第六話 翔樹、後悔する
新藤翔樹はどうやって家に帰ったのか記憶がなかった。気づいたら、部屋のベッドで布団に包まり、目からは大量の涙が溢れていた。
翔樹は昔を思い出した。保育園のときは、まだみんな虫が好きで、一斉に虫取りや虫を観察することをしていた。しかし、みんなでやってたと思っていた虫取りも、最後は決まって、困った顔した先生が翔樹を呼びにくるのがお決まりのパターンとなっていた。それでも、そのときはまだ、自分が夢中なものに夢中でも何もおかしくないし、みんなそれぞれそうだったように記憶している。
小学校に上がるとだいぶ変わった。クラスメイトは、サッカーなんかのスポーツやゲームの話題でいっぱいになった。虫取りに誘っても、来てくれる子は少なくなり、来てくれた子たちもすぐにみんなのほうへ戻って行った。翔樹も、他の子がしていることにチャレンジしてみようと一通りやってみたが、やっぱり虫ほど夢中になれるものはないし、気づくと虫のことばかり考えている自分がいた。翔樹は虫と遊んでればいいじゃんと、貸してくれたおもちゃに身が入らない翔樹を見かねた同級生がそう言うのも一度や二度ではなかった。
中学生になるときにはもう、翔樹は諦めていた。自分は虫が好きだから、好きなものには忠実になろうと決めた。それからは、友人関係で寂しい思いをしても、虫図鑑に集中したり、虫観察に熱中してやりすごした。
高校生活、そんな日々がまだ続くのかと思っていた。そんなときだった。カブトに会ったのは。隣の席で、名前がカブトで、虫が好きという。そんな人いたのかと翔樹の胸は今までないくらいに高鳴った。しかし、今までの経験上、また傷つくこともあるかもしれないと、無意識に翔樹は慎重にカブトと関わっていった。
ナミハンミョウを見かけた朝、翔樹にカブトが話しかけてきた。
「新藤、今日何かあった?」
うれしかった翔樹は思わず熱が入って話してしまった。すると、カブトも翔樹の図鑑を少しは興味ありそうに眺めてくれたのだった。さらに、カブトはたまに図鑑の進捗を翔樹に尋ねてきた。そこで翔樹は思い切って、カブトを虫の観察に誘った。すると、困った顔で断られ、翔樹はやっぱりそうかと諦めに近い落胆を感じた。慣れているはずのセリフだったが、久しぶりに期待をしてしまったためか、思ったより堪えた。しかしその日、家の用事があるからと断られたカブトが翔樹のいる公園へ現れた。翔樹は気づいたらカブトの名前を叫んでいた。カブトは少し困った表情をしながらも、付き合ってくれると言った。そういわれ嬉しくなったが、準備をしていないから上で待ってると言われたときは、虫を取って見たら、きっともう帰っていないんだろうなと思った。モンシロチョウを捕まえ、カブトが座っていたところをみると、カブトがそのまま座っていた。翔樹はその光景を見て胸がいっぱいになり、自然と涙が出た。それを慌てて拭い、カブトの元へ戻った。
それからカブトはたまに虫の観察に付き合ってくれるようになって、写真撮影も翔樹が驚くほど真剣に取り組んでくれた。それだけではない。翔樹が、勝手に悲観していたクラスメイトとの会話もカブトが明るい結果に変えてくれた。
夏休み、毎年の楽しみである父の研究の同行ももちろん楽しかったが、ここにカブトがいればいいのにと思った翔樹がいた。珍しい虫がいるのに、虫以外のことを考えるのなんて初めてだった。地元に戻り、翔樹はその足で出勤かも分からないカブトのバイト先を訪ねたが、それは頭で考えたことではなく、自然と足が向かってしまったのだった。コンビニでカブトをみつけたときのそれは、出会いたかった虫を見つけたときの喜びに近いかそれ以上のものだった。連絡先を交換した夜は、珍しくスマホを近くに置いて、何度もカブトからの返事を眺めた。
