受け取ると僕はゆっくり鼻を近づけた。
 さっきからしていた香りの根源がこれだと知る。
 唇に異常な熱さを感じて、口を離して先生を見ると、彼女は悪戯っぽく短く笑った。
 それから、人差し指を自分の鼻先に近づけた。「ここでコーヒー飲むの、本当は禁止だからね。いい? 二人きりの内緒だよ?」

 これは共犯者ってやつかもしれない。
 罠に掛けられたようで、僕は内心彼女にも自分にも呆れてしまったが、嫌な気分ではなかった。
 むしろ自分を曲げることで、悪徳にたいするほのかな心地よささえあった。
 
 自己否定に沈んでいる自分をさらに否定している図式に、僕はむしろ愉快に思ったほどである。
 理屈の上では、マイナスのマイナスはプラスだからだ。

「ところで、前も持ってきていたけど、それは何のノート?」

 彼女は、空いた手の指先でノートをさした。

「ああ、これですか。これはいつも持ち歩いているんです。何か良い言葉とかが思いついたときに、その場で書けるように……」
「へえ。詩とか?」
 僕は、自信なさげに頷いた。
 すると、先生は「いいね!」と目を細めた。
 まさか、あす未みたく読んで聞かせてと言い出さないか、僕はおどおどしてしまう。が、彼女は小首をかしげていった。
「先生が読んでもいい?」