それでも彼女がある一定の達成感にたどり着いたことはつかめたので「よかったね」と言うと、彼女はうんと汗で黒光りする顔を縦に振った。
 それは実に誇らしげで、満足げな表情だった。

 彼女は再びピアノの前に座る。
 背筋を正すと、まもなく鍵盤の上に静かに手を置いた。
 一度彼女のピアノを録音しておきたかった僕は、ここぞとばかりにすかさず尻ポケットのスマホを取り出した。
 ボイスレコーダー機能をオンにする。
 と同時に、彼女は鍵盤を右へ左へと優しい手つきでなで始めた。
 
 空気の震えが、僕の肌を通して胸の奥にまで伝わってくる。
 繊細でありながら豊かな膨らみを持つ音のひと粒ひと粒が、間断なく押し寄せるさざ波のように打ち寄せた。
 
 これが彼女の音に込めた痛みである。
 それと知らなければ、ただ美しいと浸り讃えるだけに終わったはずの音色に、僕は一筋の涙が頬を伝うのを感じていた。
 
 鳴らされるこの音が彼女の悲しみそのものであるならば、僕はどうすれば彼女の救いとなりうるのか。
 彼女が鍵盤に指を這わせているあいだ、そればかりが頭を駆け巡った。