彼女の持つ聡明そうな瞳、朗らかな心持ち、そして特有の甘い香りがどこから来て、どのように彼女の鳴らす音とつながっているのか。
 僕は謎めいたそれらが知りたい。そして、それを心と身体全体で感じたかった。
 それがたとえ、侵すべからず性にまつわる欲求なのだとしても、この世にはあまりない、限りなく清らかで尊いものに思えた。

 彼女はピアノの前に座ると、僕を手招きした。
「見て。譜面にはこうあるの」
 曲頭の五線譜の上には、“Lent et douloureux”と文字が並んでいる。
 英語ではないせいか、まったく意味が取れない。
 彼女はそれを見て取ったのだろう。
 むしろ、そういうつもりで振った話だったのだと思う。
 口元に微笑みを浮かべたまま、僕の左の肩に顔を寄せて、そっと見上げ、それからささやいた。

「ラン・エ・ドゥルー」
「ラン・エ……?」
「ラン・エ・ドゥルー。〈遅く、そして痛みを込めて〉という意味」

 彼女の奏でる美しいメロディにそのようなニュアンスが含まれていたことに、僕はすっかり言葉を失ってしまった。

 つまり、それほどの衝撃だったのである。
 幻想的な曲調だとは思っていたが、痛みを音にしていたなんて。

 以後彼女の弾くこの曲を耳にするたび、新しい解釈と、そのまま受けとめるには難しい別の感情が湧いてくることになるだろう。