今思い返しても、何の前触れもなかった。
 強いて言えば、あす未がピアノについて何か思いを遂げたらしいことだけだった。
 最後のあの日。彼女の高揚ぶりを思い出す。

 気持ちに一定のきりがついた様子だった。
 別れが既に念頭にあったにちがいない彼女にたいして、いつもと同じ明日がやってくることを無邪気に信じていた自分を僕は嘲った。

 彼女にしたら、ジムノペディがなんとか様になり、上京までに間に合ったということなのだろうか。
 だとしたら、僕は彼女にとって何だったのだろう。
 そういった疑問とも反語ともつかないものが、繰り返し僕の中で渦を巻いた。

 ある書物で読んだことがある。
 さよならが言えなかった別れは、いつまでも心に残り続ける、と。
 もしそれが今の僕にあてはまるなら、あす未をいつまでも思い続ける入り口に立っていることになる。