カブトに父の研究の話をしたとき、翔樹は緊張した。父の仕事のことを話すと、大抵の人は、だから翔樹くんもそうなんだねーというリアクションをしてくる。父の影響を少なからず受けてはいると思うが、ここまで来たらもうこれはオレのオリジナルだと思っている翔樹はそのリアクションにいちいち落胆していた。しかしカブトは違った。へー、そうなんだ、たったそれだけ。その言葉がどれだけ翔樹の心を温かくしたか、本人ですらちゃんと把握していないだろうと思う。
母のプレゼント選びは、いつも虫だとイヤかなという翔樹の気遣いもあったが、それと同時に普通に遊びたいと思ったのだ。素直に虫以外のことで遊びたいと思ったのは、翔樹が物心ついてから初めてのことだった。しかし普通が分からない翔樹はどうしたらいいか分からず、母のプレゼント選びになってしまった。カブトは楽しかっただろうかと家に帰って心配になった。
トンボを指に留めるチャレンジは、翔樹にはちょっとした賭けだった。薄々感じていたカブトは虫が苦手ではないのではないか?ということをこれで知ろうとしたのだ。一緒にやろうと誘うと、カブトは困った表情をしたので、翔樹は慌てて取り消した。1人でもいいや、そこにカブトは座っててくれるしとトンボを待つ間、ほんの少し寂しくなったのは、しかしそのあとすぐにかき消された。翔樹の目の前にカブトが来てくれた。こんなにトンボが飛んでいる場所に。しかも、カブトの頭にトンボが留まっても嫌がることなく、2人で大笑いした。あの大笑いは翔樹にとって何にも変え難い時間だった。カブトは隠しているつもりかもしれないが、顔や行動で虫が苦手だと言うことになんとなく翔樹は気づいていた。それでも一緒に付き合ってくれるのが嬉しくて、誘うのを辞めることができなかった。今日、カブトの友人が、カブトが虫を苦手だと言ったとき、カブトはとても辛そうな表情をしていた。そして、そんな表情にさせてしまったのは自分だと、翔樹は布団の中で何度も何度も自分を責めた。
翔樹は、お腹が痛いから夕飯はいらないと母へ伝え、引き続き部屋に篭った。カブトからだろう、スマホがチカチカ光っている。その蛍のような光をひっくり返して気付かないようにした。目を閉じると浮かんでくるのは、カブトの辛そうな表情だった。翔樹はうまく眠れず、そのうちカーテンの隙間から光が差し込んでいた。
朝、母が心配そうにドアをノックする。翔樹は顔を出し、まだお腹が痛いから学校を休みたいと頼み、またベッドへ戻った。頭の中はカブトのことでいっぱいだった。翔樹は初めて、虫じゃないことで頭をいっぱいにしていることにまだ気づいていない。
昼前、母がおかゆを作って持ってきた。
「翔樹、お腹の調子はどう?少しでも食べれるなら食べたら?」
母はベッドサイドに座り、布団に包まっている翔樹をトントンと叩いた。
「うん」
翔樹はそういうのが精一杯だった。
「何があったか、聞いてもいいの?」
翔樹は少し悩んだ結果、1人ではもう持てそうもなかったので、母に話してみることにした。布団から顔を出し、身体を起こす。
「実は、高校になってから、虫の観察をしてくれる友だちができたんだ。でもその子、実は虫が苦手でさ、オレもそれに気づいてたんだけど、それでも付き合ってくれる優しさに甘えて、無理させてたことが分かって。申し訳ないことしたなって落ち込んでるところ」
そう話すも、母からは返事がない。翔樹は不思議に思って母の顔を見た。
「母さん?どうしたの?」
