そういった出会いがあってから、放課後の中庭で本を読んでいてあのピアノの音色が聴こえてくるたびに、僕は音楽準備室に足を運ぶようになった。
 きまってあす未がいて、彼女を弾き終わるのを待って少しだけ話して帰るのだった。
 他にそこで居合わせたことはないので、これはちょっとした、誰にも秘密の習慣になった。

 そのうち、あす未はこんな質問をしてきた。
「ユウシ君は、いつも同じ本を持ってるよね。それ、おもしろいの?」
 僕は小脇に抱えた本に目を落とした。「あ……あ、これ? ……べつに」
 すると、彼女は声を立てずに笑った。「じゃあ、なんでずっと持ってるの? ……まさか、ファッションアイテム?」
 
 今度は僕が笑った。
 僕は、ファッションなんてまったく意識したことがないからだ。
 さすがに寝ぐせはまずいと思うけど、クラスの他の男子みたく整髪料なんて付けたこともない。

「全然好きでもないのに持ち歩いてるの?」
「そんなことはないよ。冒頭の部分を読んで、面白そうと思って借りたんだけど……」
「実はそんなに面白くなかった?」
「いや、うーん、まあまあかな」
 それを聞いて彼女は、また口を押えて吹きだした。
 すると僕は、顔が熱くなった。
 音楽室特有のほこりっぽいそれに混じって、ふっと、彼女から果実のような特有の甘い匂いがしたからだ。