空が晴れ渡るときも雨降りのときでも、あるいはデリカシーの欠片もない級友らに教室でどんな惨めな思いにあわされようとも、僕は放課後になるときまって中庭で、白いイヤフォン越しに彼女の残した音を耳にしていた。

 幾度となく聴き込んでいるうちに、その音の粒の流れるさまや、それらのつながりだけではなく、まだ何も鳴っていない弾き始めや弾き終えた後の彼女特有の間合いの余韻さえも愛苦しくおぼえるようになっていた。
 そして、こうして離れ離れになるのだったら、さらにその前後の彼女の声も録っておけば良かったと後悔してもいた。
 もっとも当の彼女は、録音されたその声もまた今の自分自身とは全く別物なのだと改めて言うだろうけども。

 彼女にとって音や声とは、常に時と共に流れ去ってしまう儚くも、それが故になおのこと輝きを見せるものだったにちがいない。
 彼女が僕にたいして、その場でそこに留まることのない自分の声で、自分の言葉を表現してみてほしいと願った理由が、今ならよく分かる。

 もし、また彼女と会いたいという僕の願いがかなうなら、今度こそその彼女の希望をかなえるときなのだと思う。
 ちなみに、そのときは、彼女への想いを何かしらの言葉で伝えて、僕とつなぎとめるべく試みることだろうというのが、今の自分の頭にある目論見だった。