「いや、翔樹が虫以外のことでこんなに悩んでるのなんて滅多にみないから驚いちゃって。そう。友だちができたの。だから翔樹は高校になって楽しそうだったのね。その子、虫の観察そんなにイヤそうだったのに、翔樹はずっと誘って付き合ってもらってたの?」
母の表情は翔樹を責めるのでも庇うのでもなく、ただ気になってという顔で話しかける。その表情で、翔樹は落ち着いて話すことができた。
「ん〜。苦手そうなときもあったけど、割と楽しんでくれてたりもしてたかな?と思うことはある。虫の観察しながらも、一緒に笑ったりすることもあったし。だからオレも誘っちゃってたんだよね。あ、それにね」
そう言って翔樹はカブトが写した写真を母に見せた。
「虫の写真を撮って欲しいってお願いしたら、付き合ってくれた日は撮ってくれてたんだ」
「これ、その子が撮ってくれたの?すごい、いい写真じゃない!」
「そうなんだよ、すごく真剣に撮ってくれてさ」
翔樹は、カブトとの思い出を振り返って、また泣きそうになってしまった。
「翔樹は、直接その子に虫の観察しんどいって聞いたの?」
「いや。一緒にトンボのところで遊んでたときに、カブトの中学のときのクラスメイトがたまたま通りかかって、虫嫌いなのに大丈夫かー?って聞いてきたんだ。そしたらカブト、そのときすごく険しい顔しててさ。あ、やっぱりイヤだったんだって分かって。ごめんって謝って。それが昨日」
母は、少し考えるポーズをして、
「翔樹、本人に直接聞いてないのに、こんなに悩まなくてよろしい」
と言った。翔樹はパッっと母の方へ顔を向け、え?と言った。
「翔樹はね、そうやって1人で悶々と悩むところあるね。虫のことになるとなんも悩まないのに。カブトくんが本当にイヤだったかなんて、あんたが一人で考えても分かりっこないのよ。だから、本人に聞いてきなさい。そんなに大切な友だちだったら、しっかり向き合いなさい。そして、もしもズタボロになったときはね」
母がニヤッと笑って続けた。
「あたしがどれだけ翔樹を慰めてきたと思ってるの?迷いなく、この家に帰ってらっしゃい。全力で慰めてあげるから」
翔樹は入口まで出てきた涙をグッと堪えた。そして、ありがとうと母に言った。
「それにしても、翔樹、よっぽどその子のこと好きなのね。私も会いたいわ。仲直りしたら連れてきてよね〜」
そう言って母は、翔樹の部屋から出ていった。
「好き?」
1人残された翔樹は、そう呟いた自分の顔が噴火するのでは?と思うほど赤くなったのを感じた。それから、オレがカブトのこと、好き?と心の中で呟いて、母が作ってくれたおかゆを一気に完食した。お腹が膨らみ、少し落ち着きを取り戻した翔樹は、スマホを手に取った。そして、カブトから来ていたメッセージを開いた。
『新藤、さっきはごめん。話がしたい』
『明日の放課後、できたら時間作ってほしい』
『お腹痛いんだって?オレのせいかな。本当にごめん。早くよくなりますように』
『調子はどう?よくなってたらいいんだけど』
カブトからのメッセージを読むと、胸が苦しくなった。翔樹は、今すぐカブトに会いに行きたいと思った。でも今じゃないと翔樹はカブトに返事をした。
『体調良くなったから、明日は学校行ける。オレのほうこそごめん。オレもカブトと話がしたい』
送ってすぐ、カブトから返事が来た。
『良くなったなら良かった。うん、明日話そう』
読み終えた翔樹は、スマホに保存されていたカブトの頭にトンボが乗っている写真を見た。その写真は、翔樹が撮ったのに、奇跡的にピントのあった写真だった。そして翔樹は、カブトのことを思い出す。険しい顔のカブトを思い出すと胸が痛いけど、でも翔樹は、カブトのことが知りたいと思った。そして、カブトのことが好きだという自分の気持ちに気づいた。
