
萌香が後ずさりして、夏目から距離を取ろうとする。
『本当に、便利な時代だよね。
指一本で情報を拡散できる』
『え、ま、まさか、あの都市伝説って……』
『察しがいいね。
見るだけで呪われるリイナの死体を写した画像を投稿し、都市伝説としてSNSに拡散したのは僕だ』
『な、んで、そんなこと……』
『わからない?
心臓を効率よく集めるためだよ。
リイナに呪われた人間が自我を失って殺人を犯し、大量の心臓を持ち帰ってくる。
それをリイナの死体へと捧げ、リイナの復活を待つ。
すべてはそれを成し遂げるためだ。
そして、心臓はひとつでも多い方がいい』
ひた、と夏目が持つカメラが怯えた表情の萌香を映す。
『きみも、もう少しすれば国見さんのように大量殺人をするようになる。
たくさんの心臓を持って、この村に帰ってくるだろう。
まあ、そのあとはきみの心臓もいただくことになるけど、大したことじゃないよね。
そのころきみは自我を失っているだろうし、大丈夫、問題ないよ。
きみの心臓も、リイナを覚醒めさせるための重要な犠牲としてありがたく使わせてもらうよ』
『な、夏目さんは、何者なんですか?』
『ん、僕?
僕はこの村の生まれでね、人身御供をはじめたのが僕の先祖なんだ。
先祖代々、リイナを信仰し、復活に全力を注ぐよう教育されている。
是非とも僕の代で成し遂げたいんだけどね』
上機嫌に語る夏目から逃れようと、萌香が走り出そうとする。
『逃げられないよ、漆原さん。
リイナの呪いを解く方法なんてないんだ。
きみは間もなく自我を無くす。
逃れることはできない』
萌香がぴたりと動きを止め、涙目になって夏目を見上げる。
『……どうして、私をここに連れてきたんですか?』
『ん、きみがはじめてじゃないよ。
まあ、強いて言うなら後進のため、かな。
僕の代でリイナの復活を成し遂げたいけど、無理なら、それは僕の子どもに引き継がれる。
そのための良い記録、資料になる。
リイナに呪われた人間がどうなっていくのか、教育のための教材にできるだろう』
『……私は、もう……』
ぐらりと身体を揺らして、萌香がうずくまった。
『そんなに悲しまないで、きみはリイナの貴重な一部となるんだよ。
これは、誇っていい』
『ひどい、こんなのひどいです……。
夏目さん……』
顔を上げた萌香の瞳は、濁って焦点を失っていた。
『もう私、人を殺したくて仕方がないんです。
心臓が、欲しい……心臓が、心臓が、心臓が!』
飢えた犬のように、萌香の目がぎらぎらと光る。
『ああ、止めるつもりはないよ、早く街へ戻ろう。
そこで、好きなだけ血を浴びなさい。
そして、この村へ大量の心臓を持って帰るんだ』
夏目が優しくそう言い、萌香が大きくうなずく。
『竜野さん、あれ、ありますか?』
夏目の声に竜野がうなずき、部屋に置かれた箱の中から鋭利なナイフを取り出す。
夏目がそれを受け取り、萌香に渡した。
『……これは?』
『村に伝わる神聖なナイフだよ。
これで生け贄たちの心臓を抉り出したと伝えられている。
一時的にきみに預けるけど、必ず持って帰ってきてくれ。
重要なものだからね』
血の色に錆びたナイフを、萌香がこわごわとした様子で眺める。
そして、唇の端を持ち上げた。
『心臓が……欲しい』
『うん、たくさん狩っておいで。
僕もしばらく村に滞在して、きみの帰りを待つことにしよう』
ナイフを大切そうに胸に抱くと、萌香は無邪気に微笑んだ。
☆
《通勤、通学途中の人で満員だった電車の中で、少女が突然奇声を発しながら乗客を次々に刺しました。
現在、事件から3時間が経ちますが、被害者は20人にのぼっています。
さきほど、15人の死亡が確認されました。
死亡した人は全員、胸を刺されていました。
犯人と思われる少女は、混乱に乗じて逃亡しているものと思われ、警察が捜査に乗り出しました。
また、近くの住民にも不安が広がっており……》
カメラが目を閉じたまま微動だにしない漆原萌香を映している。
横たわる萌香の胸には、ぽっかりと穴が空いていて、心臓が抜き取られているのがひとめでわかる。
『さすがに心臓を抉り出されました、とはニュースで言えないよねえ』
