にくゑ-断片

■断片H|『肉を祀る民俗──或る村落信仰の実相』抄

(昭和五十年代刊/私家版、奥付なし/著者:鶴来 忍)

 この国の山間に残る「肉ゑ信仰」は、人柱伝承と水神祭祀が融合し、ついには肉そのものを神格とした稀有なる例である。
 大旱魃の折、若き娘を井戸に沈め、雨を請う。娘の肉は崩れず、やがて「神」と称され、以後は穀や獣肉を供えるようになった。
 だが供物はやがて足らずとされ、肉神は「蓋」を欲した。巫女の家の娘を“蓋”として封じる掟が成立する。井戸に沈む女は神の膨張を抑える蓋となり、共同体の境界を維持するのだ。
 その際に村人が皆で笑顔を作るのは偶然ではない。笑いこそが「境」を保つ呪法なのである。泣けば境が破れ、声を荒らげれば肉神が人を喰う。ゆえに笑顔は掟とされ、村人すべてが同じ面(おもて)を被るに至った。

 「なり損ない」と呼ばれる異形は、供物が失敗したときの産物である。愛が半端に与えられ、神と人との境を跨いだ存在だ。愛の残滓が肉に形を与えた哀れな影である。

 私は断言する。肉ゑは神ではない。祈りと愛慕が過剰に凝集し、ついには肉体を生じさせた「集合肉」である。共同体が過剰に願い、過剰に愛したゆえに、愛そのものが喰らう形を取ったのである。

 この信仰はもはや一村に限らぬ。都市に流れた者の心にも巣食い、やがて都会の水脈へと広がっていくだろう。
 肉ゑは拡散する。私はその証拠をすでに得ている。

 (※著者は本書出版の数年後、調査地に赴いたまま消息を絶った)