新藤翔樹はどうやって家に帰ったのか記憶がなかった。気づいたら、部屋のベッドで布団に包まり、目からは大量の涙が溢れていた。
翔樹は昔を思い出した。保育園のときは、まだみんな虫が好きで、一斉に虫取りや虫を観察することをしていた。しかし、みんなでやってたと思っていた虫取りも、最後は決まって、困った顔した先生が翔樹を呼びにくるのがお決まりのパターンとなっていた。それでも、そのときはまだ、自分が夢中なものに夢中でも何もおかしくないし、みんなそれぞれそうだったように記憶している。
小学校に上がるとだいぶ変わった。クラスメイトは、サッカーなんかのスポーツやゲームの話題でいっぱいになった。虫取りに誘っても、来てくれる子は少なくなり、来てくれた子たちもすぐにみんなのほうへ戻って行った。翔樹も、他の子がしていることにチャレンジしてみようと一通りやってみたが、やっぱり虫ほど夢中になれるものはないし、気づくと虫のことばかり考えている自分がいた。翔樹は虫と遊んでればいいじゃんと、貸してくれたおもちゃに身が入らない翔樹を見かねた同級生がそう言うのも一度や二度ではなかった。
中学生になるときにはもう、翔樹は諦めていた。自分は虫が好きだから、好きなものには忠実になろうと決めた。それからは、友人関係で寂しい思いをしても、虫図鑑に集中したり、虫観察に熱中してやりすごした。
高校生活、そんな日々がまだ続くのかと思っていた。そんなときだった。カブトに会ったのは。隣の席で、名前がカブトで、虫が好きという。そんな人いたのかと翔樹の胸は今までないくらいに高鳴った。しかし、今までの経験上、また傷つくこともあるかもしれないと、無意識に翔樹は慎重にカブトと関わっていった。
ナミハンミョウを見かけた朝、翔樹にカブトが話しかけてきた。
「新藤、今日何かあった?」
うれしかった翔樹は思わず熱が入って話してしまった。すると、カブトも翔樹の図鑑を少しは興味ありそうに眺めてくれたのだった。さらに、カブトはたまに図鑑の進捗を翔樹に尋ねてきた。そこで翔樹は思い切って、カブトを虫の観察に誘った。すると、困った顔で断られ、翔樹はやっぱりそうかと諦めに近い落胆を感じた。慣れているはずのセリフだったが、久しぶりに期待をしてしまったためか、思ったより堪えた。しかしその日、家の用事があるからと断られたカブトが翔樹のいる公園へ現れた。翔樹は気づいたらカブトの名前を叫んでいた。カブトは少し困った表情をしながらも、付き合ってくれると言った。そういわれ嬉しくなったが、準備をしていないから上で待ってると言われたときは、虫を取って見たら、きっともう帰っていないんだろうなと思った。モンシロチョウを捕まえ、カブトが座っていたところをみると、カブトがそのまま座っていた。翔樹はその光景を見て胸がいっぱいになり、自然と涙が出た。それを慌てて拭い、カブトの元へ戻った。
それからカブトはたまに虫の観察に付き合ってくれるようになって、写真撮影も翔樹が驚くほど真剣に取り組んでくれた。それだけではない。翔樹が、勝手に悲観していたクラスメイトとの会話もカブトが明るい結果に変えてくれた。
夏休み、毎年の楽しみである父の研究の同行ももちろん楽しかったが、ここにカブトがいればいいのにと思った翔樹がいた。珍しい虫がいるのに、虫以外のことを考えるのなんて初めてだった。地元に戻り、翔樹はその足で出勤かも分からないカブトのバイト先を訪ねたが、それは頭で考えたことではなく、自然と足が向かってしまったのだった。コンビニでカブトをみつけたときのそれは、出会いたかった虫を見つけたときの喜びに近いかそれ以上のものだった。連絡先を交換した夜は、珍しくスマホを近くに置いて、何度もカブトからの返事を眺めた。