相変わらず呑気な調子で夏目が呟いた。
夏目はカメラを床に置き、リイナを覆っていたガラスケースを慎重に取り外す。
そっと頬に触れると、まだ肌には弾力があった。
まるで、ただ昼寝しているような、今にも起き出しそうな表情で目を閉じるリイナの美しさに夏目が、ほうっと息をつく。
次いで、ビニール手袋を装着すると、萌香が持ってきた血塗れの心臓を鷲掴みにしリイナの口へと入れる。
すると、ごく普通に食事する要領で、リイナの喉が上下し心臓を嚥下する。
それを15個、リイナの口に放り込む。
最後に、取り出したばかりの萌香の生暖かい心臓を食べさせた。
しばらく待つが、リイナの身体はなんの動きもしない。
『……やっぱり、まだ足りない、か』
少し落胆した夏目は手袋を外すと、再びリイナにガラスケースを被せる。
『漆原さん、お疲れ様、よくやってくれたよ。
一日で15個もの心臓が集まった、きみには感謝する。
……でもね、まだ足りないんだ。
リイナを復活させるためには、まだまだ霊力が、心臓が足りない』
床の上に横たわる血塗れの萌香の隣に座り込んだ夏目は、端正な顔立ちで、穏やかさが滲み出た微笑みを浮かべカメラに向かって語りかける。
『リイナが覚醒めるまで、僕たち一族の役目は終わらない。
なんとしてでも、リイナを復活させなければ。
……それはさておき、まずは漆原さんの遺体を遺棄してこないとね。
決して羽生村との関連を疑われてはならないから、離れた場所に捨てなければならない。
面倒だけど、夜のうちに捨ててこよう。
竜野さん、手伝ってもらえますか』
はい、と画面の外から竜野の声がした。
『でも、その前に、一仕事しないと』
興味を失ったように萌香から視線を剥がした夏目は、自前のノートパソコンを取り出した。
『仕事、ですか』
竜野が不思議そうな声で訊く。
『そう。
まずは、電車無差別殺人事件と、見たら呪われる画像とを結びつけた投稿をしなければならない。
この事件が呪いの画像のせいで起きたんだということをアピールしないとね。
もっともっと都市伝説を広めて、好奇心を煽って、画像の閲覧者を稼がなくてはならない。
そうすれば自然に、大量殺戮が起こり、無尽蔵の心臓がこの地に集まる』
『……そしてリイナ様を復活させる……。
夏目様は策士でいらっしゃいますな』
竜野の言葉に、夏目がノートパソコンに目を落としたまま苦笑する。
『策士、か。
まあ、褒め言葉として受け取っておくよ』
『村にはまだ、戻られないのですか?』
『まだ、しばらくは、ね。
霊能者として顔を売って、僕を経由して画像をたくさんの人に見せることが目的だからね。
リイナが覚醒めるまで、働かなくてはならない。
それが、僕に課せられた使命でもあるしね』
『お父上が、夏目様が帰郷されないことを嘆いておられました。
せっかく村を訪れているのなら、ひとめお顔を見せて差し上げてはいかがでしょう』
『うーん、父とは考え方の反りが合わなくてね。
僕が霊能者をやっていることが気に食わないみたいで、会えば喧嘩になるんだよ。
僕だってリイナのために必死になっているだけなのに、そのやり方が気に入らない。
まあ、気が向いたら実家に顔を出すよ』
『そうでしたか、出過ぎた真似をしました』
すみません、と竜野が謝罪する。
『いや、リイナの管理をしてくれている竜野さんには感謝してるよ。
リイナ復活に向けて、互いに精進しましょう。
じゃあ、僕は漆原さんの遺体を適当に遺棄してくるよ』
『あ、私にも手伝わせてください』
『助かります。
とりあえず人目のない山中に埋めるとしますか。
国見乙葉さんの遺体を遺棄したのは竜野さんですか?』
『いえ、村人です』
『僕もあの川沿いに遺棄する計画を立てていたので、先を越されたと困っているんです。
同じ場所は使えないので少し手間ですが、安全に山に埋めましょう』
『私たちが、《墓地》と呼んでいる土地があります。
もう何人もそこに遺棄していますが、未だ発見はされていませんから安心かと』
『ではそこにしましょう』
夏目と竜野がビニールシートで萌香の遺体を包む。
『よいしょ』
と、夏目が声を出して萌香を運びはじめたところで画面は真っ暗になった。



