にくゑ-断片

■断片資料N|『肉依録考』より抜粋(著:安志 観草/明治末期)

通常、神饌とは人が神に捧ぐものである。
焼いた魚、炊いた米、血を流された獣。それらを供え、神の加護を請う。
しかし、にくゑの信仰においては逆である。神が肉を与え、人がそれを貪る。

にくゑの顕現する場には、必ず「神より賜る肉」が存在する。
赤く、温かく、湧き続ける。飢えた村人はそれを喰らい、生き延びる。感謝し、祈り、崇める。
やがて、彼らは神に“差し出す”ことをやめる。神はすでに飽くことなく与え続けるからだ。

この構造は宗教として異端である。
一方的な施与は、信仰の形を歪める。祈りは乞いとなり、儀式は消費の場へと堕する。
民は思考を止め、神の“肉”のみを欲するようになる。

にくゑとは、ただの肉の名ではない。
にくゑとは、“依り代を喰わせる構造”そのものであり、
民の心と体に宿りて、次代の神を育てる胎である。

もはや神に仕えるのではない。
人が“神の育成装置”として選ばれているのだ。