カブトに父の研究の話をしたとき、翔樹は緊張した。父の仕事のことを話すと、大抵の人は、だから翔樹くんもそうなんだねーというリアクションをしてくる。父の影響を少なからず受けてはいると思うが、ここまで来たらもうこれはオレのオリジナルだと思っている翔樹はそのリアクションにいちいち落胆していた。しかしカブトは違った。へー、そうなんだ、たったそれだけ。その言葉がどれだけ翔樹の心を温かくしたか、本人ですらちゃんと把握していないだろうと思う。
母のプレゼント選びは、いつも虫だとイヤかなという翔樹の気遣いもあったが、それと同時に普通に遊びたいと思ったのだ。素直に虫以外のことで遊びたいと思ったのは、翔樹が物心ついてから初めてのことだった。しかし普通が分からない翔樹はどうしたらいいか分からず、母のプレゼント選びになってしまった。カブトは楽しかっただろうかと家に帰って心配になった。
トンボを指に留めるチャレンジは、翔樹にはちょっとした賭けだった。薄々感じていたカブトは虫が苦手ではないのではないか?ということをこれで知ろうとしたのだ。一緒にやろうと誘うと、カブトは困った表情をしたので、翔樹は慌てて取り消した。1人でもいいや、そこにカブトは座っててくれるしとトンボを待つ間、ほんの少し寂しくなったのは、しかしそのあとすぐにかき消された。翔樹の目の前にカブトが来てくれた。こんなにトンボが飛んでいる場所に。しかも、カブトの頭にトンボが留まっても嫌がることなく、2人で大笑いした。あの大笑いは翔樹にとって何にも変え難い時間だった。カブトは隠しているつもりかもしれないが、顔や行動で虫が苦手だと言うことになんとなく翔樹は気づいていた。それでも一緒に付き合ってくれるのが嬉しくて、誘うのを辞めることができなかった。今日、カブトの友人が、カブトが虫を苦手だと言ったとき、カブトはとても辛そうな表情をしていた。そして、そんな表情にさせてしまったのは自分だと、翔樹は布団の中で何度も何度も自分を責めた。
翔樹は、お腹が痛いから夕飯はいらないと母へ伝え、引き続き部屋に篭った。カブトからだろう、スマホがチカチカ光っている。その蛍のような光をひっくり返して気付かないようにした。目を閉じると浮かんでくるのは、カブトの辛そうな表情だった。翔樹はうまく眠れず、そのうちカーテンの隙間から光が差し込んでいた。
朝、母が心配そうにドアをノックする。翔樹は顔を出し、まだお腹が痛いから学校を休みたいと頼み、またベッドへ戻った。頭の中はカブトのことでいっぱいだった。翔樹は初めて、虫じゃないことで頭をいっぱいにしていることにまだ気づいていない。
昼前、母がおかゆを作って持ってきた。
「翔樹、お腹の調子はどう?少しでも食べれるなら食べたら?」
母はベッドサイドに座り、布団に包まっている翔樹をトントンと叩いた。
「うん」
翔樹はそういうのが精一杯だった。
「何があったか、聞いてもいいの?」
翔樹は少し悩んだ結果、1人ではもう持てそうもなかったので、母に話してみることにした。布団から顔を出し、身体を起こす。
「実は、高校になってから、虫の観察をしてくれる友だちができたんだ。でもその子、実は虫が苦手でさ、オレもそれに気づいてたんだけど、それでも付き合ってくれる優しさに甘えて、無理させてたことが分かって。申し訳ないことしたなって落ち込んでるところ」
そう話すも、母からは返事がない。翔樹は不思議に思って母の顔を見た。
「母さん?どうしたの?」
