それから、しばらくしてのことだった。
 ちょうど「さん」付けが互いにまどろっこしくなったあとのことである。
 僕は僕で気になっていたことがあり、やはり曲が終わったあとで聞いてみることにした。

「あす未は、いつも同じ曲ばかり弾いているけど……?」
 彼女は、例のあの眉毛を浮かせた。
「え? なに? 飽きたってこと?」
「いや、その、つまり……コンテスト向けに練習しているのかな、と……」

 彼女は、ううんと首を振った。
「試行錯誤してるんだよ」
「へええ……」
 と僕は思わず感嘆の声を上げたが、彼女のいっている意味がよくわからなかった。
 僕はもう完璧に弾けているものだと思っていたのだ。
「なにの?」と遅れていうと彼女は机の鞄を触る手を止めた。

 それでも彼女が何もいい出さないから、こう投げかけた。「原曲は知らないけどさ、まちがえて弾いてしまう箇所なんて、もうないのだと思ってた」
 すると、彼女はさらに答えに困ったようだった。

「まちがえてなんかないけどね」
 やっと彼女はそうとだけいった。
「なら、よくないか?」
「うん、よくない」
 
 今度言葉に困ったのは、僕の方だった。