にくゑ-断片

■断片7|沙織さんが喰われた夜
【メモ帳より】
 さいしょに匂いがきた。
 やわらかくて、甘くて、ぬるくて、ふかふかした匂い。
 まだ焼かれてないパンみたいな、まだ生きてる肉みたいな。

 それから、音。
 口があいてる音。ひらくたび、ぬるっとして、ずるっとして、何かがこぼれる。
 声じゃない。喉のなかでこすれる、つるつるした声。

 沙織さんだった。
 このまえ笑ってた、あの人。
 でも今は、ちがう。
 手がふえて、足がひらいて、目がこっちを見ない。
 言葉のかわりに、舌が空気をなめてる。

 お腹が大きく膨らんでて、そこから小さな手が出てた。
 赤ちゃんの手。
 でも、赤ちゃんも、もう人間じゃなかった。

 沙織さんが抵抗してる。
 にくゑになっても、母親の本能が残ってる。
 お腹の中の子を、守ろうとしてる。

 でも、その抵抗が儀式を狂わせた。
 制御が効かなくなった。
 清音の悲鳴が、夜空に響いた。

 私の指が伸びる。
 違う、私じゃない。けど、指は伸びる。
 骨ごとずるっと動いて、爪のかわりに舌が出てる。

 触れる。
 そこはもう人じゃない。
 やわらかい音がした。
 肉の中に風が入って、声が抜けて、沙織さんの輪郭がうすくなっていった。

 においの奥に、骨があった。
 骨はしゃべらない。でも、食べられる。
 音を残して、沙織さんが終わる。

 でも、お腹の中の子だけは残った。
 小さな、小さな命が。

 それが、すべての間違いだった。