「いや、翔樹が虫以外のことでこんなに悩んでるのなんて滅多にみないから驚いちゃって。そう。友だちができたの。だから翔樹は高校になって楽しそうだったのね。その子、虫の観察そんなにイヤそうだったのに、翔樹はずっと誘って付き合ってもらってたの?」
母の表情は翔樹を責めるのでも庇うのでもなく、ただ気になってという顔で話しかける。その表情で、翔樹は落ち着いて話すことができた。
「ん〜。苦手そうなときもあったけど、割と楽しんでくれてたりもしてたかな?と思うことはある。虫の観察しながらも、一緒に笑ったりすることもあったし。だからオレも誘っちゃってたんだよね。あ、それにね」
そう言って翔樹はカブトが写した写真を母に見せた。
「虫の写真を撮って欲しいってお願いしたら、付き合ってくれた日は撮ってくれてたんだ」
「これ、その子が撮ってくれたの?すごい、いい写真じゃない!」
「そうなんだよ、すごく真剣に撮ってくれてさ」
翔樹は、カブトとの思い出を振り返って、また泣きそうになってしまった。
「翔樹は、直接その子に虫の観察しんどいって聞いたの?」
「いや。一緒にトンボのところで遊んでたときに、カブトの中学のときのクラスメイトがたまたま通りかかって、虫嫌いなのに大丈夫かー?って聞いてきたんだ。そしたらカブト、そのときすごく険しい顔しててさ。あ、やっぱりイヤだったんだって分かって。ごめんって謝って。それが昨日」
母は、少し考えるポーズをして、
「翔樹、本人に直接聞いてないのに、こんなに悩まなくてよろしい」
と言った。翔樹はパッっと母の方へ顔を向け、え?と言った。
「翔樹はね、そうやって1人で悶々と悩むところあるね。虫のことになるとなんも悩まないのに。カブトくんが本当にイヤだったかなんて、あんたが一人で考えても分かりっこないのよ。だから、本人に聞いてきなさい。そんなに大切な友だちだったら、しっかり向き合いなさい。そして、もしもズタボロになったときはね」
母がニヤッと笑って続けた。
「あたしがどれだけ翔樹を慰めてきたと思ってるの?迷いなく、この家に帰ってらっしゃい。全力で慰めてあげるから」
翔樹は入口まで出てきた涙をグッと堪えた。そして、ありがとうと母に言った。
「それにしても、翔樹、よっぽどその子のこと好きなのね。私も会いたいわ。仲直りしたら連れてきてよね〜」
そう言って母は、翔樹の部屋から出ていった。
「好き?」
1人残された翔樹は、そう呟いた自分の顔が噴火するのでは?と思うほど赤くなったのを感じた。それから、オレがカブトのこと、好き?と心の中で呟いて、母が作ってくれたおかゆを一気に完食した。お腹が膨らみ、少し落ち着きを取り戻した翔樹は、スマホを手に取った。そして、カブトから来ていたメッセージを開いた。
『新藤、さっきはごめん。話がしたい』
『明日の放課後、できたら時間作ってほしい』
『お腹痛いんだって?オレのせいかな。本当にごめん。早くよくなりますように』
『調子はどう?よくなってたらいいんだけど』
カブトからのメッセージを読むと、胸が苦しくなった。翔樹は、今すぐカブトに会いに行きたいと思った。でも今じゃないと翔樹はカブトに返事をした。
『体調良くなったから、明日は学校行ける。オレのほうこそごめん。オレもカブトと話がしたい』
送ってすぐ、カブトから返事が来た。
『良くなったなら良かった。うん、明日話そう』
読み終えた翔樹は、スマホに保存されていたカブトの頭にトンボが乗っている写真を見た。その写真は、翔樹が撮ったのに、奇跡的にピントのあった写真だった。そして翔樹は、カブトのことを思い出す。険しい顔のカブトを思い出すと胸が痛いけど、でも翔樹は、カブトのことが知りたいと思った。そして、カブトのことが好きだという自分の気持ちに気づいた。

